Letter from Merida

マヤ・イメージの相対化作業

 さて、メリダにおける1年間の在外研究期間が終わった。したがって「メリダからの手紙」もこれで最終回ということになる。そこで、ここでは1年間の総括と今後の研究プランについて記しておきたい。

 筆者の研究テーマはひとことで言うと、従来の「インディオ」観の相対化作業ということになるだろう。ユカタン半島にはおよそ70万人のマヤ系先住民(ユカタン・マヤ語を話すひとびと)が居住している。ユカタン・マヤがひとつのエスニック集団であるかどうかは疑問であるが、白人もしくはメスティソなどの「非インディオ」系住民の側からは「マヤ」はひとつの集団としてイメージされてきた。そのイメージの内容はあえて単純化して言えば「反乱の伝統をもつ好戦的で油断のならない民族集団」といったところであろうか。メリダ市の中央広場に面するユカタン州政庁舎の2階メイン・ホールにはいくつかの壁画が飾られている。そのモチーフは、「征服戦争」「精神的征服」「プランテーションにおけるマヤの奴隷化」「インディオ反乱」「反乱指導者の処刑」などである。あきらかに、白人によるマヤ系先住民の抑圧と搾取の実態、それに対するマヤの反乱およびその鎮圧という図式がみられる。

 とりわけ植民地期において、少数の白人支配層とそれをとりまく圧倒的多数の被抑圧者としてのマヤ系住民の存在という支配構造は、いつ日常の憎悪が爆発して白人皆殺しの「カスタ戦争」が勃発するかもしれないという恒常的恐怖心を白人のあいだに生んだ。その恐怖が壁画に表現されているということは、逆説的であるが、その恐怖が克服されて過去化されている証拠である。つまり、現在では古代マヤ文明の残したピラミッド群とともに「カスタ戦争」も過去のものとして観光資源化されている。米国人歴史家ネルソン・リードの書いた『ユカタン・カスタ戦争』という本が民芸品にまじってメリダの土産店にひらづみされていることがそれを物語っている。メキシコ国家の中核を占めるメスティソにとって、現在のマヤ系住民はすでに抵抗の意志も活力も喪失した「文明」に「飼い慣らされた」存在であるとイメージされている。したがって「カスタ戦争」の観光資源化は国家側の勝利宣言でもある。

 しかし、その安心感をゆさぶる事件が1994年初頭に近隣のチアパス州で起こった。言うまでもなく、サパティスタ民族解放軍による武装蜂起である。このマヤ系先住民による抵抗運動は、ふたたび「カスタ戦争」の恐怖を呼び覚ましたのである。

 さて、サパティスタの問題に深入りせずに研究テーマの話しにもどろう。反乱の伝統をもつマヤ系先住民というイメージは、かずのうえでマイノリティである白人が恐怖のあまりねつ造してきたものではなかったか。たとえば反乱の伝統をもつマヤという根拠のひとつとなる16・17世紀の戦闘は、じつは反乱ではなく「征服戦争」であった。メキシコ中央部のアステカ帝国とは異なり、中央集権的政治構造を欠いていたユカタン・マヤの征服は長期化せざるをえなかったのである。また、現在では小説や戯曲の題材とされ伝説化されている1761年の「ハシント・カネクの反乱」が、ほんとうに計画的で広域なマヤの反乱であったのかは疑わしい。じつは、村祭りで酔っぱらった数人のマヤが酒の販売を拒否した白人の商人を殺したという、とるにたりない事件ではなかったのか。つねに反乱に恐怖を抱く白人支配者側がかってに大がかりな反乱という幻想をもって過剰反応したのではなかったか。マヤ人のたった一人の抵抗もスペイン人にとっては全インディオが白人皆殺しをめざす反乱だとみなされるのである。

 メリダの中央広場に面するモンテホの家のファサードには、スペイン人征服者がマヤ先住民の頭を踏みつけている彫刻がほどこされている。これは少数の白人支配者がそれをとりかこむ圧倒的多数のマヤに対する恐怖心の裏返しであるともいえよう。

 現在の歴史家たちも良心的であればあるほどインディオの歴史的主体性を反乱などの抵抗行為にみいだす傾向があり、白人支配層が誇張して残したかもしれない資料を無批判で受け入れがちである。ユカタンの白人支配層が抱いたマヤに対するイメージ、およびそれによってゆがめられた歴史像は一種の「オリエンタリズム」であり、それを相対化していく必要性を痛感しているのである。      

(初谷譲次)