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 【生涯学習】

《公開講座記録》【ことばと文学】柿本人麻呂—枕詞と序詞をめぐって—

第2回 ●平成29年5月20日(土) 午後1:30
テーマ ●柿本人麻呂—枕詞と序詞をめぐって—
          ●講師  川島 二郎  国文学国語学科教授

内容

柿本人麻呂は、『萬葉集』を代表する歌人であり、後世「歌の聖」とも称されている。その名に相応しく、人麻呂の作品には様々な意匠が凝らされており、枕詞や序詞においても、人麻呂の独創を見出すことができる。

つぎに挙げるのは、人麻呂の代表作の一つである石見相聞歌の第一長歌である。
柿本朝臣人麻呂、石見国より妻に別れて上り来る時の歌二首併せて短歌

石見(いはみ)の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑ  やし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺を指して 和田津(にきたつ)  の 荒磯の上に か青なる 玉藻沖つ藻 朝羽振(あさはふ)る 風こそ寄らめ 夕羽振(ゆふはふ)る 波こ  そ来寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来  れば この道の 八十隈(やそくま)毎に 万度(よろづたび) かへり見すれど いや遠(とほ)に 里は放(さか)りぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎(しな)えて 偲ふらむ 妹(いも)が門(かど)見む 靡けこの山 
(巻二131、「一云」は略す。)

この作品には三つの枕詞が用いられている。まず、「鯨魚(いさな)取り」は、人麻呂以前から用いられる古枕詞であり、「海」に冠される。古枕詞は、地名、神名、特定の普通名詞等の褒め言葉であると考えられる。「鯨魚(いさな)取り」までの文脈では、石見国「角」の里に対する、人麻呂も甘んじて受けざるをえない世間一般の低い評価が、示される。そして、それに対して「鯨魚(いさな)取り」以下においては、人麻呂が愛着する青々と美しい「玉藻沖つ藻」が風波に靡く海の情景が、歌われている。「鯨魚(いさな)取り」は、新たな文脈の冒頭に位置し、褒め言葉である古枕詞として相応しい働きを示すべく冠されていると、言えよう。

つぎに、「露霜の」は、人麻呂のみが用いる人麻呂の創作にかかる枕詞である。掛詞に拠って石見妻を石見に残し置く意の「置く」に冠されている。「露霜」が「置く」ことと妻を残し「置く」ことは、掛詞で繋がるだけであり、比喩の関係等の意味的な繋がりはそこにはない。その代わり、「露霜」が「置く」情景がそこに歌い込められることになる。その情景とは、

ひさかたの天の露霜置きにけり家なる人も待ち恋ひぬらむ(巻四六五一)

に詠まれているような、一人寝の寒々しい情景である。つまり、石見妻を残し置き別れた後の一人寝の寒々しい情景が歌い込められていると、理解できるであろう。  

さらに、「夏草の」は、これも人麻呂の創作にかかる枕詞である。比喩の枕詞であり、「夏草」が強烈な夏の日差しによって萎えてしまうことに拠って、人麻呂に残し置かれた石見間妻のしょんぼりとうち沈んでいる様を言う「思ひ萎(しな)えて」に冠される。それに加えて、「夏草」は茂りに茂る生命力の強いものであるので、人麻呂と共にあった時の生き生きとした様もそこに歌い込められていると、考えられよう。すなわち、石見妻の、人麻呂と共にある時の生き生きとした様と、一転残し置かれた後のうち沈んでいる様とが、二つながらに描かれていると言うわけである。その豊かな表現力によって、直後の「靡けこの山」という、人麻呂の石見妻への愛着が込められた「一篇の眼目」(齋藤茂吉『柿本人麿評釈篇』)と称される結びの一句を導き出すことができていると、理解できよう。今見た働きは、枕詞の役割はそれを冠する言葉を飾るものであるという本来からすれば、その役割を超えるものであると言うことができる。人麻呂に続く歌人が、誰もこの枕詞を用いることがなかったということも、肯われるであろう。

人麻呂は、代表作と称される石見相聞歌において、古枕詞あるいは独創の枕詞を、作品の文脈に応じて、その文脈を豊かなものとするべく自在に布置していたと、言えよう。

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