Controversy

『エノラ・ゲイ』論争にゆれる米史学界

 4. 米国歴史教育の抱える問題

 米国国民の歴史への関心が高まっていること、そして一般国民の歴史家を見る目が厳しくなっていることは、前回述べた。今回は、「エノラ・ゲイ」論争の文化的背景を知るためにアメリカの歴史教育のあり方とアメリカ人の歴史理解を検証する。

冷遇される歴史教育

 歴史家ジェイムズ・ローウェンによると、アメリカ人の6人中5人までが高等学校卒業後にアメリカ史を学校で学ぶことがないという。つまり大多数のアメリカ人の歴史認識は高等学校卒業までに形成されることになる。ローウェンの Lies My Teacher Told Me: Everything Your American History Text-book Got Wrong (Simon & Schuster, 1995) は米国の歴史教育について衝撃的な実態を紹介している。

 アメリカ人高校生にとってアメリカ史は、21の履修科目の中で最も嫌いで、最も自分の生活と関係の薄い科目である。アメリカ史は数学、科学、英語等の科目に較べて良い成績が取れるにもかかわらず、高校生はできるだけ避けようとする。その主な原因は退屈でやたらに分厚い教科書と多くの問題を抱えた歴史教師にある。

 アメリカ史の教科書は普通 4.5ポンド(約2キロ)ほどもあり、800ページを超える。アメリカ史の専門書でも600ページを超えれば大作であろう。教科書の出版社はあらゆる人種・民族・社会集団を取り上げ、あらゆる地域に言及し、採択の可能性を高めなければならない。その結果、視点や焦点がぼけてしまう。(米国の教科書問題はおもしろいが、残念ながら、ここでは詳細に論じる余裕がない。必読の、そして非常におもしろい研究がJoan Delfattore, What Johnny Shouldnユt Read: Textbook Censorship in America (Yale University Press, 1992) である。米国史の教科書がなぜいびつなものになるのか詳述してある。また、歴史に限らず、米国中等教育の教科書に対する保守・リベラル双方からの干渉、および教科書採択・使用をめぐる「進化論」対「創造科学」の論争についての記述が興味を引く。)

 また、多くの歴史教師は歴史を知らない。257人の歴史教師についての1990年の調査によると、彼らの13%は大学で歴史の科目を取ったことがなく、歴史学学士号または修士号、あるいは歴史学関連の専攻科目を修めたものはわずか40%である。

 彼らはまた、論議を呼ぶテーマを好まない。92%がそのようなテーマで授業内の討議を促すことをしないし、89%は生徒がそのような問題を持ち出しても取り上げないし、79%はそのような問題を授業で扱うべきでないと考えている。ベトナム戦争、政治、人種問題、核戦争、宗教、離婚などの家族問題を生徒が論議したがっていることを歴史教師は知っているのだが、彼らはこれらの問題は授業で扱うべきでないと信じている。教師がそう考えるのは、彼ら自身がそのような学問的訓練を受けていないからである。

 筆者が参照した十数種類の最近のアメリカ史の教科書は広島への原爆投下に数ページほど割いているものが多いが、ローウェンの指摘が正しければ原爆投下の是非などという問題に授業で触れることはまず考えられないであろう。

 社会科学や歴史の教師は他の科目を教える教師からあまり尊敬されていない。校長の中には、スポーツ・コーチ(通常は体育の教師の資格保有者)に歴史を担当させる者もいる。日本で育ち、日本で教育を受けてきた筆者には、コーチに歴史を教えさせるというのはにわかには信じがたい話である。しかし、これはどうやら事実であるらしい。ここインディアナ州ブルーミントンで私たち家族のホストファミリー役を引き受けてくれた現地の高等学校の先生も、その通りであると答えてくれた。歴史家メアリー・ベス・ノートンは、インディアナ州の高等学校でトラック競技のコーチから歴史を習ったと回想している。その先生は勤勉ではあったが、歴史に関しては彼の使用する教科書で読んだこと以外はほとんど知らなかったという。(Norton, "Rethinking American History Textbook," in Lloyd Krammer, et al., eds., Learning History in America, Minneapolis, University of Minnesota Press, 1994.)

 歴史が専門でない教師が歴史を担当するケースはある全米規模の調査ではアメリカ史全クラスの60%に及ぶ。その結果、生徒自身もアメリカ史を軽んじることになる。

 ローウェンは、「米国の歴史教科書は嘘が多く、分厚い割には知的刺激に乏しく、論争や国家イメージを損なうテーマを極力避けている。教師もそのような教科書の姿勢に追随している」と主張する。

米国歴史教育の概史

 歴史的に見ても、学校教育における歴史、特にアメリカ史の冷遇は明らかである。ケネス・ジャクソンとバーバラ・ジャクソンの研究によれば、米国中等教育で歴史教育が史上最も大きな役割を果たしたのは、プロフェッション(知的専門職)としての歴史家の地位が確立された1890年から1920年にかけてであるという。

