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ペドロ・シモン著『ラテンアメリカ文学研究』を読む

本書は、4部構成、400頁超の少し大部な中南米文学書である。ラテンアメリカ文学(史)全体の総論を述べ、しかも主要作家の作品論を細密に論考することは、壮大な構想であるに違いない。しかしながら、アルゼンチン出身で、後年ワシントンの米国カトリック大学大学院にてイスパニア(スペイン・ラテンアメリカ)文学を専攻、そして30有余年間日本での大学教育(南山大学ラテンアメリカ文学ゼミ他担当)の現場に携わり、20編以上もの論文を着実に発表してきた著者ならではの学問的事績の結晶が本書であると聞けば、読者としては納得する他はなく、監修者・翻訳協力者の労作であることにも敬意を表したい。

「第I部」は文字どおり、ラテンアメリカ文学史であるが、著者が別けても“ラテンアメリカ文学ブーム”に高い関心を寄せているのがわかる。「第4章現代イスパノアメリカ小説(スペイン語で著述された小説)「ブーム」とその体系化の試み」では、「ブーム」の主要因を「語りにおける時間の扱い」、つまり、時間の移行(飛躍・逆転・交錯など)に求めるが、これは福永武彦『二十世紀小説論』(岩波書店)での“二十世紀小説の特徴”と重なるものがある。さらに「第5章その他の問題点」での「短編小説ブームと栄光」では、60年代に発生したラテンアメリカ小説ブーム(=文学刷新)の予兆は、すでにオラシオ・キロガ(ウルグアイ)やルルフォ(メキシコ)そしてマルケス(コロンビア)他の短編小説にも認められていたとの指摘は、なかなかの慧眼であり、この第I部だけでも『ラテンアメリカ文学略史』として単行本化されることが要望されよう。

「第II部」(主要作家とその作品論)は、「ガルシア・マルケスと『百年の孤独』」そして「ガルシア・マルケスの小説における<神父>あるいは<司教>について」がともに面白い。前者での『百年の孤独』はすぐれてラテンアメリカ的でありながらも、現代人の問題と本質的に関係しているとの見解は、同書の価値が、地域主義に埋没しない、同時代的かつ普遍的であることを明示するものである。後者ではマルケス作品のカトリック僧侶を、およそ三つの類型“ご都合主義”、“時代遅れ”、“有徳”に区分し、公共や民衆の利益に貢献する実践派の宗教者たちの活動をも呈示するところは、著者のカトリック司祭としての真摯な在り方を反映している。

 スペイン文学論を纏めた「第(III)部」では、「セルバンテス、ドン・キホーテ、サンチョ」が出色と言える。「古典とは過去のものである。しかしそれは同時に今日的でもある」、「現代人との対話に耐え、時間を超越して再読されることが世界文学という名に値する」と定義して、『ドン・キホーテ』を賞賛する。これと同様の名言(「古典を読むのに遅すぎることはない」(カルロス・フエンテス『老いぼれグリンゴ』安藤哲行訳集英社文庫)や講演(ルベン・ロメロ「『ドン・キホーテ』をどう読むか」(『全集』)も見受けられるが、加えて著者は『ドン・キホーテ』の成功あるいは本質を、キホーテ/サンチョ主従をはじめとする主要人物たちの深い人間性、すなわち合理性や利害得失(打算)を乗り越えた人間の信頼関係にあると読解する。読み進むうちに、まるでスペインか中南米の大学で文学論を受講しているようなどこか知的でお洒落な気分に浸れたのは、評者だけではないだろう。著者シモン先生は、教育界にあって若者たち諸個人に、「人間の尊厳の重要性」を説いてきた。このことはそのま、"ヨーロッパからの文学的影響を認めながらも、イスパノアメリカとしての尊厳を高揚したラテンアメリカ文学ブーム"研究への著者の従事・深化と見事にも呼応するものだ。(木下 登 監修 行路社、低価、5,000円)

(片倉充造)