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アメリカを知ることの重要性

〜世界のリーダーと自国至上主義という二つの顔〜

                              前 原 誠 司

 私は3年前、山本正氏が理事長を務める日本国際交流センターの日米議員交流プログラムに参加させてもらい、5日間、ワシントンD.C.に滞在した。この訪米団は8名の超党派による衆参両議員で構成されていたが、ちなみにその年の団の顧問は小渕恵三氏(現内閣総理大臣)、団長は鈴木宗男氏(現官房副長官)という今の官邸コンビであった。

 5日間びっしりと上下両院、ホワイトハウス、国務省、国防総省、各種シンクタンクなどを回り、日米間に横たわる諸問題について意見を交換した。日本から訪米団を派遣した翌年は、アメリカの国会議員が日本を訪れ、同様な会議が幾つか設定される。お互い隔年で行ったり来たりしているのである。

 日本国際交流センターは日本のNGOの草分け的存在であり、このプログラムも伝統があって、日本の国会議員の間でも人気が高い。往復の交通費から宿泊費・食費とすべて交流センターが面倒をみてくれる。何にもまして魅力的なのは、アメリカのかなり責任ある立場の人たちと会談がセットされることだ。従ってメンバーに選ばれることは大変、光栄なことであり、余程の事情がない限り、オファーを断る議員はいない。

しかし、米側の事情はかなり異なるようだ。日本に行きたがる議員が少なくて、人集めに四苦八苦するというのである。今の日本に対する関心が薄くなってきたという理由だけではなさそうだ。なぜだろうか。それはアメリカの国会議員にとって、外遊することが選挙にとってマイナスだと考えられているからである。

 日本でも最近、国会議員の外遊に対する風当たりは強い(「外遊」という言葉自体が誤解を招くのかもしれない)。特に、国会から派遣される場合は税金で旅費が賄われるからなおさらである(実際は私費による視察のほうが多いのだが)。

 視察とは名ばかりで、本当は観光旅行が主ではないのかとみられてしまう。しかし、アメリカの事情は日本とはまた少し違うようだ。

私が衆議院に議席を得てから5年が過ぎた。外交・安全保障を専門にしている関係で、かなり海外への視察が多い。年に最低2回は海外へ出る。5年間で訪れた国は15ヶ国を超える。だが有権者の方々に、「どういう目的でどこに行き、誰と会ってどのような成果が得られたのか」を説明すれば大抵の場合、理解してもらえる。

 他方アメリカの場合、いくら目的がはっきりしていて、充実した視察であっても、選挙区の利益に繋がらなければ有権者の理解はなかなか得られないようだ。「日本の自動車工場を我が選挙区に誘致して雇用を拡大したい。そのために日本に行って交渉してきた」といった類のものなら納得してもらえるのだろうが。

 少々驚いたことだが、アメリカの国会議員には、パスポートを持っていない議員がかなりいるらしい。日本の国会議員を正確に調べたことはないが、まずほとんどが保持しているはずだ。本年11月に中間選挙が行われたが、その前の下院選挙で初当選してきた新人議員の約半数が、パスポートを持っていなかったという話しを聞いたことがある。

 確かに下院議員は大変である。選挙は小選挙区制で行われる。有権者がさほど多くない地域からたった一人が選ばれる。しかも任期は僅か2年だ。従って選挙が終われば、すぐに次の選挙のことを考えなければならない。地元の利益になることの為に、2年間どれだけ汗水流して働いたかが選挙結果に響いてくる。上院議員は任期が6年あり、各州2人ずつだから選挙区も広い。外交・防衛、教育など、ロングスパンで考えなければならない問題の専門家も多いが、下院ではそのようなエキスパートは余り期待されない。地元の利益のために何をしたのかが最も問われる。上院と下院では同じ国会議員でありながら、似て非なる活動にならざるを得ない。

 日本では国会議員の毎週の行動パターンを「金帰火来」と呼ぶ。金曜日の夜に地元に戻り、火曜日の朝、東京に上京して来る。つまりは火水木金は国会活動、土日月は地元活動を行うということだ。それに対しアメリカの下院では「木帰火来」が定着しつつあるという。アメリカでは日本以上に地元活動が重視されているのである。

 このような傾向を私は大変危惧している。アメリカの政治がどんどん内向き、つまり自国中心に偏ってきているような気がしてならない。元来、モンロー主義、孤立主義と言われるお国柄であるからなおさらである。

私は最近、年に1度の割合でワシントンD.C.を訪問しているが、その際に肌で感じ取ったり、或いはアメリカの知人が日本にやってきて話を聞く中で、アメリカが躍起になるテーマが時代背景に即して変化していく様子は興味深い。

 冷戦中は当然、ソ連の脅威が主な関心事だった。ソ連邦が崩壊した後は、バブルで浮かれていた日本経済がまさしく目の上のたんこぶであり、貿易摩擦や不動産の買い漁りなどが連日、マスコミを賑わせていた。日本のバブルが崩壊し、日本の脅威が現実のものでなくなったとき、忽然とアメリカのマスコミから日本に関する話題は消えた。代わりに、議会でもよく取り上げられるようになったのは中国である。人権問題で非難し、台湾総統選挙の際、中国が威嚇目的でミサイル発射を行えば空母2隻を急派して世論もバックアップした。中国に対する憧れや13億人超とも言われる巨大な市場も一方では睨みながら、複雑な論議が繰り返された。そして今は、アジア経済危機の元凶と目されている不況下の日本が、再びマスコミに取り上げられるようになった。失業、自殺、金融機関の破綻など、以前とは打って変わったテーマで日本が話題になっている。同情と哀れみが交錯し、それが自国に飛び火をしないかをハラハラしながらアメリカは見守っている。まさに隔世の感がある。つまりアメリカは自分の立場を脅かすものに対して極めて敏感であり、時として過剰な反応を見せることが多々あるのだ。

 アメリカは世界一の経済力と軍事力を誇る自他共に認める超大国である。アメリカの行動一つで世界全体が大きな影響を受ける。にもかかわらず、国民が外に余り目を向けず、国会議員には利益誘導を求め続ける。そして国のあり方を大局的に判断する立場の国会議員がドメスティックなことに奔走する。まぎれもなく、これがアメリカのもう一つの顔であることは肝に銘じておかねばならない。

 日本は経済面で「NOと言える日本」などという大きな事を言いながら、安全保障面ではアメリカに大きく依存している。核も然る事ながら、アメリカのミサイルや通常兵器は日本にとって他国からの脅威の大きな抑止力になっている。

 今は朝鮮半島が不安定で、中台問題も微妙だ。従ってアメリカが引き続き日米安全保障条約を重視する可能性は当分、高い。しかし、そのような危機が解決すればどうなるか。特に米中では信頼関係が深まった場合、日米安保の存続そのものを見直す時期がくるかもしれない。一方的に離縁を迫られた場合どうするのか。また、そうならないためにどのような手立てがとれるのか。

 今、日米関係を根本的に再構築すべきときにきている。私は引き続き日米の同盟関係は日本の生命線として必要だという立場から、与えられた立場で努力を続けていきたいと思う。

(衆議院議員)