Lateral Thinking

ダイアナとアングロサクソン

 元英皇太子妃ダイアナの葬儀をテレビで見ながら、およそ日頃の英国の伝統やしきたりとは違いすぎる進行に思わず目を疑った。アメリカスどころか、日本でも考えられない異例づくめのやり方である。

 不倫や上流社会の生臭いゴシップは別としても、バッキンガム宮殿周辺への花束の山、弔辞や追悼歌への万雷の拍手、完全に脇役に回らされた王室の面々・・・。英国民の王室に対するアングロサクソン流の批判、いいかえれば革命思想のない国での「革命」の意思表示ではないかとさえ思った。涙々の連続で、怒りの表情はまるでみられなかったが、弔辞などで語られている言葉は明らかに王室に対する積極的な主張だ。

 記帳と献花のためセント・ジェームズ宮殿に来た人々の72%が次期王位後継者として、チャールズ皇太子ではなく、ダイアナの息子、ウィリアム王子を選んだ。皇太子自身に昔から愛人がおり、弟のアンドルー王子はセーラー妃と離婚、妹のアン王女はロレンス中佐と離婚といった「王室相関図」では弁解の余地がない。

 その国民感情の変化に王室が気付かないはずがない。一年前、「ダイアナは離婚したのだから、以後her royal highness(王室の敬称)と呼ぶわけにはいかない」といった女王自身が、この45年間に例のないテレビでの個人的なお言葉で「ダイアナの生命と遺したものから学ぶべきものがあることを知りました」と国民に述べた。一種のconcede宣言である。

 では、これは英国の君主制の崩壊の始まりだろうか。そうは単純に思わない。

 これに匹敵する事件といえば、七つの海を支配した大英帝国のゆらいだ時だろう。1920年代末、カナダやオーストラリアなど白人系の植民地が完全独立を求めてきたとき、英国は「英連邦」という共同体の発想を思いつき、英国の国王を形式的な元首と認めるなら独立を承認しようといい、大英帝国としての面目を維持するのに成功した。第2次大戦後、インドやパキスタン、セイロン(現スリランカ)など非白人系の植民国が独立を要求したときには、英国の国王を、元首としなくとも「英連邦」の象徴として認めるなら、独立していいとして、「英連邦」体制を維持した。今でこそ「英連邦」の政治的、経済的価値に昔日の面影はないが、アングロサクソンのthink unthinkableの知恵は恐るべきものだ。

 英国が今回の君主制の危機をどう乗り越えるか、だれかが何かを考え出すのだろう。今回の葬儀の陰の演出家がだれか(一部はブレア首相)分からないが、女王にテレビ出演をさせたり、ウェストミンスター寺院への行進のさい、棺、チャールズ皇太子ら王族の後に慈善団体の代表約五百人を「緩衝材」とした並べた知恵は見事である。

 1965年、第二次大戦の英雄チャーチルの葬儀が行われたときのことを思い出す。当時の儀式としては最高の「国民葬」だったが、彼が埋葬されたのは、オクスフォードシャー州ブレイドンの小さな教会の裏庭にある両親の墓地の隣で、指摘されなければ分からない場所だった。そこからははるか彼方に、チャーチル一族の「本家」のブレナム宮殿がそびえていた。君主国、英国では、英雄チャーチルも平民(commoner)ゆえにこの抜きがたい差をつけられるのかと考えさせられた。

 考えてから走り出すフランス人とは違って、「歩きながら考える」アングロサクソンのこと、じっくり時間をかけて王室と国民の関係修復の知恵を考えるだろう。しかし、今回のダイアナ妃の葬儀で国民がはっきりと示した王室批判をかわすのは容易ではないかもしれない。   

(北詰洋一)