Letter from New York

メディア戦略、日米の違い

 アメリカに来て間もない頃、テレビのコマーシャルを見ていて不思議に思ったことがありました。洗濯洗剤のコマーシャルに違う2社の洗剤が出てきたり、ライバルのはずのコカコーラとペプシコーラが同じコマーシャルに登場したりするのです。当時は英語もよくわからず、「アメリカ人はおおらかだと聞いていたけれど、ライバル社同士で一緒に商品の宣伝をしてしまうほどだったのかしら」と思ったのですが、やがてそんな考えは大間違いだと気付きました。なんのことはない、どちらも他社の商品と比較することで、自分の会社の商品がいかに素晴らしいかを強調した宣伝だったのです。

 洗剤のコマーシャルでは、2人が同時にしみのついたシャツを洗い始め、一人は1度の洗濯ですっかりきれいになったシャツを着てご機嫌で出かけていきます。もう一人の方はというと、洗えど洗えどしみは落ちず、シャツの色だけがどんどん落ちていって、最後には疲れきって座り込んでしまうというようなシナリオでした。後者の洗剤の商品名ははっきりとは出されていないのですが(恐らく法律で禁じられているのでしょう)、入れ物の色や形、ラベルの配色などから、どの会社の商品なのかはっきりわかるようになっています。

 コーラのコマーシャルでは、コカコーラとペプシコーラの2社の配達トラックの運転手がドライブインのレストランのカウンターにたまたま隣り合せに座り、もちろん自社のコーラを注文。ライバルとはいえ、お互いの社の商品への好奇心に耐えかねて、周りの目を気にしながらも、飲みかけのコーラをそっと交換します。(もちろん会社のロゴが見えるように缶にはいったままです。)コカコーラを一口飲んだペプシの運転手は「なるほどね」という顔をして缶を相手に返すのですが、向こうからは自分の缶がなかなか返ってきません。取り返そうと手を伸ばすと、コカコーラの運転手がすっかり気に入ってしまったペプシを返すまいと抱え込んでしまい、最後には大喧嘩になって椅子が宙を飛び交い、レストランの窓ガラスコマーシまでこわれてしまうというストーリーでした。

 このどちらのャルにも2つの大きな効果があると言えるでしょう。先ず、最初からどちらの会社の宣伝なのかはっきりと示さないことによって、視聴者の好奇心をそそります。そして、一体何が起こっているのだろうと興味津々で画面を観ている購買者の目の前で他社の商品を批判、比較することによって、自社の商品を印象付けるというわけです。このようなマーケティング戦略はアメリカではめずらしくありません。

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 単に商品の宣伝だけではなく、このような傾向は政治のキャンペーンにも反映されています。ニューヨーク州では数日後に上院議員の選挙が迫り、テレビやラジオで連日候補者の選挙運動のコマーシャルが放送されていますが、このコマーシャル戦略も日本の選挙活動とは随分異なるように思います。

 今回の上院議員選ではチャック・シューマーとアル・ダマートという候補者が最強候補とされていますが、どちらのキャンペーンコマーシャルを見ても、本人よりもライバルの候補者の名前のほうが頻繁に使われているのです。これも洗剤やコーラのコマーシャルのケースと同じように、彼らが相手を批判することを最強の戦略だと考えているからでしょう。シューマーはダマートが教育関係の助成金を削減することに賛成していることなどを強調し、ダマートはシューマーが社会保障年金にかかる税金の額を上げるつもりだと、国民に訴えかけています。このような「相手を批判する」ことに重点を置いた選挙活動は、日本では通用するのかしら、、、などと思いながら選挙戦を追っています。

 この「相手を蹴落として自分が上に立つ」という戦略がアメリカで人気がある理由の一つは、アメリカ人の求めているリーダー像が日本のリーダーのイメージとは多少異なるからでしょう。政治システムにおける改革や新たな法律の制定を語るにおいて、アメリカではよく“fight for...”という表現を用います。まさに「戦って勝ち取る」というわけですが、アメリカの国民が求めているリーダーは、ただ単に国民をまとめるだけでなく、戦場である政界において自分たちのために戦ってくれるタフガイなのです。このタフガイであることを示すためには、笑顔で明るい将来を約束するよりも、相手を蹴落とすぐらいの戦闘意識を明らかに示すことのほうが効果的なのでしょう。

 戦闘意識を示すといっても、もちろん一定のレベルのエチケットを守ることは暗黙のルールになっています。たとえば、差別用語の使用などは禁物ですし、相手を嘘つき呼ばわりするのも逆効果だと言われています。これは裁判のケースでもよく言われることですが、相手が「嘘をついている」ということを証明するのは最も困難なタスクであり、そのために論争の効果が薄れてしまう恐れがあるからです。

 先週、キャンペーン中のダマートがシューマーを“Putz”と呼んだことが大きな反響を呼びました。これは語源がイディッシュ語(ユダヤ人の言語)のスラン

グ(俗語)で、「ばか野郎」というような意味で使われますが、性的な意味を含むことのある表現であることと、実際にシューマーがユダヤ系であることから、人種差別をも含んだ侮蔑的表現だと受けとられたからです。ダマートとしてはおそらく選挙運動に熱中したあまりに思わず発した一言なのでしょうが、これにたいそう腹を立てた州民もいるようで、(ニューヨーク州は特にユダヤ系人口が多いということもあり)選挙の結果がこの一言に左右される可能性もありという話です。

 後日の結果ですが、予想通り大差でシューマーが上院議員の地位を「勝ち取り」ました。これは、数年に渡って議員を勤めてきたダマートに州民が飽きてきているせいもあるのでしょうが、やはり、

“Putz”発言事件が影響を及ぼさなかったとは言えないです。上に述べたような選挙キャンペーンを“ slander campaign ”(スランダー・キャンペーン=中傷または名誉毀損キャンペーン)といいますが、年々激しさを増すこのキャンペーン方法には、げんなりしている国民も少なくないようで、「批判ごっこ」の選挙シーズンの直後には、この「批判ごっこの批判」をするニュースや記事もかなり目につきました。シューマーとダマートの選挙戦のケースもこの国民の新しい声の結果かもしれません。それゆえ、相手を攻撃するにも手段を選ばなくてはならないという大きな教訓となって残ったのではないでしょうか。

 これまでには年々エスカレートしてきたスランダー・キャンペーンですが、これが将来どのように変化していくのかは、大変興味深いことです。

(佐藤奈津)