Experience

生涯教育プログラムの受講者と日本

b日米関係の一断章b(2)

 

 アメリカの大学は、地域住民を対象とした生涯教育プログラムに力を入れているところが多い。地域に開かれた大学、という役目に応えるためである。とりわけ、私の勤めるオハイオ大学のような州立の総合大学では、一般市民のために様々な授業が学内の施設を利用して開講されている。

 私自身と生涯教育プログラムの係わりは、数年前、オハイオ大学の分校で「日本語会話と日本文化」の授業を設けたことに始まる。通常の大学の授業と異なり、このクラスでは単位の取得や宿題、試験がないため、自由にカリキュラムを組むことができる。ただし、この授業は面白くないとか役に立ちそうにないと思われると、受講者たちに簡単に辞められてしまうので、教員にとって必ずしも気楽な仕事ではない。

 私のクラスの受講者で男女を問わず一番多いのは、日系企業あるいは日系企業と取り引きのある米国企業に勤務する会社員である。家族を連れて日本に長期滞在することになったため、夫婦でとか子供同伴で出席する者もいる。初めて日本に出張するので、とにかく「サバイバル・ジャパニーズ」を、と頼まれることもある。その場合は、「どうぞ」と「どうも」という簡単で便利な表現から教える。皆、とても熱心な学習者である。

 その他には、現役の高校生・大学生から定年退職者まで幅広い年齢層の受講者がいる。受講の動機については、日本からの交換留学生を受け入れたいというものから、教養のためといったものまである。何度か小学校の先生を教えたこともある。社会科の時間に日本について詳しく生徒に教えたいので、まず自分たちが学ぶのだという。

 小学生といえば、オハイオ大学には生涯教育部が主催する、小学4年生から7年生対象のプログラムがある。毎夏、一ヶ月あまり開かれる「子供大学」(Kids in College)である。大学教員を中心としたスタッフがキャンパスで小学生に教える。未来のオハイオ大学生を確保しておくためというリクルート説も冗談交じりに語られているが、子供たちに大学の雰囲気を味わってもらうことを主たる目的とし、1980年に始められた。

 同プログラムで私の担当する「日本語・日本文化入門」の授業には、毎年、10人ほどの小学生が集まる。子供たちは、最初の日はとても緊張しているが、すぐにうちとけ、最終日までには日本語で挨拶や簡単な自己紹介ができるようになる。なかには、教室の床に習字用の墨をこぼしたり、新聞紙で作った折り紙の兜を頭にかぶり廊下を嬉しそうに走り回る子供もいる。ふだん、小学生を相手にすることがない私には、それらも年に一度の新鮮かつ楽しい体験である。

 近年、アメリカの大学では日本研究の人気が下降気味だという話を耳にすることがある。とくに、日本経済の成功の「神話」が崩れ、バブルがはじけるとともに、大学生の日本語学習熱は冷めたとうのである。しかしながら、その一方で、各大学の生涯教育プログラムなどを通じて、従来あまり日本のことを学ぶ機会のなかった層に、大学が学習環境を提供することが増えているのも事実である。それはアメリカの大学の生涯教育重視の姿勢と豊富なアイデアに支えられているからこそ可能なのだろう。

 私にとっても生涯教育プログラムは、多様な年齢と職業にわたる受講者の面々からアメリカ社会の内情について教わる機会が多く、とても貴重な存在となっている。

                          (古川哲史、米オハイオ大学講師)