Controversy

『エノラ・ゲイ』論争にゆれる米史学界

3. 歴史は誰のものか

プロフェッションの危機

 米国史上、もっとも成功したプロフェッション(知的専門職)は法律家と医師の専門家集団であろう。リチャード・エイベルはマックス・ウェーバーの理論を援用して両者が専門職として成功するのに必要な条件を論じている。両方に共通するのは、市場の掌握と集団的階層上昇である。市場の掌握に有効な手段は、参入資格を厳しくすることで、これは主として高い学歴、学位を高等教育機関から取得することを義務づけることにより達成された。さらに両プロフェッションはその社会的地位を高め、維持するため、すなわち集団的階層上昇のために、学位取得後も、ある一定期間、病院や弁護士事務所で見習いとして厳しい訓練を積むことを義務づけた。Richard Abel, American Lawyers (New York: Oxford Uni-versity Press, 1989), chap. 2.

 こうしたプロフェッションの慣行は、彼らが享受する高い所得や社会的地位、特権を正当化するのに役立つであろう。また高度な専門知識・技術は、素人に「専門家に口を出させない」ことを可能にする。その狙いの成功が今日の両プロフェッションに成功をもたらしたと筆者は考える。

 以前も紹介したピーター・ノービックの大作 That Noble Dream: The メObjectivityモ Question and the American Historical Pro-fessionには、米国歴史家集団のプロフェッション確立の歴史が詳述されている。それによると1880年代に確立された歴史プロフェッションは「客観性」と「主観性」という相反する2つのテーマの間で揺れながら発展した。1960年代にはいると混乱、対極化、不確実性が顕著になり、歴史プロフェッションは多くのサブフィールドに多極・分断化された混沌の時代を迎えている、というのがノービックの主張である。

 「エノラ・ゲイ」論争はこうした状況下で歴史プロフェッションにとってどのような意味を持つのであろうか。「専門家に口を出すな」は今日の米国の歴史家集団にも当てはまるのだろうか。

 「エノラ・ゲイ」展示計画を作成した航空宇宙博物館のハーウィット館長が辞任し、米国上院がスミソニアン協会運営に関する公聴会を開いたのと同じ1995年5月、プロフェッションとしての歴史家集団にとって厳しい事件がもう一つ起こった。

 クリントン大統領が米国公文書館館長として、彼のカンザス州での大統領選挙運動を支援した元カンザス州州知事ジョン・カーリンを指名した。公文書館は歴史文書として貴重な公文書の管理を行う政府機関で、独立宣言や合衆国憲法などの重要な文書を保管し、9つの大統領図書館を管理するだけでなく、連邦政府機関が生み出す膨大な文書のどれを破棄し、どれを保存し、どれを公開するかを決定する。

 この重要なポストに歴史や公文書を扱った経験のないカーリンを指名することに対し、3つの歴史学術団体、The American Historical Association, The Organization of American Historians, The Society of American Archivists が反対した。これらの団体は、公文書館館長は「公文書館の責務と責任を果たすプロフェッショナルな資格のみに基づいて」選ぶことという1984年の法律にカーリンの指名は違反していると批判した。しかし、その意見は聞き入れられなかった。

 このポストは行政府高官であるので米国上院の承認が必要である。その公聴会の席上、共和党の大統領選候補ボブ・ドール上院議員(カンザス州)はこのポストに政治家を任命することに賛成する理由として、「戦争は、将軍だけに任せておくにはあまりに重要であると言われる。同様に、充分な敬意を以て、歴史はプロの歴史家にまかせておくには、あまりに重要であると言いたい」と述べたのである。ボブ・ドールが共和党保守派の政治家であること、第2次世界大戦で片腕を失ったことを考えると、これは興味深い発言である。(以上、カーリン指名・承認に関しては The Washington Post, 6 May 1995, p. A2, The New York Times, 21 May 1995, Section 4, p. 16; The Kansas City Star, 24 May 1995, p. A5 を参照。)

 プロフェッションとしての米国歴史学界は現在の分断化・混沌に加えて「歴史家に口を出す」風潮という二重の負担を抱えているように思える。その端的な例が「エノラ・ゲイ」論争である。

 レベルの高い落ちついた論評で知られる『ナショナル・パブリック・ラジオ』は1995年2月5日のダニエル・ショールの放送で、歴史は今日、学者のものではなく、人々は自分の歴史観を主張していると述べた。この「人民の歴史」対「学者の歴史」のもっとも鮮烈な対決が見られたのが、「エノラ・ゲイ」展示論争であったとショールは論評した。

歴史への高い関心

 実際、プロの歴史家に口を出すという風潮に加えて、この20〜30年、アメリカ人の歴史に対する関心は高く、特に1990年代に入るとアメリカ人の歴史への関心の高さを示す事例が数多く現れている。昨今の家系を遡る試みはその一例である。以下にアメリカ人の歴史に対する関心の高さを顕著に示す例をいくつか挙げてみる。

