Scenery

文学の中のアメリカ生活誌(38)

 

Easter(復活祭)キリストの復活を祝う祭りで、キリスト教の行事のなかで最も重要なものとされるが、本来はキリスト教より以前(5,000年前)から催されていた古い異教の春の祭りである。復活祭の日取りの決め方、すなわち春分後の満月の日の次の日曜日に祝うことはその伝統の名残りである。Easter Bunny(復活祭のウサギ)やEaster egg(復活祭の卵)も異教徒の祭典から拝借した習慣とみなされている。復活祭のシンボルEaster Bunnyはサンタクロースと同じように、子供たちの心を引く架空の人物で、この日になると子供たちに彩色した卵を置いていくとされている。卵は新しい生命もしくは生命の復活(再生)の意味であり、赤く染めるのはキリストの生け贄の血を象徴している。友人たちに送るEaster card(イースターカード)に卵やウサギが描かれるのはそのためだ。 子供たちが喜ぶこの日の遊びの中に、Easter egg hunt(卵さがし)がある。これは前の晩に両親が家の中や庭に隠した卵を子供たちが探し出すことを競いあうゲームだ。この遊びが終わると、彼等はhot cross buns(十字しるしのパン)と牛乳の朝食をとり、おめかしして家族と教会に行くのが常である。ところでEasterの語源はギリシャ語Eostre(エオストレ、暁と春の女神)にささげる春分の日の祭りを指す古代英語のeastreからきている。当日は冬眠から万物が目覚める時期にあたるので、6世紀に大ブリテンにやってきたキリスト教宣教師たちは、その日をキリストの復活と結びつけたのだ。

 キリスト教的見地からみると、復活祭は40日間におよぶ節制した生活を行うLent(四旬節)の第5日曜日にあたる。当日は Easter Day とか Easter Sunday と呼ばれる。この復活祭の前後には受難1週間前のキリストにちなんだ行事が沢山ある。四旬節の最初の日がAsh Wednesday(聖灰水曜日)で、忠実な信者らはキリスト受難の象徴として、額に灰をつけてもらう。復活祭の前の週が Holy Week(聖週間)で、その第1日目は Palm Sunday (シュロの日曜日)と呼ばれる。キリストがエルサレムに入ったことを記念する日で、聖書によると、弟子たちはキリストが歩いた道にシュロをまいて歓迎したという。敬虔な信者がミサに出席した後、小さなシュロの小枝をもらう習慣は今でも続いている。Good Friday( 聖金曜日、受難日)は復活祭の前の金曜日で、キリストの受難を記念する日である。カトリック教会では、祭壇や説教壇などはすべて黒い布がかけられ、厳粛な儀式が行われる。復活祭の日はもちろん休日である。今ではすっかり定着したと思われるこの日の宗教的な行事のなかに、sunrise service(曙光拝)がある。暁を迎えることによって自分を新たにする目的で、何千もの人たちが大野外劇場や山腹に集まるのだ。ハリウッド・ボールという大野外劇場を例にとると、天気が良ければ20,000人近い市民が曙光拝に参列する。19世紀の作家 Henry David Thoreauも熱心な暁の女神の崇拝者であった。彼は Walden (1854) のなかで「私はギリシャ人と同じく、曙光を心から崇拝する者である。私は早く起き、池で水浴した。それは宗教的な儀式であった」と書いている。

 Easter Mondayといわれる復活祭の翌日には、Easter egg rolling(卵ころがし)という興味深い行事が行われる。これは国内各地から招待された何千人もの子供たちが、茶さじを使って大統領官邸の広い芝地で卵をころがす競技だ。だれがいつこの遊びを最初に考えたのかは定かではない。俗説では、それは政治不信 をまきおこした過去の事件と決別し、卵が象徴するような新生の気分を味わいたいという大統領の無意識な願いの反映と考えられている。

「The Spirit of '76」(76年の魂)独立記念日(7月4日)のアメリカの各社の新聞の1面にはいろいろな愛国的な絵やスケッチが載る。なかでもよく見かけるのは メThe Spirit of "76" と呼ばれる絵だ。これは独立記念日のパレードを題材にしたArchibald Willard の名作で、中央には楽器を演奏する3人の男─ドラムを叩く白髪の老人、横笛を吹いている頭に包帯をした中年の男、誇らしげに老人を見上げる若いドラム演奏者─が位置している。彼等の背後にはアメリカの旗を手にした植民地軍の兵が仲間と共に堂々と行進している姿が描かれている。

 この絵を制作する前のArchibald Willardはオハイオ州の小さな町ウエリントンの車両工場で働き傍ら、暇を見つけては風景画や茶目っ気を出すことのできる絵を描いていた。ところが1871年7月4日、彼はふとした事で不巧の名を得ることになる作品に着手することになった。この日の朝、彼は祝祭のパレードを行なおうとしている行列の中の3人の少年─2人のドラム奏者と横笛の演奏者─に目がとまった。ドラムを叩く少年はばちを上に投げて取る練習をし、他の2人はふざけて体をぶつけあっていた。彼は絵画に組み立てるつもりで素早く鉛筆で少年たちをスケッチした。このスケッチを見た友人は、いつものこっけいな場面を描くより愛国的なエピソードを主題とする真面目な絵を描いたほうがよいと忠告した。Willardが当惑したことはいうまでもない。それは彼の画風を大きく変えるものであったからだ。苦悩している彼を救ったのは、独立戦争に参画した祖父から聞いた話であった。それによって彼は画面にどのような人物を組み入れるかを決めるヒントを得たといっていい。彼は画面中央に上述の3 人─年上のドラム奏者、フルート演奏者、そして年下のドラム奏者─を配し、1876年初め大作(縦8フィート、横10フィート)に仕上げた。それぞれのモデルは彼の父、彼の南北戦争時代の友人、そして鉄道会社の社長Devereaux の13 歳の息子であった。

 この年、フィラデルフィアで独立宣言の100周年を祝う展覧会を催すことを耳にしたので、彼は出来上がった作品を展覧会に出品した。当初、展覧会の委員会はヨーロッパとアメリカの主要美術館所蔵の最高級の作品だけを展示するつもりだった。だが、委員会のメンバーらはWillardの絵を見ると、すっかり感動し、大家たちの作品と一緒に並べることにした。彼の『76年の魂』はたちまち人気の的になり、美術館はその前にガードマンを置かなければならなかったほどであった。展覧会が終わると、ドラム奏者のモデルになった子供の父Devereauxがその作品を買い上げ、現在は彼の故郷・マサチューセッツ州のマーブルヘッドに飾られている。現在この絵は自由を守るための戦争に参加したアメリカ兵士の勇気のシンボルになっている。

 独立記念日は多くの州で独自のやり方で祝われる。例えばロードアイランドのブリストルではニューイングランド中から消防団が集結し、どのチームがホースで水を一番高く、遠くまで噴出できるかを競うのだ。アリゾナ州フラッグスタッフで3日間にわたって催される20近くのインディアン部族の代表者による大規模なインディアンの儀式も見ごたえがある。だが、最もめずらしいのはミズーリー州ハーニバルとカリフォルニア州オンタリオの祝祭であろう。ハーニバルで行われる若者たちの塀塗り競争は、この町出身の作家Mark Twainが書いたThe Adventures of Tom Sawyer (1876)の中の一場面、「栄光のペンキ塗り」の描写を連想させるものだ。 

(新井正一郎・天理大学国際文化学部教授)