ブックタイトルはばたき第31号

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概要

はばたき第31号

次に昭和39(1964)年に創刊された『天理大学広報』を見てみたい。創刊号では岸勇一学長が、「発刊のことば」として、「本学が建学の精神の下に、独自の特色を発揮していくためには『大学全体としてのまとまり』を尚一段と強固にする必要が痛感せられる。(略)学内の『まとまり』をつくりあげる一つの手がかりとして、この『広報』は生まれたのである。従って、この『広報』は、本学の方針や施策を学生諸君によく理解してもらうことをねらいとすると共に、教職員と学生の一人一人が共々に『われわれの天理大学の一員』としての共通の自覚と連帯感とを益々強めていくため」と述べている。第2号の発刊は5年後の昭和44年6月21日となり、発行・天理大学、編集者・広報委員会、発行者・広報室となり、大学としての広報紙としてその歩みを始めた。以降継続して発行されて200号[平成19(2007)年8月1日]で、現在の広報誌『はばたき』へバトンタッチされた。第7号[昭和46年(1971)5月28日]からは、B5判からタブロイド判の新聞形式(白黒2ページ)となり、より本格的な広報紙となった。第33号[昭和50年(1975)4月23日]では創立五十周年記念号として、「50年を一つのふしとして創立五十周年記念号に寄せて」「写真で見る半世紀ところどころ」「座談会本学半世紀の歩み点描-軍国の緊張、二十年まで-」の特集を組んでいる。この座談会から、創立のころの雰囲気が良く分かる話題を抜粋して紹介したい。●天理外国語学校の第1回の入学生について「各教会が割り当てられた人数を集めたということもあってか、年齢差があった。中学校(旧制)を卒業してすぐのもの、何年も経ったもの、妻帯者もおれば、子供がいるものもいた」。●各種学校から専門学校に切り替わったことについては、第1回の入学者は104名だが卒業生は51名。その原因は「各種学校のために徴兵検査を受けて現役入隊するものもあり」、また「文部省から専門学校へ切り替えたらどうか」という勧告もあった。ただ、それには「文部省から来て試験をした。受験生の平均が何点以上でなければ許可しないという厳しい規則があって…。合格せなんだら恥さらしだということで、一生懸命、勉強をやらされました」。●授業料については、「(昭和)14年ごろ、たしか年50円で、国立より安かった(略)寮も安かったですよ。月15円ぐらいだった。3食付きで一ヶ月一回、スキヤキも食べられて」。●「すさまじかった落第」ということで、「落第がすさまじく、ドイツ語の場合、(昭和)17年に19名はいりまして、途中退学などもありますけど、2年生になったとき6名になってました」。●戦後大学へ移行するときにその名称を「天理外国語大学」との案があったが、「GHQが頑として許してくれないので、やむなく天理大学にしたと聞いている」。●天理女子短期大学の廃止については、「当時、私は学生課長を兼務していたので、学生たちからは突き上げられ、徹夜で議論した最終段階で、若い先生たちに泣かれ、終生忘れられない、にがい思い出です」。第100号[昭和62(1987)年4月6日]は記念号として、「“学内情報の担い手天理大学広報”創刊号~100号の推移」として特集が組まれている。その本文には、「創刊時は、広報課が未だ設置されておらず、当時の庶務課(現総務課)で編集・発行されたものである。その後5年間は、何らかの理由で発行が中断されていた。(略)広報の役割は、学内のまとまりをつくりあげることが第一義の使命である。そして、そのためには、正確な学内情報の提供とともに、教職員や学生が『われわれの天理大学』としての自覚を促すものでなければならない」とある。大学として『天理大学広報』の創刊第200号[平成19(2007)年8月1日]には、「次号から広報誌『はばたき』へバトンタッチ」の見出しで、創刊から43年の歴史を持つ『天理大学広報』が、200号をもってその幕を閉じて新しい広報誌『はばたき』への移行を告知している。これについて橋本武人学長が寄稿して、「大学を取り巻く環境が厳しくなる中、大学の個性・特色を世にアピールしなければならぬ時代、広報の仕事はますます重要になり、宣伝下手ではすまされなくなるだろう。(略)公募された誌名も『はばたき』に決定されたので、本学の広報活動も大いに羽ばたいてもらいたいと思う」とある。『はばたき』も今号で31号を数え、本学の情報を世界へ発信している。今後ますますの“飛躍”をはかりたい。第200号次号から広報誌『はばたき』へバトンタッチ学内の「まとまり」をつくりあげる一つの手がかりとして昭和39年に創刊第33号(昭和50年4月23日)で創立五十周年記念の座談会を掲載創刊100号記念号天理大学の広報紙(誌)の変遷とトピックスから本学のフィリピンでのリコーダー指導No. 0012007Octoberこんにちは先輩映画字幕翻訳者太田直子さん天理大学スポーツホッケー女子アジアチャンピオンラグビー速報!など学生通信員が行く私たちのいち押しのお店紹介!5