1. 「ディズニーのアメリカ」テーマ・パーク論争

 1993年11月、ウォールト・ディズニー社はバージニア州マナサスの近くに歴史テーマ・パークを建設すると発表した。首都ワシントンに隣接したこの地域は、20の歴史的町並みと18の南北戦争古戦場を有する歴史遺産豊かな地域である。ディズニー社は、著名な歴史家を顧問に迎えて計画を立案した。翌年3月にはバージニア州知事の支持で州議会が1億6,320万ドルの助成を承認した。この計画は、しかしながら、歴史保存運動家、歴史家、ジャーナリストを中心とした反対運動を引き起こした。草の根の運動の広がりに、企業イメージを懸念したディズニー社は、1994年9月、計画を他の土地に移すと発表した。

2. 歴史保存ブーム

 歴史的遺産を保存しようとする動きはディズニー計画への反対運動だけにとどまらない。歴史保存ナショナル・トラストという保存団体は、ディズニー社の計画にあった地域も含めて最も深刻な危機に瀕している11の歴史地区を制定し保存運動を展開している。中でも注目を集めているのが、カリフォルニア州ダウニーのマクドナルド・ハンバーガー発祥の店の跡である。

 歴史保存ブームの最も顕著な例は、南北戦争の戦闘の再演であろう。南北戦争の古戦場のあちこちで行われ、なかなかの盛況である。(以上、1と2に関しては主に CQ Researcher, "Historic Preservation," October 7, 1994, vol. 4, no. 37. を参照)

3. ヒストリー・チャンネルの成功

 ケーブル・テレビの24時間歴史専門チャンネルが好調である。ヒストリー・チャンネルは、歴史上の事件や人物に関するドキュメンタリー、映画、ミニシリーズを放送するチャンネルとして100万件の視聴契約で1995年1月に放送を開始した。100万件というのは「極めてささやかな契約数」だった。当初は、年末までに450万件の視聴契約を見込んでいたのだが、1996年5月の時点で1,800万件に達し、年末には2,000万件、そして20ヶ月後には3,000万件を突破する見通しであった。

 この成長は、新しいケーブル・チャンネルが次々と放送を開始し、激烈な競争が行われる中で達成された。今や視聴者は、ヒストリー・チャンネルを、好きなチャンネルのトップにあげるようになっている。経営陣は、アメリカ人の間に自分たちの過去を知りたいという欲求が高まっていると確信している。ヒストリー・チャンネルの依頼で行われた1年間に渡る調査では、18歳以上のアメリカ人の半数が現在、5年前よりも歴史に関心を持っているということが明らかになった。(以上、ヒストリー・チャンネルに関しては Los Angeles Times, 28 April 1995, p. D4; The New York Times, 20 May 1996, p. D1; Chicago Tribune, 31 May 1996, p. 4 を参照)

4. 米国史「ナショナル・スタンダード」論争

 1983年米国教育省は A Nation at Risk という報告書を発表し、米国の学校教育を全般に渡って批判した。中でも最も厳しく批判されたのは歴史教育の不充分さだった。1992年12月米国政府は公立学校での米国史と世界史の「ナショナル・スタンダード(国民的基準)」策定をUCLAのNational Center for History in the School に依頼し、その助成を発表した。「ナショナル・スタンダード」は1994年10月に発表されたが、正式発表以前から、「政治的正しさ」を狙っていると批判された。第3世界やマイノリティーに対する配慮が厚すぎて、伝統的西洋文明や米国史上の偉大な人物があまりにも軽く扱われているというのである。

 翌年1月、米国上院は UCLA の発表したスタンダードを非難する決議を99対1で採択した。歴史家ピーター・ノービックは「現在の歴史学界の産物」であるナショナル・スタンダードが上院で99対1で非難されたということは、「歴史学界に対する大衆の非難」と見ることができ、「米国史上これほどの非難を私は知らない」と述べた。(ナショナル・パブリック・ラジオ、1995年3月28日放送)

 こうして見てくると米国国民の歴史への関心と歴史家への厳しい目が相当のものであることが分かる。しかし、米国国民が歴史に関心を持ち、また歴史遺産を保存したいという気持ちはよく理解できるとしても、「エノラ・ゲイ」展示計画を非難して中止に追い込んだり、多数の歴史家を動員して作成した「ナショナル・スタンダード」を非難したりするほど、米国国民が自国の歴史をよく理解しているのだろうか。「エノラ・ゲイ」にまつわる歴史を多角的に冷静に論議できるほど、アメリカ人は自国の歴史をよく把握しているのだろうか。

 この疑問に答えるためには、アメリカ人の受けている歴史教育の実態に目を向ける必要がある。「エノラ・ゲイ」論争でアメリカ人が見せた感情的・愛国的議論に感情論で応じるのはやさしい。正義感に訴える日本人が出てくるのもやむを得ない。しかし、アメリカ人の歴史認識を理解せずして、「エノラ・ゲイ」論争の意味を理解するのは無理であると筆者は考える。

(インディアナ大学にて=山倉明弘)