Lateral Thinking

苦悩する日本のアメリカ研究者

 4月はじめ、東京・六本木の国際文化会館で行われた「日本のアメリカ研究:現状と課題」というテーマのシンポジウムに顔を出した。斉藤真(東大名誉教授)、五十嵐武士(東大教授)、阿部斉(放送大学教授)の諸先生ら日本のアメリカ研究者のそうそうたる面々が雛壇に並び、壮観だった。

 議論が進むうち、日本のアメリカ研究者たちのこれまでの苦労が如実にでてきたが、いまなお難問を抱えて反省し苦悩する姿を見て、身の引き締まる思いがした。

 中、高校教育でのアメリカ史の事実上の欠如は、世界史のセンター入試でのアメリカ史軽視、それに伴う予備校での無視による結果と指摘(教育プログラム調査部会報告)されると、わが学生たちのアメリカ史の「無知」も安易に非難できない。世界史、西洋史の中で「アメリカ」はいまでも冷や飯を食わされている学問の世界とアメリカ史についての一般書が容易にベストセラーになる現実の落差に当惑してしまう。

 一方、研究活動の歴史をみると、アメリカ研究の「東京セミナー」「京都セミナー」「札幌セミナー」と戦後着実に成果を上げているが、日米関係が緊密化するにつれてアメリカ研究セミナーにたいする社会的要請が弱まっていき、またセミナーにアメリカの官民両面からの協力があったことへの批判もでてくる。研究活動が充実するといきおい細かい専門分野の研究に入る傾向が強まり、アメリカ研究の啓蒙性と専門性、総合性と専門性の調和が難しくなる(研究者育成プログラム部会報告)という。

 その点、大きな成果を上げてきたセミナー形式の研究活動について、同報告は長期的視野に立った研究者の養成のため、高校生向けの連続講演会や実業界、政界、官界、ジャーナリズムの世界との意見交換などの必要性を提唱していた。とくに五十嵐教授が「一般相手にわかりやすい、(ガルブレイス氏のような)評論家的な研究者を育成することが必要である」と強調していたことが注目された。

 また同報告は最後に、転機にたつアメリカ研究を積極的にすすめるため、さまざまな地域の、さまざまな世代の、それぞれ研究領域を異にするアメリカ研究者たちが討論することを期待すると述べている。

 この日のシンポジウムではアメリカ文学は取り上げられなかったが、故福田恆存氏がヘミングウェイの『老人と海』を翻訳しての後書きで「この本を読んだとき、アメリカ文学も(やっと)ヨーロッパ文学の同じ次元に達したといえる」と書いていたのを思い出した。

 日本でアメリカ文学を研究する人たちが、長い間学問的に英文学の片隅で寂しい思いをしてきたことはつとに知られているが、「ヨーロッパは精神文化、アメリカは物質文明とみる傾向が残っていて」(斉藤氏)アメリカに精神文化がなかなか育たないという偏見がなお根強いのだろうか。同時に「アメリカ文化があまりに身近になったために、基礎学問としてのアメリカ学にたいする学生の関心が薄れていく」現状との狭間で、われわれがやらなければならないことは少なくないようだ。                        (北詰洋一)