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上谷博・石黒馨編『ラテンアメリカが語る近代--地域知の創造』

世界思想社、1998年、241頁

 本書は、天理大学アメリカス学会顧問の上谷博他の編集で刊行された。それぞれ経済学、政治学、歴史学、文学、社会学などを専門とする9人の研究者が、「ラテンアメリカ先住民の視座より近代とは何かを問う」という統一テーマで分担執筆している。

 編者の上谷博は「ペルーの植民地支配と先住民」「ペルー独立後の経済開発の模索」「ペルーにおけるインディヘニスモの展開」において、ペルーの近代化のプロセスにおける社会構造の変化とそれをベースに展開された先住民にたいする政策について通史的に論じており、ラテンアメリカの他の諸国にも共通する歴史プロセスを理解するうえでも有益である。

 また、本学会会員から3名の執筆者が名を連ねており、片倉充造は「メキシコのインディオ小説」において、メキシコのインディオ小説の代表であるロペス・イ・フエンテスの小説をメキシコ革命小説という観点から分析している。初谷譲次は「中米ベリーズにおけるクレオール社会の形成」において、日本ではあまり知名度の高くないベリーズ社会を大陸型メスティソ社会とカリブ型クレオール社会の複合化という視点から紹介している。山田政信は「ストリートチルドレンに見る取り込みと排除の論理」で、1927年の「未成年法」制定における貧困層の市民社会への「取り込み」と「排除」の論理を分析し、ブラジル近代化の問題点を浮き彫りにした。

 1492年のコロンブスによる「発見」でラテンアメリカを包摂していった「近代」は、今なおわれわれが生きる時代である。「アメリカス」という統一した視点をもって集った本学会の会員諸氏に本書の一読をぜひおすすめしたい。

 

川成洋・板東省次・本田誠二編『ガルシア・ロルカの世界』

行路社、1998年、287頁

 フェデリコ・ガルシア・ロルカ(1898-1936)といえば、スペインを代表する世界的詩人・劇作家であり、音楽やデッサンでも異才を放つマルチ・アーティストであった。昨年は生誕百周年を迎え、スペインをはじめラテンアメリカ諸国でも記念行事が開催された。本書刊行もその一環である。「I.ガルシア・ロルカの世界、II.ロルカの詩と芸術、III.ロルカとフラメンコ、IV.ロルカの戯曲世界」の4部構成には、30編もの論稿が集成されている。

 I.の川成洋(法政大学)「はじめてのスペイン」では、69年のフランコ時代を回顧するとともに、その存在をタブー視されつづけたロルカが、近年グラナダの文化的英雄として扱われている落差に、現代史家としてのやりきれない問題意識を漂わせている。II.では、小川英晴「ガルシア・ロルカの魅力」と松永伍一「デッサン画家とロルカの暗示性」が、ともに詩人の感性で、メポエジーモ や メインスピレーションモをキーワードにみずみずしくロルカの心性を象っている。III.では、飯野昭夫「ロルカとフラメンコ」がスペインにおけるフランコ成立史を簡潔に整理、エンリケ・坂井(ギタリスト)や柳貞子(音楽家)他も、実演者ならではの解釈を提示している。

 IV.では、福田善之(劇作・演出家)「ロルカの舞台にまつわる思いでなど」が、50年代の<山本安英とぶどうの会>とロルカ演劇の出会いを情感豊かに記述、近藤豊(天理大学)「血の婚礼ムひとつの読みの試み」が、最も詩的な戯曲の民俗学的再読により、さらに深化した新解釈を提言、片倉充造(本学会会員)「ロルカと学生演劇」が、わが国における学生演劇小史を編集、マルケスやアルゲダスとの対照にも言及する。

 総じて、ロルカの今日的意義を再確認できる良書である。

 

越智道雄著

『ワスプ(WASP)--アメリカン・エリートはどうつくられたか』

中公新書、1998年、144頁

 著者は、本書でアメリカ合衆国を建国以来中心で支えてきたワスプ(ヨーロッパから最初にやってきたプロテスタントのアングロサクソン系白人)の歴史と生態を描いているのだが、その目的は、日本人に日本の将来を考えさせることにあるという。

 多民族国家アメリカは「単一民族」国家日本では性格が違いすぎ、参考にならないのではと考えかねないが、著者は国際化の波の中でやがて多元化する違いない日本で、われわれ主流派がその日に備えるのに最も適している研究対象はワスプだという。

 文化多元主義研究に没頭する著者は本学会のニューズレター(No.12)への寄稿文で、ワスプに研究対象を発展させたのは「彼らが多元化にどう関わったかこそ、私たち主流派の参考になるのだから」と書いている。

 冒頭からワスプという言葉は、比較的リベラルなワスプ自身が自己批判的に、蔑称的に使ったのだと述べ、感情を殺し自己抑制に性格の中心を置く。ブッシュ元大統領が少年時代の野球試合でホームランを打ったことで誉められようとしたら、自分のチームの勝敗こそ大事とたしなめる母親こそ上流ワスプの典型だと指摘する。そして家庭や学校における教育の在り方、上流社会の支配の源泉としてのクラブ、しかしやがて新しいアメリカ人の登場で、感情を押さえきれなくなっていく。

 日頃目にするアメリカ人一般の開放的性格とは違いすぎる、この国の支配層ワスプをどう捉え、そこからわれわれ閉鎖的な日本人が21世紀の幕開けに備え、何を学ぶべきか考えさせられる本である。

明石紀雄・川島浩平編『現代アメリカ社会を知るための60章』

明石書店、1998年、253頁

 本書の性格は、タイトルをみれば内容を改めて紹介する必要はないかも知れない。日進月歩という言葉でさえ遅すぎるほど、変化の激しい現代のアメリカ社会を正確に理解するには、このような細分化され、適度の長さの解説のついた書籍がたえず必要である。

 しかし拙速に過ぎれば、誤解を生みかねず、項目の選択が重要な意味をもつ。その点編者の一人、明石紀雄氏はアメリカ史・アメリカ研究の第一人者であり、「政治・経済・外交」「社会」「人種・民族関係」の3部に分け、全体を60項目とした整理の仕方は、社会全体の流れを把握してそこから逸脱しないよう配慮が必要であり、苦労の跡がみられ現段階では最善の選択だろう。

 日米間で見方が大きく違う「エノラ・ゲイ号展示」、インターネットの規制に絡む「通信品位法」、犯罪を複雑にする「ヘイトクライム」、学校離れが生んだ「ホームスクール」、人種区分が問い直される「異人種間結婚」、黒人英語をめぐる「エボニックス」など、分かっているようで理解に悩む言葉だ。しかもまえがきによると、資料の多くはインターネットから取られたとあり、信頼できる最新の説明となっている。

 各項目は3ないし4頁で、表や図、写真が適度にちりばめられており、読み安さにも配慮が行き届いている。その上、各項目の最後には、参考資料として、和洋書ばかりか、いまや関連のホームページのアドレスまであげられているのは、卒業論文かきの学生ばかりか、研究者にも役に立つ資料的価値を持っている。今後、これを基礎に増補版を出されることを期待したい。