American Literature

アーネスト・ヘミングウェイ,伝記の空白

─FBI調査報告と地下室のキャビネット─

 

 作家アーネスト・ヘミングウェイは,その人生のおよそ3分の1にあたる22年間をキューバで過ごした。『誰がために鐘は鳴る』以来,ヘミングウェイのほとんどの作品はキューバで書かれたものである。しかし,ガルシア・マルケスの言うように「このキューバ在住時代は,ヘミングウェイのなかで最も知られることの少ない時期である」(『ヘミングウェイ キューバの日々』ノルベルト・フエンテス著 宮下嶺夫訳)。ヘミングウェイはハバナから約14キロの場所にある美しい農場,フィンカ・ビヒアに移り住んで以来,終生その地を愛しつづけた。キューバに寄せた彼の愛着は,『老人と海』を始めとしてさまざまな作品に色濃く現れているのである。それにもかかわらずヘミングウェイの人生におけるキューバは,これまで多くの伝記作家たちが申し訳程度にしか語ろうとせず,なかば無視してきた,伝記上空白のトポスなのである。

 この空白はしかし,多くの人々の好奇心を刺激してやまないようだ。1986年,ジャーナリスト兼小説家のビル・グレンジャーは『ヘミングウェイ・ノート』(加藤洋子訳)というスパイ小説を発表する。カストロ革命政府に対するCIAの裏工作を記したヘミングウェイ・ノートをめぐり,スパイ同士が暗躍を繰り広げるこのミステリーは,晩年の巨匠を次のように描く。「彼はキューバを愛していた。彼は合衆国を愛していたんだ。」

 キューバのヘミングウェイがこれまで語られてこなかった最も大きな理由は,おそらくはアメリカとキューバとの政治的な関係にあった。親米のバチスタ政権がカストロによる革命に倒れた後も,ヘミングウェイはキューバの地にとどまり続ける。革命中こそ合衆国に避難していたものの,革命後最初にキューバの飛行場に降り立ち,キューバの民衆に熱狂的に取り囲まれた時,ヘミングウェイはキューバの国旗にキスをして「俺はヤンキーじゃないんだ」と言ったという。アメリカのアイコンとして,すでに名声を確立していたヘミングウェイとキューバとの関係は,あるいは目に入ってはならない光景であったのかもしれない。

 この伝記の空白に取材しようとしたグレンジャーは,おそらくは大きなジレンマを感じたに違いない。空白の覆いを取り除こうとすれば,必然的にヘミングウェイとキューバ共産主義との関係が目に入らざるを得ないからである。彼は前書きにあたる部分で「スペイン内乱の反フランコ将軍派の主張に共鳴してはいたものの,ヘミングウェイは熱狂的な反共主義者であった。」と書いている。しかし,ヘミングウェイの伝記のどこを調べても彼が「熱狂的な反共主義者」であったことを示す証拠は見当たらない。キューバにおけるヘミングウェイを取材する限り,その反証しか見つけることはできないだろう。宮本陽一郎氏の『モダンの黄昏』で詳しく論じられているように,キューバの人々はヘミングウェイのことを,腐敗した民主主義を捨ててこの地にやってきたキューバのヒーローとして捉えているのである。したがって,このグレンジャーの主張は,多分に彼の願望が投影されているとみなさざるを得ない。「彼はキューバを愛していた。彼は合衆国を愛していたんだ。」という作品中の一節は,アメリカ人作家としてのグレンジャーのジレンマを痛切に言い表しているのではないだろうか。

 また1999年にはホラー・SF作家として著名なダン・シモンズが『諜報指揮官ヘミングウェイ』(小林宏明訳)という作品を発表する。これは第2次世界大戦中,ヘミングウェイが実際に組織していたキューバの諜報機関クルック・ファクトリーに取材したスパイ小説である。単なる作家の物好きな戯れであったはずのこの諜報活動が,ドイツ,アメリカ,イギリスなどさまざまな国のスパイたちの二重,三重の裏切りと謀略のために,翻弄され,利用されていく様を描いたこの作品は,著者によると「九五パーセントは真実だ」という。そして実際その言葉を充分に裏付けるほど,ヘミングウェイの伝記的事実や当時の社会状況を極めて綿密に再現している。だがそのシモンズもまた,FBIやドイツのスパイ機関だけでなく,バチスタ政権下で腐敗したキューバ国家警察を作品の敵役に設定することで,ヘミングウェイと共産主義の関わりをうまく隠蔽しているように見える。ここで描かれるヘミングウェイもまた,さまざまな組織の政治的思惑に翻弄されながらも,純粋にアメリカという国家と,腐敗した政治に苦しむキューバの民衆を純粋に愛していた男として描かれるからである。結局彼の描くヘミングウェイ像も,一般に流布したアメリカのアイコンとしてのヘミングウェイ像を抜け出していないのではないだろうか。

