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冷戦後のアメリカ像

                     五十嵐 武士

 20世紀は「アメリカの世紀」と称されたが、冷戦が終結して20世紀の世紀末を迎えたいま、「アメリカの世紀」もまた幕を閉じようとしているのであろうか。クリントン政権は、冷戦後に成立したアメリカの初めての政府であった。この政権の発足当初一、二年の対外政策をみていると、アメリカ経済の再建を重視するあまり、日本との経済摩擦を深刻化させる一方、ソマリアやボスニア問題では、地上軍を派遣するのに消極的な姿勢をみせるなど、「アメリカの世紀」も冷戦の時代とは大きく様変わりしたと感じさせられることがしばしばだった。

 それではアメリカはもはや超大国ではなく、最強の大国にすぎなくなったと言いきってしまっていいものなのか。この点については、東アジアの国際情勢をみても、アメリカの主導権が依然として不可欠であり、簡単にそうは言えないということになろう。しかし、そうだとしても、果たして「アメリカの世紀」とまで言う必要はあるのだろうか。この問いに関しては、国際的主導権とは別に、アメリカの国際的な価値に関して改めて考えてみる必要があるように思われる。

 アメリカ人は今でもNo.1だと考えている。そのもとになっているのは、アメリカ例外主義の考え方である。これはもともと、ヨーロッパの知識人が「新大陸」に抱いた憧憬を受け継ぐものであった。16世紀のトマス・モアの『ユートピア』は、その代表的な例である。18世紀の独立宣言では、なぜ独立するかを人類に説明すると表明したが、それはアメリカ人自身がアメリカの国際的な価値を自負していたからにほかならない。19世紀にフランスの貴族トックヴィルは、アメリカの民主主義をヨーロッパの将来を先取りするものとみて、アメリカの国際的な価値を再発見した。20世紀になると、今度はアメリカ人自身が国際的な事業に乗り出し、ウィルソンは国際連盟の創設とともに民主主義の息吹を世界中に伝播した。第二次世界大戦ではローズヴェルトが、民主主義の防衛のためにドイツのナチズムや日本の軍国主義を打倒した。クリントン政権が冷戦終結後も、世界中への「民主主義の拡大」を外交目標に掲げているのは、この例外主義を継承しているからである。

 「アメリカの世紀」の考えも、この例外主義の伝統に深く結びついていたと言ってよい。しかし、民主主義が普及している現状から言えば、この点でアメリカの国際的価値を改めて確認してもそれほど目新しいとはいえないであろう。もっとも、アメリカの例外主義にはこれと別の系譜もあり、最も代表的なのが「豊かな国」というものである。これとてもアメリカの経済がかつてほど圧倒的でなくなったことから、あえて取り上げる必要もなくなっているであろう。ただし、この点にも関連しながら、アメリカが今なお毎年100万人前後の移民を受け入れているのは、国際的にみても特筆に値すると言えるのではないだろうか。1991年にその数は、180万人を優に超えるほどであった。

 現在すでに移民制限の動きが生じており、このような寛大な政策がいつまで続くか分からない面もある。またシュレジンガーが『アメリカの分裂』という刺激的なタイトルの著書を出版したように、西欧から受け継いだ伝統をどれだけ重視するかをめぐって、少数集団系の知識人との間で激しい多文化主義の論争が繰り広げられているのも事実である。しかし、この多文化主義の論争は、当事者でない第三者の立場に立ってみれば、アメリカの新たなアイデンティティを生み出す過程での「産みの苦しみ」のような感じもあり、その知的なたくましさには敬意を表したくなるような迫力がある。この点は、日本の議論とはかなり性格が違っているといえよう。

 歴史的にみても、アメリカは政治的な論争を通して新たな思想を生み出してきた。シュレジンガーが言うように、現在の論争が民族紛争を克服した多民族社会のあり方を示す何らかの結論に達するようであれば、冷戦後の世界が直面する課題に応えることになる。そのときアメリカは、人類に再び模範を示す可能性を秘めているといえよう。それがまた、「アメリカの世紀」と呼ばれるようになるかどうかは分からない。しかし、それにはそう呼ばれるだけの価値があるように思われる。

(東京大学法学部教授)