Lateral Thinking

ハーレム賛歌

久しぶりで学生たちとマンハッタンの黒人居住地区「ハーレム」をのぞいてきた。ハーレムを訪れるのはこれで四度目、ニューヨークに来ると、どうしても一度顔を出したくなる。だから学生との文化実習旅行では必ずここを見せる習慣が付いてしまった。考えてみると、いささか私事で恐縮だが、こことの因縁は深い。ここを知らなかったら、こんなにアメリカが好きにならなかったかもしれない。

「アメリカに黒人がいなかったら、この国への興味は半減する」というのが、学生への繰り言になってしまった。

皮切りは、1960年代アメリカのジャーナリスト、Grace Halsell さんの メSoul Sisterモ(邦訳名『黒い肌は知った』)を翻訳したことに始まる。当時のアメリカの黒人差別はいまでは考えられないほどだった。その時、Halsell さんはその実態を体験するためみずからの肌を危険な劇薬とプエルトリコの陽光で真っ黒に染め、ハーレムに潜り込み、命を賭けての体験記をものにしたのだ。その直後の70年、たまたまアメリカ旅行の機会に恵まれたが、その時知り合ったジャマイカの黒人記者アレン君とメキシコの女性記者シェレディアスさんにHalsellの話をしたら、二人が異口同音に「いまからハーレムに行こう」と言い出した。11月の深夜である。

当時、日本人でハーレムで消えた人がいたという「神話」が残っていた頃、しかも深夜に女性を連れて・・・不安に駆られたが、アレン君は黒人だし、行きがかり上「止めよう」とは言えなくなってしまった。12時前「A トレイン」に乗って125丁目まで行った。真夜中だというのに路上は黒人で一杯、白人は一人もいない。覚悟を決めてナイトクラブに入り、ソウル・ミュジックを堪能するほど楽しんだ。また地下鉄で帰ったが、その間なんの不安感も感じなかった。

記者生活をやめて大学に移り、毎夏アメリカに学生を連れていくことになった頃、ハーレムツアーが実現したときき、文化実習旅行のプログラムにまずこれを組み込んだ。小生がなんとしても学生に見せたかったのは、黒人の教会だ。説教は対話であり、それが歌になり、踊りに変わっていく姿はほかでは見られない。神聖な礼拝である。

今年見学したのはバプティスト記念教会。観光用でなかったのがよかった。ここで「浅草系ハーレム人」と自称するトミー・富田氏にお目にかかった。ハーレムに長年住んでいる日本人で、「ハーレムは恐いところ」という“神話”を打破するため、ニューヨークへ来る日本人観光客のためのハーレムツアー、とくに黒人教会の見学を実現された方だ。ゆっくりお話しする時間がなくて残念だったが、『劇場都市ニューヨーク読本』という異色のガイドブックを頂いた。

ここではまた、「ハーレムのピカソ」との異名をもつ黒人画家、フランコ・ギャスキンさんに出会った。ハーレムを中心にニューヨークを美化するために、小さな店のシャッターから本格的な大壁画まで強烈な色彩で町並みの美化に努めている、柔和な老人である。

70年には荒れ放題だったハーレムはいまや見違えるほどのアメリカらしい町に蘇りつつある。何よりも人々の表情が、考えられないほど陽気である。警察官の姿が非常に少なくなっている。いまニューヨーカーたちが喜んでいるのは、凶悪犯罪が目に見えて減っていることだ。そして「ニューヨーク ニューヨーク」を口ずさみながら、世界中から集まってくる人々に笑顔を振りまいている。       

(北詰洋一)