Baseball

苦難の女性アンパイアの道

 大リーグといえば選手のことばかり話題になるが、今回は女性アンパイアについてNational Pastime, A Review of Baseball History ( No.14, 1994, pp.34-38)に掲載されたWomen Umpires as Mirrors of Gender Rolesという興味深い記事を紹介することにする。執筆者はG. I. Berlageという女性でIona College(ニューヨーク州)の社会学教授でWomen in Baseball という著書もある野球史研究家でもある。

 Berlageによれば、1905年から1911年までAmanda Clementという女性が南・北カロライナ、ネブラスカ,ミネソタ,アイオワ各州のセミ・プロ球界で活躍したとのことである。彼女はファン、選手、球団、報道関係者から非常に好意的に扱われたとのことであった。球場にladyがいるからには、選手やファンは慎み深い行動をとるであろうと思われたのであった。大リーグにも女性アンパイアがひょっとすると現れるかも知れない、などというスポーツ・ライターもいのたのであった。しかしそれはこれまで実現していない。

 1967年に、Bernice Geraという女性がフロリダ州のA1 Somers Baseball Umpires Schoolに応募し、受け入れられたにも拘わらず女性であることが判明した時点で、入学を拒否された。そこでGeraはWest Palm BeachのNational Sports Academyに入学し優等で卒業した。問題は就職先であった。1969年7月25日にNew York-Pennsylvania クラスA リーグのMcNamara会長から契約の申し出があり、彼女はこれを受けたが報道関係者からは歓迎されなかった。その6日後(7月31日)National Association of Baseball LeagueのPiton会長はその契約の無効なる旨の電報を彼女に送った。理由は彼女の身長は5フィート2インチであり、これではアンパイアは務まらないということであった。

 彼女はニューヨーク州人権委員会にこれを訴え、1970年11月に同委員会は、これは身長の低い少数民族派の人々に対する差別であるとの決定を下した。リーグ側は控訴し、最終的な決着は1972年まで待たねばならなかった。

 Geraは1972年6月24日、ニューヨーク州GenevaでのAuburn Phillies とGeneva Senatorsとの試合のアンパイアを務めた。これは彼女にとっての最初にして最後の試合となった。試合の前夜には脅迫状が届き、滞在しているモテルでの騒ぎを防ぐべく警察が動員された。試合ではファンの罵声を浴び、ボール・ストライクの判定が3回ほど反駁を喰い、彼女は涙ながらに試合を後にし、辞任した。

 次に登場したのはChristine Wrenであった。彼女は1974年から1977年までClass Aで2シーズン務めたがセクハラが原因で辞めた。ファンや選手から「さっさと家へ帰って洗濯でもしな」というような嫌がらせの言葉を浴びせられたのであった。

 マイナー・リーグである程度の間、審判員として務め上げた最初の女性はPam Postemaであった。1977年から1989年まで13シーズン務め3A級まで昇格したが大リーグにまでは上らなかった。現在(1997年)、大リーグを性差別を理由に訴えている(その結末について申し訳ないが当筆者は現時点で未確認)。彼女はマンハッタンのUS District Courtに「女性に対する偏見がずっとあり、女性はアンパイアとして雇ってはならぬ」というある種の協定および理解の仕方が大リーグでは一般的に暗黙裡にあり、またしばしば明確に語られることもあると主張している。野球界と縁を切った今となっては、在任中に蒙ったセクハラおよび差別に対して最早黙ってはいられない、と言っているとのことである。

 Pam Postemaには在任中、選手達の罵詈雑言は日常茶飯事であった。余りにもひどいときには選手を退場させたが、罵声は通常野球の一部として受け止めていた。彼女自身four letter wordsに対して気軽に応酬した。彼女は自分をladyとして特別な扱いを受けるべきものと考えず、むしろ男性の一員とみなし、それが彼女の平等観であった。したがって女性であることを相手に意識させるような言動は拒否した。そうすることは自分を矮小化し、性差別者に仕立てることだと考えたのである。たしかに彼女に対する野次の多くは個人攻撃の色合いがあり、性差別的であったが、彼女は性差別的な表現とそうでないものとを分けることができなかった。ただ多くの男どもは彼女を女性としてしか認めていなかった。

 Postemaは彼女自身にとって初めてのマイナーリーグ(Gulf Coast League)での試合であった。神経質になり観客の反応を気にしていたのも無理からぬことであった。男性アンパイアのイメージに溶け込もうと髪の毛を短く切った。そしてアンパイアの帽子と黒い服を着用すると、男性か女性か区別がつかなかった。身長5フィート8インチ、体重175ポンド。体格の点では男性と比して目立つこともなかった。Postemaは試合開始にあたり、わざと男性のように低い声で「プレイ」と怒鳴ったのであった。より権威的に、力強く聞こえるようにしたのである。

 Postemaは男性らしさを強調した。自分は男性アンパイアと同じ技量を持っている、したがって特別な扱いは必要でないのだということを示したかった。昼間の試合が済んだあと、男性審判たちと一緒にしこたま呑むのが常であった。「男たちと呑みにゆけば、、女性としてよりも、新米のアンパイアとして扱われるだろう」という考えだった。

 試合場ではどの男にも負けずにfour letter wordsを発した。あるとき、ある打者が彼女のストライクの判定で三振して‘You fucking suckユと言ってベンチに戻りかけると、Postemaは 'You're fucking gone'と応酬して退場処分とした。このような荒くれた言葉使いは、自伝のタイトル(Youユve Got to Have Balls to Make It in This League)がおのずと物語っている。あちこちにfour letter wordsが「ちりばめられている」のである。彼女は、自分は単なる1人の審判に過ぎないのだと示したかったが、観客はそうはみなさず、その性差別的な罵声・野次は常に頭痛の種であった。監督たちも彼女を怒らせようとして、その台所仕事の仕方にかこつけて罵声を浴びせた。ホームプレートにフライパンが置いてあったり、「料理が下手だからアンパイアをしているのだろう」とか、「台所へ帰れ。ここはお前のいる場所じゃない」などと野次られた。Postemaは球場の内外でさまざまな罵声の洗礼を受けたが、著者Berlageの言によれば、コーチ、監督、選手たちからの審判員への野次や脅かし文句は、現在でもゲームの一部とのことである。

 Gera, Wren, Postemaと対照的にAmanda Clementはファン、報道関係者、野球界(球団側)に暖かく受け入れられた。セクハラのことばも受けず、審判の技術にも批判されることは殆んどなかった。Clementについては次回に取り上げ、なぜ彼女はPostemaのような差別的な扱いから無縁であったのか見てみよう。

(榎本吉雄)