Lecture

「学校スポーツではサッカー強くならぬ」

セルジオ越後氏語る

「日本では学校スポーツでやるから、サッカーが強くならない」ー日本の青少年サッカーを育ててきた日系ブラジル人サッカー解説者、セルジオ越後氏は、さる6月14日天理大学での『サッカーに見るブラジルと日本』と題する講演で、両国の文化の違いを辛口で分析した。これは天理大学アメリカス学会と国際文化学部ブラジル学科の共催で開かれたもので、地元の高校生大学生ら約150人が熱心に聞き入った。以下はその講演の一部である。

◇私は日本へきてすでに25年、北は稚内から南は石垣島まで、日本国中くまなく歩き回り、若者たちにサッカーのコーチをしてきた。ブラジルは世界中の人たちが集まってできた国なので、国民を一つにするのに苦労した。その国造りで役に立ったのはサッカーだ。世界一になることで、ブラジル国民は大変な自信をもった。その点、ほぼ単一民族でできている日本では、どうもスポーツがナショナリズムの高揚につかわれていないようだ。

◇ブラジルではサッカーは遊びの一つ、学校ではスポーツはやっていない。学校は少なく、しかも三交代で教育が行われていることが多いから、学校ではできない。マンションが出来上がっても小学校ができないと入居ができないという日本の施設優先の社会、ブラジルでは考えられない。ポピュラー・スポーツの条件は「だれでも」「いつでも」「どこでも」出来るということ。子供たちがサッカーをやるのは公園であり、野原だ。だんだんチームらしくなると、シャツ(ユニフォーム)を買い、ソックス、シューズと順番に揃えていく。こうしてブラジルのサッカーは強くなった。

◇日本のサッカーは学校スポーツである。学校は組織であり、校則があり、役割があり、ルールがうるさい。公園にはルールがないし、サッカーはそれぞれの考え方、想像力で決まるスポーツだ。ブラジルのサッカーには先生と生徒という考え方はない。友達や先輩を見習い、一緒にやりながら考える。能力の差だけがものをいう実力社会だ。日本では先輩後輩の順序がうるさい。上手な後輩が下手な先輩のいうことを聞くから強くなれない。

◇ルールは利用するためにある。その証拠にファウルがあっても試合を中断しない「アドバンテージ」というのがある。ルール違反を奨励するわけではないが、駆け引き、要領が試合の中でとても重要だ。一生懸命やることが試合のマナーであり、負ければふてくされればいい。なぜか子供たちは試合の前に相手に「お願いします」と頼み、終わったら負けても「有り難うございます」と感謝する。これはブラジル人にはさっぱり分からない。かれらは自分たちもよく分からずにやっているのではないか。

◇とにかくサッカーがうまくなるためには、まず疑うことからはじめなさい。疑問があれば、監督でもコーチでも、こわがらずに質問し、納得いくまで議論すること。規則にとらわれずに、楽しみながらプレーすることがなによりです。