 シモンズはあとがきで次のように述べる。「私は多くの伝記作家によって書かれたその期間,つまり一九四二年五月から一九四三年四月までの記述がいかにいいかげんであるかに気がついた。(中略)彼の伝記が書いていないのは,一九三〇年から蓄積されたFBIの膨大な個人ファイルのなかで,ヘミングウェイの当時の冒険が依然として極秘扱いになっている事実である。」晩年のヘミングウェイがFBIの尾行を恐れていたことは,彼と関わった多くの人々の証言からも裏付けられる。彼は外出する時には常にFBIに後を付けられているのではないかとびくびくし,電話も盗聴されているのではないかと極度に怯えていたらしい。周囲の人々はこのような作家の態度を被害妄想だとみなし,精神科の治療を受けさせ,電気ショック療法によって彼のこの「妄想」を治療しようとした。しかし一向に治療の効果は上がらず,むしろ逆に電気ショックの副作用で記憶を保つことができなくなり,彼は作品の創作能力をほとんど失ってしまった。この後,1961年7月2日に最終的に成功するまで,彼は何度も自殺未遂を繰り返すのである。

 彼をこのような悲惨な状態に追い込んだFBIに関する「妄想」は,後に実は事実であったことが発覚する。先のシモンズの引用にも書かれているように,近年情報公開法に従って公開されたFBIの調査報告書には膨大な数のヘミングウェイに関する情報が記されている。これらのファイルから,我々はFBIがいかに長期にわたってヘミングウェイを監視し,付け狙っていたかを窺い知ることができる。表向きは民主主義国家アメリカを代表する文化的アイコンとして捉えられてきたヘミングウェイではあるが,スペイン市民戦争に参加し,カストロの革命後もキューバにとどまり続けた作家は,東西冷戦構造の中,共産主義シンパサイザーとしてFBIにマークされていもいたのである。このFBIの報告書の公開は,キューバ時代の空白の覆いがわずかに開かれた瞬間であった。

 結局,アメリカ人たちの信じるアメリカのヒーロー―闘牛を愛し,大物釣りをし,サファリ旅行に出かける民主主義のチャンピオン,ヘミングウェイ―も,あるいはキューバ人民に英雄視され,FBIに共産主義者と目される危険人物ヘミングウェイも,どちらも虚構の存在でしかないのだろう。ヘミングウェイの実像は(もしそのようなものがあるとすればであるが),彼の伝記のキューバ時代を覆う空白の中でいまだ隠されたままなのである。

 そして2002年秋,世界中のヘミングウェイ研究家の間に大きな衝撃が走った。キューバのヘミングウェイ邸,フィンカ・ビヒア(現在はヘミングウェイ博物館として一般に公開されている)の地下室のキャビネットにはヘミングウェイの大量の原稿が保存されている。それらの原稿の存在は,これまでは政治的な理由から西側の研究者には一切知らされてこなかったものである。その文字通り闇に覆われていた地下室に,ついに合衆国とキューバの合同プロジェクトチームが足を踏み入れたのである。22年間のうちに書きためられた未公開の原稿,下書き,手紙,写真, ノートなど, 数千ページにも及ぶこれらの書類は,確実にこの空白のキューバ時代の謎を解き明かす一端となるに違いない。その際,我々の前に姿を現すのは,果たして共産主義者ヘミングウェイなのだろうか,あるいは単にキューバという土地を愛した典型的アメリカ人の姿なのだろうか,それともいまだ知られざるまったく別の姿なのだろうか。

(高野泰志・岩手県立大学看護学部専任講師)