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南北アメリカ大陸の近代

                   野 村 達 朗

 愛知学院大学の野村達朗教授は昨年11月16日天理大学で行われたアメリカス学会の年次総会で「南北アメリカの近代」と題する特別講演を行った。教授は、成長過程の南北アメリカをクローズアップし、歴史、人種、そして社会制度の各分野に焦点をあて考察する方法を示唆した。以下はその概要である。

 南北アメリカの近代を語る上で、忘れることができないのが「近代世界史」bつまり複数の世界史から単一の世界史への形成の変化である。昔世界は一体ではなかった。相対的に完結した複数の世界は、個々に様々な世界史を形成していた。中国を中心とした東アジア世界、インドを中心とする南アジア世界、中東や北アフリカを中心とするイスラム世界、そしてキリスト教的ヨーロッパ世界。こういった国々がもつ異質なものが、複数の世界史を形成していった。

 やがてコロンブスのアメリカ到着をまって、歴史の新しい時代が幕を開けた。それぞれ別々であった諸地域が一体化していった。この「近代化世界システム」は一つの構造の下に世界を編成するものだった。つまり、世界の諸地域は一つの経済的な分業関係に編成され、その分業が国際的な支配と従属の関係を形成した。世界を支配する「中心」地域と従属する「周辺」地域とに分かれた。そしてこのシステムの成立は、人間の滔々たる移動が世界的に展開される時代の到来を意味した。そして、このような世界的な動きが背景となり、南北アメリカの近代が築きあげられた。

 まず、ラテンアメリカにおいて特徴づけることができるのは、この大陸が「混血大陸」であることだ。ラテンアメリカでは、メスティソ(白人とインディオの混血)やムラット(白人と黒人の混血)、サンボ(インディオと黒人の混血)という具合に様々な呼び名でそれを容易に知ることができる。混血の進んだひとつの理由としては、侵略したスペイン人がイベリアの伝統をもっていたからだといえる。それは、8世紀にイスラム諸国がイベリア半島への侵入を試みた際に、キリスト教国だった彼らと互いに寛容であったことから生まれた精神を示す。しかしそうはいっても、人種による社会階層上の差異は厳然としており、上流階級をヨーロッパ系、中間をヨーロッパ系と一部混血が占め、大多数の混血者、アフリカ系、インディオは下層階級を構成している。そして貧富の差のきわめて大きな社会を構成しているのである。

 アメリカ合衆国の特徴は白人の平等を建て前とする社会であり、そこでは黒人、インディアン、アジア系が排除されたのにたいして、ラテンアメリカは上下の不平等を前提とする社会であり、従って黒人、インディアン、アジア系移民も排除されず下に位置付けられる。その結果として、キリスト教や産業といったヨーロッパ社会のものと、さきに述べた縦型の階層制社会などの非ヨーロッパ的なものbこの両要素を内包した独特の世界、すなわちヨーロッパとは全く異質な社会がラテンアメリカの最大の特徴である。そして、同じアメリカと呼ばれながらもラテンアメリカが合衆国と全く違った大陸であることの結論としていえることは、文化や社会は他のそれと融合しあうものであることであり、るつぼという言葉が本当に当てはまるのはラテンアメリカであるといえる。

 一方、先住民の社会を継承せずヨーロッパの封建制度も移植せず、「自由な植民地」として出発したアメリカ合衆国は、ヨーロッパから近代のみを引き継いだ「断片社会」として、ヨーロッパ以上に近代的な超近代社会となり、典型的な近代的資本主義体制を成立させた。白人の間では自由と平等の理念にたつ「市民社会」が成立した。そこに成り立った純粋な白人市民がプロテスタント的労働倫理に支えられて、物質的豊かさを追求しつつ民主主義と資本主義経済を発展させる。しかし、そういった民主主義は結果として白人の民主主義であり、黒人とインディアンを排除した人種主義的社会である。これらはアメリカの歴史的構造に基づいた規定である。

 結論として、この単一の世界史の形成が南北アメリカだけでなく世界の諸地域にも大きな影響を与えたことをあげるために、「近代世界システム」が成立してからの歴史上の各地域をヨーロッパとの関連で見ていくと、ヨーロッパ的世界だった植民地(アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)では、実際にヨーロッパ白人が植民し、それが社会の中軸を構成した。これらの国では原住民を閉じこめ、人種的に排除し白人中心の社会を形成した。アジア・アフリカではヨーロッパ列強に従属、植民地化したが、20世紀後半には独立達成により自己を取り戻している。ラテンアメリカは混血によって成立した独自の複合文化だった。日本はヨーロッパ以外の地域で従属国とならなかった例外的存在である。このように様々な世界史に影響を与えたのが、単一化の世界史なのである。

 こうした世界史や社会の中で、「必要悪」と呼ばれるものが存在するのは、悪というものから善というものが生まれてくる、皮肉なものが社会であり、歴史といえるからであろう。

                            (まとめ 矢野高史)