Americas in Brief

アメリカ大統領とDNA

クリントン米大統領の不倫騒動がたけなわの時、ジェファーソン第3代大統領に黒人奴隷の子がいたことをほぼ証明するニュースがクローズアップされた。しかもニュースとなったこの論文についていたエッセイには皮肉にも「アメリカの英雄―なかでも大統領―は神でも聖人でもない、肉あり血おどる人間である」というエッセイまでついている。

このニュースを取り上げたのは、世界的にも有名なれっきとした科学雑誌『ネイチャー』の最新号。論文を書いたのはバージニア大学の元病理学教授、ユージン・フォスター氏、エッセイを書いたのはマサチューセッツ州のホリヨーク・カレッジのジョセフ・フォスター氏。証明をする実験を担当したのはオクスフォード大学の遺伝学者、クリストファー・タイラー=スミス氏。舞台と役者は揃っている。

クリントン大統領の場合は、不倫相手の衣服に付いていた大統領の体液の DNA 検査が決め手となった。同誌によると、ジェファーソンの場合も同じ DNA 検査が重要な役割を演じている。

しかし、トマス・ジェファーソン大統領(1743-1826)といえば、米独立革命、独立宣言の起草で重要な役割を演じた建国の父であり、アメリカ人が最も尊敬する人物の一人である。バージニア州モンティセロにある同大統領自身が設計して建てた邸宅は国有記念物として、アメリカ人が一度は見学にいくことで有名だ。しかも彼は異人種間の性的関係や結婚には反対派の急先鋒だった。その人物の二百年も前のスキャンダルである。

もっとも、ジェファーソン大統領の不倫の子の話は突然でてきたのではない。

1802年。あるジャーナリストが地元のリッチモンド・レコーダー紙に「ジェファーソンは自らの所有する黒人奴隷の一人を愛人にしている。その黒人女性はサリー・ヘミングズといい、子供を生ませている」と書いて大騒ぎになった。もちろん弁の立つ大統領は全面否定、「これは政敵がためにして流したとんでもない中傷だ」と抗議した。このときジェファーソンは65歳で大統領二期目の最中で、ヘミングズは35歳だったという。

ところで、どうやってそんな古い人物の血液を調べられるのか。フォスター氏の科学的調査は容易ではなかったようだ。

かいつまんで説明するとーまず同氏はヘミングス家とジェファーソン家の男子系の子孫19人の血液を採取、その DNA 検査をオクスフォード大のタイラー=スミス氏に依頼した。彼が目を付けたのはY染色体は大半の場合父から息子へほとんど変化なく遺伝するという点だった。その結果、大統領の叔父にあたるフィールド・ジェファーソンの男子系子孫の一人のY染色体と、サリー・ヘミングズの息子エストン・ヘミングスの男子系子孫のY染色体が一致することが分かったのである。

ジェファーソン大統領とサリー・ヒギンズの性的関係については歴史学者の間でも議論が分かれている。ましてジェファーソンをアメリカ建国の父として偶像視している人々にとっては認めがたいことである。論文の筆者、フォスター氏は、この検証を「予断なしにはじめた。ただこの論争に何らかの貢献したかったのだ。理論上はジェファーソン一家の他の男性がエストン・ヘミングズの父親であった可能性はないことはない」と補足している。

(インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙とエコノミスト誌より)