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感覚的異国体験

福 田 陸 太 郎

 終戦後まもなく、まだアメリカ文学研究というものがわが国に根を下ろしていない頃、私が初めてアメリカの文学に関心を持つきっかけの一つとなったのは、たわいない話だが、ある都市のスカイラインが本の表紙に描かれているのを見て好奇心をもったことであった。

 その都市とは、テネシー州ナッシュヴィルで、私はなんの予備知識ももっていなかった。あとで知ったが、そこには南部有数の大学、ヴァンダビルト大学があり、いわゆるニュークリティシズムの批評家を輩出した所であり、のちに安岡章太郎の『アメリカ感情旅行』の背景になった街でもあった。

 こういう感覚的ともいえる異国体験は、初めて外国の土を踏むときによく起こる。空港に外国人が到着すると、報道記者たちが、この国の印象はいかがですか、などとたずねることがあるが、着いたばかりの人に向けてのそういう質問はむりなことは判りきっている。

 いずれにしても、空路による到着は味気ないもので、その点、昔のように船旅をして異国の港へ着くのが趣があるように思う。ドーヴァー海峡を渡ってイギリスの白亜の崖を望んだり、ゴールデンゲート・ブリッジをくぐってサンフランシスコへ近づいたりするときの胸のときめきを味わった人々も、私の世代には多いだろう。ラフカディオ・ハーンが太平洋の船上から富士の嶺を仰いだときの印象もよく知られている。そこには、活字だけから知識を与えられて異国を知るのとは違う感懐があるにちがいない。

 こういうことを書き出したのは、アメリカの女性詩人、エリザベス・ビショップ(1911-1979)の作品「サントス到着」を取り上げてみたいと思ったからである。この詩はニューヨークから乗船した二人の旅人がサンパウロの外港サントスへ着いたときの印象を描いたもので、作者お気に入りの作品らしく、新しい詩集を出すときに再録したりしている。

 それは一節4行から成る10節40行の詩で、その内容をかいつまんで散文的に述べると次のようになる。bbニューヨークを出てから18日の船旅の間、水平線ばかりの単調な景色だった。船は今やっと南米のサントス港に入ろうとしている。異国の風物がパノラマのように片端から目にとび込んでくる。一つの山頂の小さな教会、うすピンクかブルーに塗られた倉庫群、丈高いひょろひょろした椰子の木々。はしけがやってくる。奇妙な舟で、派手な旗をなびかせている。

 私と連れの婦人ミス・ブリーンはうしろ向きにはしごをを下りる。26隻の貨物船の真只中へ。それらは緑のコーヒー豆の積み込みを待っている。そら、気をつけて!ボートのかぎがミス・ブリーンのスカートに引っかかった。港とは必要なものだ。でも外面を気にしない。切手や石けんのような目立たない色だ。石けんのように磨滅し、船の上で書いた手紙を投函するときの切手のように剥がれる。当地のノリが極めて粗悪であるためか、暑熱のせいで。私たちは直ちにサントスをあとにする。内陸へ向かって車を走らせる。bbこれが最終行。

 こうした船旅のあとの上陸は、サントス港に限らず、どこでも似たようなものだが、ビショップにとっては、それは特殊な結果をもたらした。彼女はこうして1951年リオデジャネイロに友人を訪ねたとき、カシューの実を食べてアレルギー中毒を起こして数週間入院しているうちに、ブラジルの魅力にとりつかれて定住を決意、リオおよび近くの山中のペトロポリスに15年間住みつくことになる。サントス入港のときの第一印象が尾をひいて、彼女の人生に大きなかかわりをもつことになったと言ってよい。

 元来、ビショップは北米のマサチューセッツ生まれで、幼時はノヴァスコシアで育った。北方の人が南方の風土に惹かれたというのはあり得ることである。彼女を一躍有名にした処女詩集『北と南』(1946)の題名は象徴的である。ビショップは最晩年、ボストンに住み、マサチューセッツ工科大学などで詩作のコースを教えたが、とにかく20世紀アメリカ詩にユニークな足跡を残したこの詩人の第二の故郷はブラジルであった。

 私は1973年9月、国際哲学人文科学協議会(CIPSHと略称)がリオデジャネイロで開かれたのに出席。会議後ビショップの住まいのあったペトロポリスを訪ねるため、タクシーをとばし、リオ近郊の深山幽谷の道を走ること1時間位、鬱蒼と茂った森林を出はずれたとき、眼前にその街が出現した。軽井沢を思わせるような瀟洒たる別荘地で、最も洗練されたリオの社交場であり、劇場や映画館があり、美しい教会があったし、陶器とチョコレートと綿布の工場もあった。自然と人間生活、素朴と文明が快く融け合った適正規模の生活環境が見てとられた。私は、この地を選んで住んだビショップはさすがに目が高いと思った。

 ビショップはここにいる間に『旅の質問』(1965)という詩集を出しているが、南米大陸に千古の昔から流れる滝、奇妙な鳥や石細工、異様な日没、政治家のスピーチみたいな雨の音などを見たり聞いたりするために旅に出ることが、果たして想像力に欠けているためなのかと自らに問うている。そして新奇なものを自らの目でたしかめようと決意する心境を語っている。知識と並んで人間の感覚が、文学者の異国体験や外国のイメージ形成に力を及ぼしているのではないかと私は思う。               

(東京教育大学名誉教授)