Debate

『エノラ・ゲイ』論争にゆれる米史学界

 6. 論争の史学史的意義(最終回)

「客観性」の問題

 ピーター・ノービックの大作、That Noble Dream (1988年)は、史学界に大きなインパクトを与えた。数多くの書評が書かれたのはもちろんであるが、American Historical Review(以後 AHR)もジェイムズ・クロッテンバーグによる長文の書評論文を1989年に掲載した(94:4, 1989, pp. 1011-1030)。1989年には メThe Old History and the Newモ という史学史上の問題を扱った誌上フォーラムを掲載しているが、参加者のひとりジョアン・スコットはこの著作が史学界の正統派とそれに挑戦してきた側の論争の最善の文献としてこの著作を挙げている(AHR 94:3, 1989, p. 681)。また1991年にはノービック自身を含めた6人の歴史家によるフォーラムをこの著書のタイトルを冠して掲載した(AHR 96:3, 1991, pp. 675-708)。実際1990年代に書かれた史学史や歴史哲学の多くの著書・論文にノービックの著作は頻繁に引用されている。

 ノービックの著書の主要テーマは、副題にある通り史学の「客観性の問題」である。「客観性」(と、ノービックはかっこ付きで述べる)は、プロの歴史家の試みの中心に据えられているもので、彼らが何を目指しているのかを知りたければまず「客観性の問題」から始めるのがよかろうと彼は述べる。「客観性」という概念は19世紀後半、特に1880年代の歴史プロフェッションの創設とともに確立されたがその後修正、挑戦、そして防衛という試みを経て現代にいたっている(Novick, pp. 1, 16-17)。このプロセスとその中でかかわった歴史家たちの熱い闘いを描くのが、ノービックの著書の最大の目的であろう。

 たしかに「客観性」の問題は、「歴史は科学たりうるか」という関連する問題と並んで、史学上の大問題でまた厄介な問題でもある。しかし、デイビッド・ホリンジャーは、ノービックが言うほど「客観性」の問題は歴史家を熱くする(highly charged)だろうかと疑問視する。ノービックの記述では、歴史家がほんの少し挑発されただけで、やりかけの仕事を放り出してニューヨークへ飛んでいき、すぐにでも議論を始めそうである。しかし、ノービックが著書で挑発を行うまでは、米国史学界では「客観性」の問題はあまり語られなかったのである。それは「客観性」があまりに熱い問題だからではなく、歴史家が他にもっと熱い問題を抱えていたからである、とホリンジャーは主張する(AHR 96:3, 1991, p. 689)。ノービック自身が「客観性」という概念や理想に賛成も反対も表明しないとう冷めた態度を示しているし、また「客観性」を弁護するのはこの著書の目的でもないと突き放した態度を見せている(Novick, p. 6)。

史学界の混沌

 筆者は、他の(しかし「客観性」の問題に関連する)もっと熱い問題の一つが、史学の細分化・専門化の問題であると思う。それは多くの歴史家が、ハンで押したようにノービックの著書の決まった箇所を引用していることから分かる。この本の最も印象的な部分について歴史家の意見がおおよそ一致しているからであろう。それは、ノービックが現在の史学界の混沌とした分断状態について述べた次の箇所である。

 語り部の大集団としての、また共通の目的や基準でまとめられた学者集団としての歴史学界はとうに存在していない。「客観性の問題」は言うに及ばず、何かを一つの方向に収斂させるということ自体、問題外であった。史学界は旧約聖書「審判記」の最後の一節に描かれたような状態にあった。「あの頃イスラエルには王がいなかった。誰もが自分の目で見て正しいと思うことをやっていた。」(Ibid., p. 628)

 これは、歴史家がそれぞれ思い思いの方法論で思い思いの狭いテーマを選び、同業者が何をやっているかにあまり関心を払わず、自分の関心のあるテーマだけを追求している状態を指すと取られても仕方がない記述である。多くの歴史がこれを非常に悲観的・厭世的な見解と受け取ったのも無理はない。ノービック自身はこういう論評に対し、歴史学界の終末論を説いたのでないと述べた。彼は、引用箇所の「やや不正確な比喩的描写」を謝罪して、自分が言いたかったのは著書の最後で書いたように次のことだと弁明した。それは、「現在の米国史学界の置かれた状況は聖ローマ帝国に似ている。帝国は、完璧な主権は持たないがかなりの程度自治権をもった365の領域に分かれており、その中で同盟関係がめまぐるしく変わり、統合・離散を繰り返し、かすかに記憶されている共通の価値観と理想に対する忠誠心でかろうじてつながれている。その忠誠心も次第に弱まりつつある。」(AHR 96:3, 1991, p. 702)という状態である。

専門化・特化の問題

 多くの歴史家が最も強い印象を受け、ノービックが改めて説明した部分こそが、現在のアメリカの歴史家の大きな関心事であろう。実際、米国史学界のこの20〜30年間に起こった分断化・細分化・専門化は驚くほどである。AHR の編集者マイケル・グローズバーグ教授の持論は、歴史家はできるだけ多くの方向に興味を向け幅広く読むべきだということである。その上で彼は、自分の専門分野のそれも小さな特殊な問題へ特化するという専門化への圧力が時に抵抗しがたいほどに強いことも認めている。高度に専門化しないと学界で大きな評価が受けにくいからである。しかし、幅広い見識を持った歴史家が書いたものに自分は強く惹かれると彼は筆者に語ってくれた。

