Special to the Newsletter

アン・ライスをご存じですか

            木 村 治 美

 みなさんはアン・ライスの名前をご存じだろうか。私が個人的にうかがったかぎり、といっても十指にとどまるていどだが、どなたも知らないとおっしゃった。アメリカの文学研究者も、地域研究をされているかたも。

「ほら、『インタビュー・ウイズ・ヴァンパイア』という映画の原作者ですが・・・」

「ああ、トム・クルーズの・・・」ということになる。

 アン・ライスの本は、アメリカでは新作が出るたびに大ベストセラーになる。ニューヨークの書店に入ると、彼女の本は山積みである。昨年、吸血鬼もののシリーズが完結したのを機会に、大部な作品を読むための手引書『ヴァアンパイア・コンパニオン』という分厚い本が出版されたほどである。

 彼女はヴァンパイアものと平行して『魔女の刻(とき)』から始まる魔女ものも書き進めていた。こちらも完結したといってよかろう。

 日本でもアン・ライスの本は出版されるとすぐ翻訳され、それぞれハヤカワ文庫、扶桑社、徳間書店から、そう、すでに20冊くらい出ている。おもに若い女性たちのあいだでかなりの人気がある。

 しかし、文学者や研究者が、彼女を研究対象にした例は知らない。書評としてとりあげたことさえ、あったとは思われない。一度、BSのインタビューに登場したのをみたというひとがあったが、それはアメリカでのあまりの人気ゆえの取材だったのではあるまいか。

 日米のこのちがいを、私なりに分析してみよう。アメリカでは、スティブン・キングがホラーの代表選手であるのにたいして、アン・ライスはゴシックの女王といわれている。日本の文庫では、ミステリーやホラーとして分類されているようだ。これらは、なぜか日本では真面目な研究対象となりにくいようだ。とりわけ、彼女がテーマとしている吸血鬼とか魔女には、特別なきわもの的な先入観がもたれているようである。しかも、日本文化の中には存在しないものなので、いまひとつ親しみにくい面があることも否めない。

 しかし、そういった偏見が、アン・ライスにたいする正当な評価のさまたげになり、ひいてはアメリカ理解の重要な部分を欠落させることになるとしたら、まことに残念にである。彼女の作品が親しめないというのは、アメリカがわからないに等しいと私には思える。

 アン・ライスについて簡単に紹介する。1941年生まれだから、いま五十代後半というところ。ニューオリンズに生まれ育ち、いまも住んでいる。ここを舞台にすべての物語は展開する。ニューヨークも登場する。いずれにせよ、「ああ、あの建物、この町角」とわかる実在のロケーションである。これはキングの場合も同じで、吸血鬼にしろ魔女にしろ、作家の日常生活と密着しているということだ。私はこれこそアメリカの精神状況を物語る有力な証拠になりうると考えるが、ここではふれまい。いずれにせよニューオリンズはアメリカの中でもユニークな地域であり、彼女のファンタジーの質と才能はこの町の雰囲気と切りはなせないだろう。

 五歳の愛娘が白血病になったのがきっかけで、アン・ライスは本格的な著作活動に入る。それがヴァンパイアものであった。そうきくと、みなさんは「なるほど」とわかった顔をされるが、それほど底の浅い話ではない。映画でも、主人公ルイの苦しみがどれほど日本の観客に伝わったか気になる。吸血鬼というイメージだけが先行したのでなければ幸いである。

 ヴァンパイア・クロニクルの主人公は、ルイではなくレスタトである。完結編は『悪魔メムノック』といい、レスタトはメムノックの導きで天国と地獄と煉獄をへめぐる。ダンテの『神曲』の20世紀版といえる。こう書くとおそらく反論があるにちがいない。ダンテという古典をしのぐものが生まれようはずがない、と。

 しかしそういう偏見、もしくは先入観から自由になり、アン・ライスの『悪魔メムノック』を虚心に読めば、そのイマジネーションの豊かさ、ことばの美しさ、そしてその思想性に圧倒されるはずである。

 作者はなにをいいたかったのだろうか。私はアメリカ人のアイデンティティ追求の姿勢が、ここまで徹底していることに敬服する。宇宙の秘密をさぐりたい、人間はどこからきて、なんのためにこんなにも苦しんで生き、魂は死んだらどこへ行くのか。「現代の人間はみな神を憎んでいる」とまで彼女は作品の中で、レスタトにいわせている。

 ここに登場するヴァンパイアたちは、知性をもち、人間的な感情がある。善悪の判断も悔恨の情もある。自分たちは知を吸いつつ永遠に生きなければならない運命を受けとめている。

 たしかに日本の文化とは異質の世界ではある。しかしそれだからこそ知らなければならないのではないだろうか。神話や伝説をもたないアメリカという人工的な国は、このようにしてファンタジーの世界をつくりだし、光と影をとりこんでいかなければならない。したがってヴァンパイアや魔女は、ヨーロッパのそれとも違うことに気がつきたい。わが町の、わが家の、わが心の中に住む影なのである。        

(共立女子大学国際文化学部教授)