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 【生涯学習】

《公開講座記録》【ことばと文学】『源氏物語』と音楽

第3回 ●平成28年10月1日(土) 午後1:30
テーマ ●『源氏物語』と音楽
          ●講師 仁尾 雅信 国文学国語学科教授

内容

『源氏物語』と音楽  — 物語展開の手段としての音楽 —

『源氏物語』には音楽に関する記述が200箇所以上見られ、平安朝物語としては特出している。それは、量だけの問題ではなく、質的にも他の物語を凌駕している。紫式部はその音楽を様々なかたちで物語の中に活かしているが、今回は、主人公光源氏の栄枯盛衰を語る、物語展開の手段として使われている音楽、という視点から論じた。

「紅葉賀」巻で光源氏は、「源氏の中将は、青海波をぞ舞ひたまひける」と青海波を舞った。父帝桐壺帝が一院のお住まいである朱雀院に行幸されることになり、帝は身重(実は源氏の子を身ごもっている)の藤壺がその催しを御覧になれないのを不憫に思われ、試楽をおさせになった。「青海波」は二人舞で、光源氏は頭中将と対になって舞った。源氏の艶やかな舞姿に帝は「涙をのごひ」、周りの者も感泣した。一方、頭中将は「花のかたはらの深山木」と評された。この場合「花」は勿論光源氏である。『源氏物語』は二人を対比する構造で物語が展開されているが、その対比を、青海波の舞楽で表し、二人の将来を暗示している。また、この後光源氏の華麗な舞姿を間近に見た藤壺の複雑な心中が述べられていて、音楽を手段として二人の心の襞が語られている。

この時の様子は、折に触れ後の場面造型に使われる。第一部の最後の巻「藤裏葉」にも顔を出す。「朱雀院の紅葉の賀、例の古事思し出でらる。(中略)主の院、菊を折らせたまひて、青海波のをりを思し出づ」とある。今は亡き藤壺との間に生まれた不倫の皇子が冷泉帝として即位し、そのため史実にない准太上天皇となった光源氏を「主の院」という。明石の姫君の入内も決まり、神が四季を支配するように四季の町を配し造営した六条院に、冷泉帝が朱雀院とともに行幸されたのである。光源氏はこの栄華の極みとも言える行幸で、「紅葉賀」で舞った「青海波」を想起している。光源氏の栄華の極みを音楽でも表出している。この行幸の宴で、源氏の栄華への道すがらを描いた第一部は幕を閉じる。

次の「若菜」になると、朱雀院の娘女三宮が降嫁する事件が生じる。光源氏は院の五十の御賀を計画する。当初は正月を予定したが、降嫁の心労から紫の上が発病し、紫の上が二条院に移った間隙をぬって柏木が女三宮と密通事件を起こし、宮の懐妊などのためさらに延期を余儀なくされた。総音楽監督と目され、このような賀宴に不可欠の人材柏木は、この不義のため、試楽にはかろうじて参加したが、本番ではその病のため不参加となってしまった。歳末の二十五日にやっと挙行した御賀であるが、肝心の女三宮も不参となり、作者はその辺の諸事情を、前もって行われた試楽のことは記すが、本番は「次々にとどこほりつることだにあるを」と述べるだけで、賀宴の様子を片鱗だに語らない。女三宮を寵愛していることを示し、院との御仲を修復向上しようという光源氏の当初の目途は完全に外れてしまった。時間と人をコントロール出来る力を誇示していた光源氏にとって、悲惨極まりない結果となってしまった。時間と人を支配する力が減衰したことを作者は音楽で表している。それ以降源氏の住む六条院からは音楽が消えたようになり、光源氏の出家が暗示される「幻」(第二部の最終巻)には書かれてよさそうな場面にさえ音楽が書かれていない。さらに、光源氏のいない第三部になると音楽が物語から消え去る。

以上のように、帝王学の不可欠の要素である音楽は、光源氏の盛衰を語るシンボルでもあり、それはまた同時に、物語を展開させる一つの手段でもある。

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