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 【生涯学習】

《公開講座記録》【外国語への招待】スペイン語とポルトガル語を通して見る日本語

第1回 ● 平成28年6月4日(土) 午後1:00
テーマ ●スペイン語とポルトガル語を通して見る日本語
講 師 ● 矢持善和外国語学科教授、野中モニカ外国語学科准教授、J.ロペス外国語学科講師

内容

(1) 日本とポルトガルの出会い
矢持善和
まず、日本とポルトガルの出会いのきっかけとなった歴史的人物はマルコ・ポーロであり、彼は「東方見聞録」の中で日本を紹介した。
ジパングの王の宮殿は純金で出来ており、真珠が大量に産出される富んだ国、更にはモンゴルの君主フビライが日本を征服のために大群を派遣したが、暴風に遭遇し大敗したと記載されている。また、日本人は魔法の石を腕の中にいれているとか、捕虜が身代金を払えない場合、友人・親戚を招いて捕虜を料理して食べこれ以上美味しい肉はないと語り合うなどと書かれている。
次にザビエルとヤジロウの出会いがある。
1543年(天文12年)3名のポルトガル商人が中国人のジャンク船で種子島に到着した。その後1546年、ジョルジェ・アルバレスが日本人の逃亡者ヤジロウとその従者2名を乗船させ、1547年にヤジロウはマラッカに滞在するフランシスコ・ザビエルと対面したが、ザビエルはその後ヤジロウ等をインドのゴアに送り教義と言語の勉強をさせた。ローマ法王への書簡では、「日本人、特にヤジロウは知識欲旺盛で、道徳的に気高く、才能も豊かであり、8か月もしないうちにポルトガル語で話し、書き読みも覚えた」と書かれている。薩摩藩、池端弥次郎重尚は領主弥寝氏の分家で貿易に携わっていた。また、デウスを「大日」と訳している事から、真言宗に属していた事が分かる。そして、イエズス会創設者の一人であるザビエルはヤジロウの案内によって1549年に来日する。
フロイス等の宣教師は織田信長の寵愛を受け、岐阜城、安土城を度々訪れている。しかし、当時のポルトガル王ジョアン三世からローマ法王に送られた書簡には「ジパングは火薬一樽と交換に50人の奴隷(女性、当時は雌と書かれていた)を差し出すのだから、神の御名において、領有する事が出来たら、献納額を増すことが出来るでしょう」と書かれていたが、秀吉は1589年、秀吉のバテレン追放令を発布し、1597年フロイスが死去する。
信長の当時、メンデス・ピント「東洋放浪記」によれば、鹿児島から田浦、日向、博多、阿久根、等の港には100隻のジャンク船、当時の中国から2000隻の商船が停泊していた。

(2)ブラジルと日本の間で生まれたミックス言語~コロニア語とデカセギ語~ 
野中モニカ
日本人のブラジル移住は1908年に開始し、ブラジルは現在世界最大の日系人コミュニティ(現地でコロニアと呼ばれる)に成長しています。そのコミュニティでは日常語としてポルトガル語が日本語にミックスされた「コロニア語」が発達しました。例えば、「カーザした(結婚した)」や「トマ・バーニョしなさい(お風呂に入りなさい)」など、単なることばの借用に止まらない使い方がなされています。しかし、コミュニティ内で発達したため、コロニア語はネイティブのポルトガル語話者にも日本語話者にも理解できない特徴を持っています。今では世代が代わるごとに日本語が継承されなくなっているため、コロニア語は危機に瀕しています。
ブラジル人の来日(当初は「出稼ぎ」と呼ばれる)は1990年の入管法改正で激増し、日本各地でブラジル人コミュニティが形成されました。そこでは、日常語として日本語がポルトガル語にミックスされた「デカセギ語」が発達しています。Estou tsukaretado(私は疲れている)やgambatear(頑張る)など、ことばの活用が見られる「デカセギ語」もブラジル人コミュニティでは通じますが、ネイティブの日本語話者・ポルトガル語話者には通じません。今後の世代交代で日本育ちの子ども達は日本語をメインとして使用するため、デカセギ語も消滅の危機にさらされるでしょう。
コロニア語とデカセギ語はそれぞれポルトガル語でも日本語でもないミックス言語です。単なる乱れた言語ではなく、言語発展の形として捉えるならば、その研究も今後の重要な課題です。

(3)スペイン語から見た日本語
ロペス・パソス ファン・ホセ
スペイン語にはポルトガル語と同様に日本語を語源にした外来語が多くみられる。特に日本の伝統文化に関連する言葉が多い。逆に、スペイン語を語源とする外来語は日本語にも多くみられる。では、この二つの言語、二つの文化はどのように影響をし合い、お互いにどのようなイメージを持つのだろうか。
スペインの言語事情と比較してみると日本語の新たな一面が見られる。1978年のスペイン王国憲法の第三条では:
「第1節 スペイン語は全国の公用語である。全国民はそれを知る義務があり、使う権利がある。
第2節 スペインの他の言語も各州で公用語とする
第3節 スペインの多言語性は文化遺産であり、尊敬・保護すべきである」
つまり、スペイン語を共通語としながらスペインは多言語国家である。歴史的に考えてもスペイン王国は近代に複数の王国の合体によってできた近代国家でそれぞれの言語・文化が尊重されてきた。
しかし、フランコ政権の下にスペイン語以外の言語はスペイン語の「DIALECTO」とされ、その使用が禁じられた。「DIALECTO」は日本語で「方言」と訳すことが多いがその根本的な意味が異なっている。スペイン語では「DIALECTO」はある主言語から派生したものである。しかし、カタロニア語やガリシア語はスペイン語から派生したのではなく、ラテン語から派生している。日本語の「方言」は特定の地方で話される言葉を指す。こういった意味では関西弁が「標準語」から派生していなくても「方言」と呼べる。
スペイン語から見て「日本語」は一つの言語より日本列島で使用される複数の言語の総称である。


 

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