ブックタイトルはばたき第31号

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概要

はばたき第31号

『天理大學新聞』は昭和30(1955)年4月20日に創刊された。その第1号に当時の岸勇一学長が寄稿し、「この度学生諸君の自主的企てによって、天理大学新聞の発刊を見るに至ったことは、洵に悦ばしいことである。(中略)大学新聞は、本学全体の人達の心を一つに結ぶベルトであると共に、本学内の多種多様な主張や生活の全音律をかき立てて、全学の理想と希望を力強く表現するオルガンたらんことを望んで已まない」と述べている。新聞部としては、「学生活動の一端として昨年12月に発足した新聞部は、ここに創刊号を世に送ると共に、ますます平和と自由のペンを握ることの重大さを新たに感じます」とその意義を記している。第1号の見出しを拾うと、「論説-学生の自治は守られているか」、「卒業生に春遠し-就職に對する関心と自覚が必要」、「聲-部室は無いのか」、「大巾に学生自治認む-学生部の意義と存在」など。この『天理大學新聞』の編集方針については、記事の見出しを見てみるとよく分かるので、幾つか取り上げてみたい。この『天理大學新聞』が創刊から15年にわたって取り上げた主なものは、●自治の確立(執行部への批判も)●当局への要求(食堂などの設備充実など)●就職活動(特に大きく取り扱う)●政治問題(安保問題・憲法改正)●学生運動(大学紛争)●その他=クラブ活動の報告、学生の留学報告、文化、編集の主張、大学祭、天理教の信仰、大学の使命と現代学生など多肢にわたっている。しかし、ときとしてその編集方針に対して学生からも厳しい批判が起きている。第19号[昭和35(1960)年10月15日]では、4月13日の定例代議員会において、「新聞内容の自治会執行部に対する批判、あるいは政治問題の取り上げ方に、その理由の大なるものがあった」として新聞部廃部決議案が総務委員会から再度上程され、可決成立した。それに対して新聞部は、「我々は、全てを投げうって、広告料とカンパによる乏しい財源の中から身体をけずり取ってでも、今こそ発刊すべき最後の時であると判断した」と反論しているまた、第32号[昭和39(1964)年10月31日]でも、「天大新聞の編集方針」として、「政治色が濃すぎる、大学当局に反対ばかりしている」という読者の批判に応えて、「新聞部という一クラブによって発行されている」と断った上で、その上で「一に学生自治を守り確立することであり権利と利益を守ることです。第二に世界の、日本の平和と民主主義擁護に役立つこと」が「編集方針の根幹をなす」と編集方針への理解と協力を訴えている。現物が残る最後の号が第51号[昭和44(1969)年6月27日]であり、昭和45(1970)年度には第54号・55号が発行されている記録が残されているが、それ以降の発行の有無は不明である。大学としての正式な広報紙『天理大学広報』の第2号が昭和44年6月21日に創刊より5年ぶりに発行され、以降継続して発行されていく時期と重なり、新聞部による『天理大學新聞』は、その使命を終えたと推測される。創立90周年記念特集の第2弾として今号では、新制天理大学となってからの広報紙(誌)の変遷とトピックスから本学の歩みを見ていきたい。現在、本学の広報誌としては、平成19(2007)年に第1号が創刊された『はばたき』(A4判20ページフルカラー)が年4回発行され、本号で31号を数えている。歴史をさかのぼってみると、昭和24(1949)年に天理大学となってから、昭和39(1964)年に『天理大学広報』(第1号12月10日B5判白黒6ページ)が発行されるまで、大学からの学内広報媒体は出されていない。その間に図らずも学内での広報紙の役割を担っていたのが、新聞部の学生による編集・発行の『天理大學新聞』であった。新聞部の学生による編集・発行の『天理大學新聞』歩みを見る『天理大學新聞』の見出しから編集方針を見る読者に理解を求めるも、編集方針に厳しい批判も第2弾!記念特集創刊号[昭和29(1954)年1月1日発行]「午年に因んだ中山為信前校長先生の表紙絵と題字」と、編集後記にある。第61号[平成26(2014)年8月26日発行]平成22(2010)年に行われた「平城遷都1300年祭」の記念行事で演奏・演舞をする本学雅楽部。第18号[昭和46(1971)年10月26日発行]「親里大路を本部南門前まで登ったところで、バスは朝の大学行通学バスです」と、編集後記にある。ミニスカートの流行で女子の服装が大きく変わった様子が良く分かる。第39号[平成4(1992)年10月1日発行]「新学部・学科開設」に伴うキャンパス整備(杣之内キャンパス2号棟)。天理大学同窓会誌『ふるさと会報』の表紙に見る本学の変遷4