 教科としての歴史の地位の低下を招いた一つの大きなきっかけは、The National Ed-ucation Association Committee on the Social Studiesが1916年に出した報告書である。その骨子は歴史教育を控えてそのかわり、公民、地理、社会学、「民主主義問題」を充実するといういわゆる「革新主義運動」に沿った改革案である。

 その効果は直ちに現れた。1918年には、米国教育史上最も重要な文書の一つ、The Cardinal Principles of Secondary Education が出された。文書では、理想的歴史教育は学生の関心または成長と発達に直接関連のあるものであるとされた。そこでは近代以前についての学習は学生には無関係で、余分なものとされた。

 歴史を軽視し、現代を学習する社会科学を強調する傾向はその後第2次世界大戦後まで続く。社会科学教育に力を尽くしたエドガー・ウェズレーなどは1967年に「教科としての歴史を廃止しよう」という論文を発表した。彼は歴史を教科としてではなく、社会科学を教えるための教材の一部として利用することを提唱した。(以上、歴史教育の歴史に関しては Kenneth Jackson and Barbara Jackson, "Why the Time Is Right to Reform the History Curriculum," in Paul Gagnon, ed., Historical Literacy, 1989.)

 ウェズレーの功利的アプローチは米国の歴史教育に大きな打撃であった。現代に直接関係ある事象を教材として扱えばそれだけ歴史の占めるスペースは小さくなる。さらに、1960年代以降は、歴史研究の細分化、分断化の傾向が加わる。その結果、米国の歴史家、歴史教育者の間に、歴史教育に対する危機感が生まれても不思議ではない。

歴史教育冷遇の結果

 学校教育で歴史がどの程度教えられているかについては National Council on History Educationが発表した1992年のデータがある。それによると、高等学校でアメリカ史も世界史も必修でない州が4つ、どちらか1科目(履修期間1年)必修が10州、2科目(履修期間延べ2年)が21州、それ以外の州では、2.5〜3科目またはある一定度の到達度を要求している。ただし、これらの中には地理や政治との合併科目がかなり目立つ。(CQ Researcher, メTeaching History,モ Sep-tember 29, 1995.)

 こうした状況はアメリカ人の歴史理解にどのような影響を与えているのであろうか。1943年『ニューヨーク・タイムズ』は36大学の1年生7,000人に対して記述式回答方式の調査を行った。結果は、以下の通り。

・権利の章典で保障された自由の内4つを答えられたのは45%。

・エイブラハム・リンカーン、トーマス・ジェファソン、アンドゥルー・ジャクソン、セオドア・ローズヴェルトの業績をそれぞれ2つ挙げられたのは25%未満。

・サミュエル・ゴムバーズを労働組合の指導者として、あるいはスーザン・アンソニーを女性の権利の提唱者として認識していたのは15%未満。

・アメリカ最初の13の植民地を挙げられたのはわずか6%。

(Diane Ravitch, メThe Plight of History in American Schools,モ Historical Literacy.)

 大学教授や高等学校教師が学生の歴史理解の欠如を嘆くのを受けて、1986年春、学生の歴史・文学の理解度に関する始めての全米規模の調査が行われた。その報告書 Diane Ravitch and Chester E. Finn, Jr., What Do Our 17-Year-Olds Know?: A Report on the First National Assessment of History and Literature (New York: Harper & Row, 1987) は、米国歴史教育を論じるほとんどの著者が何らかの形で引用または参照する基本的文献である。報告書の著者が憂慮する事実を列挙すると、以下のようになる。

・被験者の3分の2は、南北戦争が1850年から1900年の間に起こった出来事であることを知らなかった。

・ほぼ40%が、ブラウン判決が人種別隔離教育を違憲としたものであることを知らなかった。

・40%が、米国東海岸が主としてイギリス人によって、また南西部が主としてスペイン人によって探検され開拓されたことを知らなかった。

・70%が、ジム・クロウ諸法の目的が人種隔離を実施することであったことを知らなかった。

・30%がヨーロッパの地図上に英国の位置を示せなかった。

 これまで記述してきたことを前回筆者が述べた歴史プロフェッションが置かれた状況と合わせて考えれば、歴史に関する独特のアメリカ人の姿が浮かび上がってくる。それは、自国の歴史、特に自分たちが好感を持ちうる身近な歴史に関心があり、歴史家の研究成果・主張にも口を出すが、自身は自国の歴史、特に論議を呼ぶような歴史テーマを深く、正しく認識する機会にあまり恵まれていない平均的アメリカ人の姿である。そのような状態で、「エノラ・ゲイ」論争が行われたことを我々は知る必要がある。

 そういう人々にとって、「エノラ・ゲイ」論争は、歴史家にとって危機であったのと同じように、身近なところで起こった大事件であったと思われる。そのひとつの反応は連載第1回で紹介した「修正主義」への反発である。「修正主義」歴史家やスミソニアン博物館学芸員に対する彼らの苛立ちの気持ちはさらにいろいろな形で表現された。次回は、一般のアメリカ人が歴史、特に、身近な歴史に対して抱いている独特の思いを分析することにする。

(インディアナ大学にて=山倉明弘)