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キリスト教会でマヤが祈っていた

                  高 山 正 之

 メキシコ南部、チアパス州の山間にあるマヤ族の村チョモラスは妙な言い方だが、人工の村である。密林の奥深く、焼き畑農業を営んできたマヤの人々に住む家を提供し、手に職を与え、子供たちは学校に通わせて、というメキシコ政府の定住化政策で生まれたモデル村、という経歴をもつ。

 その村の中央にはキリスト教会がそびえる。あの栄光のマヤ文明を生んだ彼らのための新しい村というよりはスペイン辺りの村を模したようにも見える。

 教会の中は、しかし少しもスペイン風ではなかった。祭壇には十字架ではなく聖母子像が置かれているのはともかく、礼拝の広間は中央通路(Aisle)を挟んで左右に連なる礼拝席がない。まるで体育館のようにただのタイル張りの床が広がるだけなのだ。

 その日はたまたま日曜日で、マヤの人々のミサを見ることができた。彼らは申し合わせたように大きな袋をかつぎ、ヤギかあるいは鶏を抱えていた。袋の中身は松葉だ。広間のどこかに場所を決めると、その松葉を床に敷く。一家族で畳二枚分ぐらいのスペースだろうか。そして周囲を縁取るようにロウソクを立てて火を灯す。薄暗い聖堂の底がロウソクの火で満たされると、そこここから低音の“読経”がわきだしてくる。

 声の主はチャマンと呼ばれるマヤ人の福音読みで、彼らは十ペソほどの祈祷料をもらって各家族のもとでマヤ語で福音を語る。

 家族は松葉のじゅうたんに座り、チャマンの言葉を聞きながらポッシュという強い地酒を飲み回す。小さな子供もその輪に加わっていた。長い読経が終わると家族は連れてきたヤギや鶏の喉をナイフで切る。マリアさまに捧げる生け贄というわけだ。この礼拝の景色はマヤ信仰と多くの類似性をもつ。有名な生け贄の儀式では生け贄にされる者も、その家族も司祭もすべてがポッシュを飲み、今は麻薬に指定されているメキシカンマッシュルームも併せ噛んだ、という。神の声はそういう陶酔の中で聞く。マヤの伝統を見る思いだった。この村は排他性が強い。よそ者にはうるさく、写真撮影でもしようものなら警棒をもった自警団に袋だたきにされる、と同行した民族学研究家N氏が忠告する。一見、白人にも見える彼はスペインの血が混じるメスティソで、マヤの風俗や言葉に精通している。

 彼は「村人の気持ちは複雑だ」という。ここにスペイン人がきたのは十六世紀。ラス・カサスの「インディアスの破壊についての簡潔な報告」にあるようにスペイン人はここでもマヤの人々を冷酷に殺しまくった。

 ラス・カサスは三百万の島民が六十年足らずで殺され尽くしたエスパニョラ島やキューバについて、「黄金のありかを白状させるためにローストチキンのように火で何日もあぶった」。「スペイン人の上官がそのうめき声がうるさいからと部下に命じてインディオに猿轡をさせた」、「腹をすかせた猟犬のためにインディオの赤ん坊をちぎって食べさせた」などと描写する。

 しかし、この地に至ったころにはスペイン人は皆殺しを少し緩和した。略奪と殺戮であとはペンペン草も生えないという方針から、いわゆる植民地化へと移行し始めた。先住民の教化と引き換えに荘園の使役に使うエンコミエンダ(委託)である。それこそペンペン草も生えなくなったエスパニョラ島などでは死滅した先住民に代わって黒人奴隷を入れて砂糖などの生産が行われている。

 無差別には殺されなくなったものの、先住民、インディオの地獄は続いた。男は重労働を強いられるだけでなく社会的断種、自分たちの子孫を残すことは認められず、女はスペイン人の強姦の対象とされた。