細分化・断片化の問題

 ノービック自身が説明する細分化の進行も驚くほどである。彼の著書の最終章はほとんど史学界の絶望的分裂ぶりの事例のオン・パレードと言ってよい。いわく、史学界は縫い目からほころび、小グループの寄せ集めで互いに話が通じにくい。いわく、多くの歴史家自身が歴史学はもはや首尾一貫した学問を構成しておらず、各部分の総和が全体より小さいどころか、全体の総和というものが存在しないと不承不承認めている。いわく、歴史家ジョン・ハイアムは米国の米国史家とヨーロッパ史家とが一つ家の中に住んでいて、開いた窓から外[他の学問分野]の人とは話すのに、お互い同士はドアを閉めたままであると述べている。いわく、特定の狭い分野を研究する歴史学会が増えていて、1980年代初期までにその数はAHAに所属するものだけで75もある(Novick, pp. 573, 577-78, 580)。こうした現象の結果、学問としてのアイデンティティーがわかりにくくなってきている、つまり歴史学とは何かという問題が改めて起こっている。

 端的な例を一つ挙げると、Cliometrics(計量歴史学)であり、ロバート・フォーゲルとスタンレイ・エンガーマンの Time on the Cross(1974年)である。2人の著者は、黒人奴隷は通説で主張されるほど搾取されてはいなかった、むしろ栄養は充分であったし経済的にも比較的恵まれていたと主張し、著書のかなりの部分を数式とその説明で埋めていた。奴隷の搾取が軽微なものであったという根拠を知りたい歴史家たちは

という解答を示された。同じ歴史家同士の研究を評価し合うのが極めて難しくなったのである(Novick, pp. 588-9)。

「エノラ・ゲイ」論争の史学上の意義

 このような混沌とした時期に「エノラ・ゲイ」論争が登場したのは決して偶然ではない。この連載で紹介したように歴史認識の相違に端を発した論争や問題が特に1990年代には多発しているのである。「エノラ・ゲイ」論争はその一部にすぎないが、歴史家に与えてインパクトは決して小さくない。マイケル・カメンは「アメリカ史の政治化が破壊的な嵐に似てきた」と論争の激しさを表している(OAH Newsletter 23:2, May 1995, p. 1)。歴史家への非難の激しさはこの連載で説明したとおりである。

 しかしながら、論争は史学界にとって逆風という見方ばかりではない。論争の中に積極的な意義を見いだそうとする歴史家・評論家も存在する。Hiroshima in America: Fifty Years of Denial の著者リフトンとミッチェルは、これまでタブーだったヒロシマについての国民的議論がこの50年の歴史で初めて行われたと述べた(p. 277)。オールド・ワールド・ウィスコンシン館館長ジェームズ・ウッズは、今回の論争に我々は勇気づけられるべきであり、論争が起こったということは人々が歴史に耳を傾けており、歴史に関心を持っているという事ではないかと主張した(The Journal of American History 82:3, December 1995, p. 1115)。

 歴史家自身も実際に、「エノラ・ゲイ」論争に大きな関心を持った。米国歴史家協会が1996年5月に会員に対し行ったアンケート調査の一項目に、掲載論文・特集のうち一番記憶に残ったものは何かという質問があった。トップにあげられたのが1995年12月の「エノラ・ゲイ」論争の特集である。また会員が好むものは、具体的な文脈で大きな問題を扱った特集で、現在歴史家が行っていることと歴史家の過去についての語り方との間にどんな関連があるかを考えられるものであることも明らかになった。つまり、歴史家協会会員は現在の行動や論争と過去の具体的出来事との関連に関心を持っていて、それも広く社会にかかわる大きな問題に関心を寄せていることが分かったのだ(Ibid. 83:4, March 1997, p. 1280)。

 このアンケート結果を見る限り、アメリカの歴史家と歴史に関心を持つアメリカ人は、歴史と歴史家に大きな関心を寄せており、しかもアメリカ社会全体を大きく見渡せる国民的課題を真剣に考えている態度が見える。多くの特殊な専門分野に枝分かれし、細分化して互いの話がうまく通じ合わなくなっているとノービックの著書が詳述しているにもかかわらず、ここには過去と現在との関連に真摯な関心を寄せる人々の姿が現れている。

 「エノラ・ゲイ」論争は、米国史学界の全貌が見渡しにくくなってきた現状にあって、スミソニアン展示論争という感情論に支配された、しかし具体的な問題という道具で史学界の諸問題を鮮やかに提示して見せてくれた。それは複雑な中身を持つ大きな物体を大きなナイフでずばっと割って断面を鮮明に見せてくれたようなものである。

 長崎・広島への原爆投下や真珠湾攻撃の体験を直接的にあるいは間接的に知る人には主張したいことがたくさんあろうし、その主張には真摯に耳を傾けるべきである。しかしそれだけでは、「エノラ・ゲイ」論争が被爆者に発言権がほとんど与えられないまま、なぜあれほど激しく闘わされたのかは理解できないであろう。それどころか、原爆投下の責任と真珠湾攻撃の責任を相殺するというグロテスクなほど単純な議論が出てきかねない。「エノラ・ゲイ」論争は歴史的な文脈で、また他の学問分野の知見を援用して大きく見渡す必要があり、これこそ歴史に関心を持つ者が行うべき仕事であろう。この連載はその為の小さな試みであった。(了)      

(山倉 明弘)