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ラス・アメリカスとラス・インディアス

大垣 貴志郎    

「かの悪名高い人種差別用語、インディヘナ、ムラート、メスティソなどの呼称は廃止し、これからは我々全てをアメリカーノ〈アメリカ新大陸の人間〉と呼びあおう。」これは、1812年にメキシコ独立戦争の闘士、ホセ・マリア・モレーロスが訴えた言葉である。独立戦争中、スペイン王党軍に対抗していたかれらは、弁護士ラヨンを中心にして「アメリカ人の国会」を創設して、独立戦争遂行の正当性と、スペイン王に対する忠誠とガチュピン〈スペイン人の蔑称〉の植民地からの追放の法的な整合性を審議していた。ラス・インディアスはスペインの押し付けで、ラス・アメリカスはクリオーヨ〈スペイン人を両親にもった新大陸生まれの白人〉の選択した呼称である。ラテンアメリカに関する地名の歴史性については、上谷 博「インディアスからアメリカスへ」『アメリカからアメリカスへ』(天理大学アメリカス学会編 創元社 2000年刊)所収に詳しく述べられている。

 スペインの海外植民地は征服後ラス・インディアスと呼称されていた。ポルトガルとの貿易覇権を競っていたスペインにとっては、地球の西回りでアジアのインドを目指すことは至上命令であった。しかし、大西洋の横断は成功したものの、探検隊が夢みていた目的地は、意外やカリブ海域に浮かぶ諸島郡でインドではなかった。太平洋の発見と横断はその後になる。しかし、スペインは海外植民地統治を開始すると現在のラテンアメリカ諸国、メキシコからブラジルを除く南アメリカ大陸の地域をラス・インディアスと呼んだ。「インディアス法」「新インディアス法」などの法令集を発布して統治する。植民地の先住民をインディオ、または、インディヘナと呼称した。本国では植民地統治のためにインディアス管轄省が設置され、さらに定期的にインディアス巡察使が副王領に派遣されてペニンスラール〈植民地に在住のスペイン人〉の現地官吏と統治状況を監査した。メキシコの場合は副王領の名称もヌエバ・エスパーニャ〈新スペイン〉とされ、あくまでもスペインの海外領土として明記した。先住民は差別の対象となり人権は無視され、固有の土地も不当に収奪され、本国を支える経済支援のため耕地の開墾や鉱山労働に徴発されたりして被支配者となっていく。征服後短期間に、過酷な使役労働に耐え切れなかったり、ヨーロッパからの新しい疫病に感染したりして、先住民の人口はたちまち急減していく。そのためにアフリカから黒人奴隷が移入され、その後に新たな人種問題や多岐にわたる文化の混交が始まり、現在、ラテンアメリカの様相を特徴付けている。

ラス・インディアスにおける人権問題を糾弾した司祭ラス・カサスは『インディアス破壊に関する簡潔なる報告』を上梓して、スペインの植民地政策を非難し先住民に対する人道主義を説いた。スペインのバヤドリッドでスペイン国王の政策を擁護する王室史官セプルベダと1550〜51年に大論争をしたことは、ルイス・ハンケの著書『アリストテレスとアメリカインディアン』で説明されている。

 19世紀初頭のラス・インディアスの様子は、A.フンボルトが『ヌエバ・エスパーニャ紀行』として1808年に初版をパリで刊行して、ヨーロッパの知識人の耳目を引いたことは周知の通りである。「これほど富の分配が不平等である地域が存在することは空前にして絶後である」とその著書の中で述べている。

 1955年のバンドン会議の発足から73年の第三世界諸国の結成は、のちに開発途上国や中進国の連帯へと進んでいくが、現在でもラテンアメリカの後進性は指摘されている通りである。その原因はラス・インディアスの出発点からこの地域に秘められる問題が解決されないでいるからで、ラテンアメリカに共通している。

(京都ラテンアメリカ研究所所長、京都外国語大学教授)

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ラテンアメリカ週間

 

今回、ニューズレターの巻頭言をお願いした大垣貴志先生(京都外国語大学教授)は、2001年4月に開設された京都ラテンアメリカ研究所の所長であられる。同研究所については本誌40号(2001年7月)に、同研究所主任研究員の辻豊治教授に概要を紹介していただいている。ここでは、同研究所の開設記念として企画された「ラテンアメリカ週間」についてご紹介する。

まず、10月27日に「ラテンアメリカにおける国家と民族」という国際シンポジウムが開催された。ペルーからカトリック大学教授で社会学者のゴンサロ・ポルトカレラ博士が招かれ、ペルーにおける人種主義について講演された。同国における「混血の理論」が結局は人種主義を隠蔽する結果となった、という刺激的なテーマでお話され、フジモリ前大統領の当選をどのように理解するかといった、白熱した質疑応答が展開された。ついで、ブラジルから招聘されたジャーナリズムを専門とするサンパウロ大学教授のジョゼ・ルイス・プロエンサ博士がネオリベラリズムのもとにある現在ブラジル社会について話された。熱心なフロアからの質問にていねいに応えておられたが、ポルトガル語を解さない筆者にはそのやりとりを紹介できないことが残念である。

最後に、メキシコ国立自治大学文献学研究所から招聘された大越翼博士がユカタンのマヤ系先住民の植民地支配における「柔軟にしてしたたかな」サバイバル戦略について、マヤ語資料の緻密な分析に基づきながらも、わかりやすく語ってくださった。シンポジウムのあとの懇親会では、グラスをかたむけながらさらに活発な意見・情報交換がなされ、筆者をはじめ参加者は、学問の秋のさわやかな1日を満喫した。

さらに、紙幅の都合で詳しくは紹介できないが、学生・社会人を対象とする2つの連続講座が実施された。ひとつは「現代のラテンアメリカ」と題する講座で、湯川攝子先生(京都産業大学)が新自由主義について、小林致広先生(神戸市外国語大学)が先住民運動について、辻豊治先生(京都外国語大学)が国家危機と市民社会について、松久玲子先生(同志社大学)がフェミニズムについて講義された。

そして、「ラテンアメリカの歴史と文化」という講座では、大垣貴志郎先生(京都外国語大学)が19世紀メキシコについて、立岩玲子先生(京都外国語大学)が混血社会の形成について、大越翼先生(メキシコ国立自治大学)がマヤ学について、田所清克先生(京都外国語大学)がポストコロニアル文化について、大井邦明先生(京都外国語大学)がメソアメリカ考古学について講義された。いずれも、各分野のレベルの高い研究蓄積を惜しげもなく披露したすばらしい内容であり、開設記念企画は大成功であった。今後の同研究所の順風満帆な発展を確信したしだいである。        (初谷譲次)