 この強姦は植民地支配の政策として実行されていたことがトーマス・クック章を受賞した英国人紀行家ノーマン・ルイスの東ティモール紀行の中に書かれている。「(ティモール軍の)古参兵は色は黒いけれど、目鼻立ちは西欧人のそれを思わせるのはポルトガル人の兵団がここに子孫を残したことを示す。新たな植民地を防衛するのに必要な兵力を自分の息子でまかなうべく現地の娘と進んで結婚せよ、との命令に兵士たちは喜んで従った結果である」。先住民の女に子供を産ませる強姦を国家が積極的に奨励していたのだ。

 そうして産まれてきたハーフカスト(混血児)はその血筋を栄誉として本国(白人)に忠誠を誓い、植民地防衛の先兵として敵と戦うことが期待された。その敵には当然、植民地支配を拒絶する人々、つまり彼らの血の半分を共有する先住民もいた。

 混血児にこういう苛酷な義務を負わせる政策を征服者側はInterfaith Marriageとか通婚政策と今でも美しく表現する。

ポルトガルの好敵手だったスペインもこれにならった。延べにして十万単位ほどのスペイン人が二百年間にわたって行った強姦政策の結果が今、メキシコ人口の六割約五千万人に及ぶメスティソになる。それがいかに徹底して行われたかを示している。

 このときマヤの民は抵抗し山に逃れた。シナカンテコス、ラカンドニス、そして九〇年代、NAFTA調印に抵抗してチアパスで蜂起したトホラワレスはその末裔になる。

 彼らの祖先は山に逃れて彼らの文化と純血を守ってきた。今、彼らは定住化政策で山を下りてきて、そこで見た現実に戸惑った。N氏が「複雑な気持ち」と指摘したのはその戸惑いを言う。

 メキシコ社会は一割の白人を頂点に、その下に八割のメスティソが位置する。メスティソも白人度の高い者、つまり白人の血が濃いほどいい学校に入れ、いい会社に就職でき、社会的に高い地位も入手できる。逆に白人との混血度が低ければ社会的地位も下がる。

 しかしマヤの民には白人の血は一滴も入っていない。定住村から先の現代社会に入ろうにも現実は拒絶の壁が立ち塞がる。それが命懸けで純血を守った代償だった。

 なぜ自分たちの祖先を蔑み、なぜ野蛮な征服者の血に憧れるのか、と彼らはN氏に語るという。その一方で、ポッシュに酔った勢いで若い娘たちがなぜ祖先は山に逃げ通婚政策を拒否したのか、その残酷さを受け入れていてくれれば私たちは村を降りられたのにと愚痴るのも聞かされた。重い言葉で、返す言葉もなかったという。

 「私たちメスティソ、それも白人に近い方のメスティソにもこの村の人々には絶対聞かせられない悩みがある」。N氏は結婚して八年になる。子供が産まれるたびにその恐怖がわいてくるという。「産まれてくる子が何色なのか、それが白いと分かるまで眠ることができない」。二つの血のどっちが強くでるか。それは心の中で自分の本来の祖先の血を呪っていることにもなる。

 頭ではそうした差別はいけないと考えてもわが子となると話は別になる。「メキシコ・シティのハードロック・カフェに入ろうとしたメスティソの兄弟の兄が入店を断られた。遺伝子のいたずらで白人ぽくなかったからだ。でも私たちはそれを批判したり笑ったりする気にはならない」。

 メキシコの純血の民は今、一千万人いる。中米グアテマラも南米ペルーもコロンビアも状況は同じだ。アルゼンチンは一八七〇年代、「国家の近代化」という名の下に組織的にインディオを虐殺した。それでもパタゴニアなどに祖先の血を全うする人々がひっそりと生き延びている。

 NAFTAから南北アメリカ34カ国によるFTAAへの明るい希望が動き出した。しかし、その明るさの裏に癒せない陰がある。多民族社会とは傲慢と諦観といらだちの雑居社会であることを忘れてはならない。     

(帝京大学教授)