Report from Miami

マイアミで急増する南米移民

─サンドイッチからはみ出した?─

"Can you speak Spanish?"

少しでも自分に有利な土俵で会話をすすめようと、マイアミ空港を出てダウンタウンに向かうタクシーの中で運転手にこうたずねてみた。すると「もちろん、ベネズエラ人ですから」との返事。この予想だにしなかった返事に思わず耳を疑ってしまった。こんな偶然がほんとうにあるのか!?実にささいな会話のようだが、筆者には大変な衝撃と喜びであった。

 この夏約1ヶ月間、リサーチのために南米ベネズエラを訪ねる機会をえた。滞在中は自分の研究テーマ以外にも、現在この国が直面する様々な問題に興味を抱き、時間の許す限り資料を収集していたのだが、なかでも一番興味をおぼえたのが、何度もマスコミで取り上げられた「マイアミに急増するベネズエラ移民」についてだった。

 たとえば、今年7月29日付けのEl Uni-versal紙には、以下のような記事が掲載されていた。2000年3月から米国で実施された国勢調査「センサス2000」によると、同国在住のベネズエラ人は9万1,507人である。この数字は、ヒスパニック全人口のなかではわずかな比でしかないが、フロリダ州に限定すれば、この10年間で119%増加したことになっている。さらに、今回の調査で自らを「ヒスパニック」と申告した者のなかにも、約1万8,000人のベネズエラ人がいると見られており、不法入国者も含めればその数はさらに増えることになるだろう。

 たまたま日本への帰国の際、乗り継ぎの都合でマイアミに数日滞在する予定にしていた。そのため、なんとかこの機会を利用して米国で働くベネズエラ移住者たちに直接会い、もう少し詳しく調査できないだろうかと、下準備もせず実に甘い期待を抱いてマイアミの空港に降り立った。そんな矢先、冒頭のように無数にあるタクシーの中から偶然ベネズエラ人のドライバーと出会ったのである。筆者がどれだけ驚いたか、おわかりいただけただろうか。

 彼に早速こういった事情を説明すると、なんとも快く案内役を引き受けてくれた。彼の協力によって、この日だけで10数人の南米出身者にインタビューすることができたのだ。感謝せずにはおられない。以下に現地で出会えた移住者たちのケースをいくつか紹介してみたい。

 まず最初に案内されたのは、ベネズエラスタイルのベーカリーを経営するホアキン・ブラス氏。彼の両親は、ベネズエラが石油ブームで潤っていた70年代初頭にポルトガルから移り住み、その後25年間首都カラカスでパン屋を営んでいた。しかし最後の5年間だけで、なんと5回も強盗の被害にあったとか。治安の悪化を危惧した両親が帰国を決意した際、息子の彼は思いきってマイアミに店を構えることにしたという。今では6軒の支店を抱える若手実業家である。そのベーカリーにたまたま買物にきていた女性も、フディ・デ・リマというベネズエラ人であった。軍人の父親とイタリア人の母親を持つ彼女は、幼い時から父の仕事の関係で何度もマイアミに来ていたという。一度はカラカスのオフィスに勤めたが、治安の悪さと賃金の低さに嫌気をさし、マイアミへ移住してきたのだった。「今はウエイトレスとして働いているけど、収入は以前よりずっとまし。これからもっといい仕事を見つけたいの」と目を輝かしていた。

 その後、日本人観光客もよく利用するという高級リゾートホテルへ案内された。そこにはドアマンやベルボーイとして多くの南米系移民が働くが、その大半はベネズエラ人だというのである。実際行ってみると、その日たまたまいた4、5人のボーイ全員がベネズエラからの移住者たちであった。そのうちの一人ニコラは29歳の青年。

 

 イタリアからベネズエラへ移住した両親は長年輸入業を営んでいたが、景気と治安の悪化から10年前にマイアミへ再移住してきたのだという。また、彼とともに働いていたペドロ(19歳)は、パイロットになるという夢を実現させるために、親戚がいるこのマイアミにやってきたと明るく答えてくれた。「あの国では自分の将来に自信がもてなかったから…」言葉をつまらせたのは、祖国を愛する気持ちや失望感などが交錯した、複雑な心境からだろうか。

 今回の調査で直接話を聞けたのは20人足らずであったが、彼らの話や新聞報道などの資料を概観すると、次のような特徴を指摘することができる。まず、戦後ヨーロッパからベネズエラに流入した商業移民やその子孫が、治安の悪化や経済の低迷を理由にマイアミへ再移住するケースが非常に多いこと。つぎに、原油価格の高騰から好景気が続いた70年代以降、観光、商用、親族訪問等の理由でマイアミを何度も訪れた経験をもつ者が移住者のなかに多いこと。そして最後に、米国に移り住んできたベネズエラ人の大半は、ある程度教育のある若い世代であるということである。

 これまで、ベネズエラという国はヨーロッパやアンデス諸国から大量の労働者を受け入れてきた移民受容国だと認識してきた筆者にとって、この変化には大変驚かされた。しかしながら、こうした米国への移民流出といった動きは、ベネズエラだけでなく他の南米諸国でもすでに進行している現象だという。米国在住のヒスパニックといえば、我々はメキシコやキューバ、プエルトリコ出身者を思い浮かべる。確かに数字の上からいえばこの3国だけで圧倒的な比率を占めている。しかし南米に比較的近いマイアミでは、全ヒスパニックのうち37%をアルゼンチンやコロンビア、ベネズエラ出身者が占め、キューバ人の31%をすでに上回っている。この10年間ではキューバ系移民が24%増加したのに対して、南米出身者は104%の増加を記録する勢いなのである。「もうリトル・ハバナとは言えない」(El Universal紙)ような状態だ。ではこのことは一体何を意味しているのだろうか。

 マイアミでヒスパニック向けにスペイン語紙 VENEZUELA al d誕 を発行しているマヌエル・カロア編集長は、「我々ベネズエラ人を含め昨今南米からここへやってくる移民の多くは、サンドイッチからはみでた中身のようなものですよ」と、こう表現してくれた。つまり、市場経済グローバリズムの浸透による上からの圧力と、貧困層の拡大とそれで誘発される犯罪率の増加といった下からの脅威。この上下のプレッシャーから押し出されたのが、マイアミへ移り住む多くの人たちなのだという。

 確かに、国内の政治的緊張や経済の混乱が続くコロンビア、エクアドル、ペルー、アルゼンチン、そしてベネズエラといった国々のメディアは、医師や弁護士、教師、経営者などの知的労働者が、またさらには大学等で専門教育を修めた中流および上流階級の若者達が、経済移民として米国へ大量に流出している、と指摘している。移民受容側の米国経済は依然力強く、ペルーやエクアドルなどからの安い労働力のみならず、アルゼンチンなどの先進的な国の教育レベルの高い移民を吸収する力があるだけでなく、むしろ必要としているのである。

 しかしマヌエル氏は「今後も社会経済状況が悪化すれば、マイアミへの移住はさらに加速するのは確かだ。だがこうした一種の頭脳流出が続けば、国内労働力の質の低下や中産階級の空洞化といったものが顕著になり、深刻な影響を各国社会に及ぼしかねない」と、警鐘を鳴らしている。

 今回の調査でお世話になったタクシー運転手のカルロス君が別れ際に、「マイアミには一生住もうとは思わない。いつかはここで学んだことを母国で生かしてみたいんだ」と笑顔で語ってくれた言葉をいまでも忘れることができない。  

(野口 茂)