PERSPECTIVE 女性の饒舌: 固定観念から

 アメリカにおいて女は男よりよく喋るという固定観念があるそうだ。今年のように大統領選挙などでアメリカ女性のテレビでの活躍を日本にいて目の当たりにするとなるほどと思わされてしまう。しかしこれは非日常的な高度に訓練されたプロ集団のパフォーマンスであり一般的なものではない。庶民にとって本来の姿は日常にあるはずだが、普段の生活は情報価値がないゆえ知らされないままに過ごされてしまう。特殊が外国では強調される結果、固定概念はより強固になる。

 しかし、固定観念が本当かどうかが調査されるのが今日の社会情勢であり、アメリカ良いところなのだろう。公の会議などいろいろな場で、テープに録音し男と女との発言の時間を計るといった調査が繰り返し行われたところ、発言するのは殆ど男であるという結果がでてきた。そして数において男よりはるかに少ないが、女が発言した場合その時間は最も短い男の発言より短い。(勿論ほんの僅かな例外はあるようだ。)このような事実にも拘わらず、「女はよく喋る」という固定観念がひろまっているとすると、その理由は何であろうか。

 その説明の一つに、この世は男優位にできており、「女は見られるべき存在であって発言する対象とは見なされていない」といった受け取りようによっては乱暴な論もある。確かに、今日でも、女が口をだすと罰せられる共同体もあると聞く。少し古く、アメリカがイギリスの植民地であった時(1706-1776)、メWomen talk too muchモ という咎で、いろいろな刑罰が与えられている。なかでも、裂けて先の尖った木切れを舌の先に当て口にとりつけるなどは、罰する側の人々の想像力の豊かさに笑ってしまうと同時にいろいろと考えさせられる。序ながら、アメリカのこの時代を写し出している代表的な小説、ホーソンの『緋文字』が昨年日本でも映画が封切られた。この映画は当時のボストンの社会や生活状況を視覚的に捉えさせて呉れる。また、この映画を見れば、上のような罰し方が日常的であったかもしれないと頷かされよう。

 では今日の民主化されたアメリカにおいて、本当に女は男より発話する時間が短いのだろうか。調査がなされたら正確な分析をし、推論を経て正しい結論がだされるべきであろう。実は女は私的な会話において長時間に渡って話すとのことだ。親しい友達との電話での会話はその象徴的なものである。男はこのような女同士の話しには興味がないため、女がよく喋るという思い込みをレッテルにして張り付けて安心するところから、女に対する固定観念が作り出される。

 このような事から推論されるのは、日常の対人関係において、男と女の発話に対する態度には大きな違いがあるということだ。どう違っているのかをきっかけとして、ことばと社会との密接な関係が今日深く調査がなされ、今までに気付かれてはいても巧く説明ができなかったものにたいして明確な推論を与えるまでに至っている。この世で言葉の行き違いといわれている場合はむしろ、言葉そのものが問題ではなく、同じ言葉であってもその受け取る側の解釈の仕方に問題があるようだ。固定観念から逃れる事は難しいが、せめて本当はどうなのかと立ち止まって考える世の中になってきたのではないだろうか。                                 (田中 紀男)

参考文献 Debora Tannen, 1990. You Just Donユt Understand. Ballantine Books.