Wisdom             

古代マヤの「知恵者」

 「知恵者」とは何か。『広辞苑』によると、「知恵のすぐれた人」とある。では、その「知恵」とは何か。やはり『広辞苑』によると、つぎのように記されている。

1)物事の理をさとり、是非善悪を弁別する心の作用。物事を思慮し、計画し、処理する力。

2)(仏)六波羅蜜の一つ。

3)4つの主徳の一。

古代ギリシャ以来、哲学者によってさまざまな意味を与えられているが、今日では一般に、科学的知識とも、また一時的な功利的目的と結びつく利口さとも異なる、人生の指針となるような、人格と結びついている実践的知識をいう。「知恵者」とは、これらの「知恵」のすぐれた人となる。そうすると、「知恵」の意味するところにしたがって、「知恵者」もさまざまな意味を与えられることとなり、古今東西一様ではなさそうである。

メソアメリカに高度な文明を築きながら今なお多くの謎を残す、古代マヤの人びとは「知恵者」をどのように捉えていたのだろうか。ここでは、古代マヤの精神世界を知るうえでほとんど唯一の手がかりとされるグアテマラ高地キチェの人びとの起源神話であり歴史伝承の書でもある『ポポル・ヴフ』から探ってみたい。

『ポポル・ヴフ』は一般に4部から成るとされている。そのなかで、「知恵者」は1部から4部まで各部に登場し、とくに1、2部で詳述されている。「知恵者」とされるのは以下ような登場者である。(1) 創造主 (2)英雄の父と叔父(双子の兄弟) (3)英雄の義兄弟 (4)英雄(双子の兄弟)(5) 地下世界の主の相談者 (6) キチェ族の祖先。

そして、マヤの人びとのあいだで「知恵者」とみなされる人物は、つぎの3つ要件を満たしている。

1)「ものを知る」、知識がある。

「知恵者は哲人」[レシーノス:9]であり、「ものを考える人」「ものを知る人」である。レシーノスによると、「キチェー語 Enauinac chicで、「知恵者」「魔術師、占い師」または「予言者」を意味する」[レシーノス注:217] とある。英雄の家系は、その祖父母から予言者の家系である。祖父母は、創造主が人間を創造するときに占いをしている。創造主は言う。「長者の子供でも、知恵者の子供でも、雄弁家の子供でも、みんな唾とよだれのようなものだ。その資性は、死んで失われていくのものはなく、それは引き継がれていく」[レシーノス:59]。しかし、知恵者は資性だけで決まるものではなく、後天的な要素も関係することが記されている。義兄弟について、「フンバッツとフンチョウエンは楽器もよくし、歌も上手であったが、ひじょうな苦労をして育ち、そしてとうとう知恵者となったのであった」[レシーノス:68]。

2)傲慢不遜でない性格。

しかし、義兄弟は「嫉みのあまり、彼らの知恵はかくされてしまって」いるのである。弟たちに対して、「この子供たちがにくくて、嫉ましくてしかたがなかった」「彼らの心はこの二人に対する悪意に満ち満ちていた」のである。「知恵者」であるためには傲慢不遜でない性格が必要であると記されている[レシーノス:68-75]。ヴォットは、英雄を「光と雲をコントロールし、洞窟を表象し、地球から生まれる。最も重要なことはその性格である」[Evan Z. Vogt 1993 :16-17] と述べている。創造主は、「おとなしく、つつましやかで、われらを養い、その糧を用意してくれるものを」[レシーノス:14-15]と言って人間の創造にとりかかっているのである。

3)祖先を崇め敬う。

「知恵者」は、「自分たちを造ってくれた創造主を思いおこす」[レシーノス:18]人である。自らを太陽と大地を造ったと、大地をゆさぶる者として自惚れていた親子たちは、英雄によって滅ぼされてしまう。創造主は、人間の「祖先」であると言えよう。祖先を敬い、知識をもって予見し行動する英雄が『ポポル・ヴフ』のストーリーの中心となっているのである。ドゥランは、「世界のどこを見まわしても、彼らほど、年長者を畏れ敬い、大切にする人々はなかった。その証拠に、老人や父親や母親を粗末にした者は命を奪われた。」[ドゥラン:43] と記している。

『ポポル・ヴフ』のレシーノス版に代表されるように、スペイン語訳は「知恵」をsabio としている。『マヤ語辞典』(*1)によると、sabio には、13項のマヤ語が載るが、そのなかの6例に sabio o prudente または、sabio y prudente とあり、知恵(者)は、思慮深い、分別のあるという prudente との関連が記されている。もともと prudente には予見的な、という意味があり、(ah)ya'om kan は、sabio que sabe muchos cuentos e historias(多くの話や歴史を知る知恵者)ストーリーでも、過去から未来へ繋ぐ役割を担っている。

クロード・ボーデは、その著『マヤ文明―失われた都市を求めて』につぎのように記している(*2)。

「時は西暦1502年。マヤ歴では「カトゥン4アハウ2年」にあたった。総勢25名のマヤ人の一行は、巨大な木の幹を穿った丸木舟に乗り込み、西から一路グァナハ島へ向かっていた。そしてこの時、このホンジュラス湾沖合で、じつに不思議な出会いが彼らを待ち受けていたのだった…」

それは、それまでマヤ人の知るにおよばない、新しい「知恵者」(スペイン人)との最初の出会いだったのだ。『ポポル・ヴフ』の英雄のストーリーは、5世紀あるいはそれ以前のものかもしれない。10世紀余りにわたって口承で受け継がれてきた話が、スペイン人到来後には文書で記され、ひそかに温存されてきた。そこに、キチェの人びとの新たなる「知恵」をみいだすことができよう。

(廣田智子=滋賀県立医科大学)

【引用文献】

A.レシーノス原訳、林屋永吉訳『ポポル・ヴフ』中央公論社 1993年。

Evan Z. Vogt "Tortillas for the Gods" University of Oklahoma Press 1993 ランダ『ユカタン事物紀』大航海紀時代叢書(第二期)13 岩波書店 1982年

ドゥラン、青木康征訳『神々とのたたかい II』岩波書店 1995年

(*1) Alfredo Barrera Vasquez, Diccionario Maya: Maya-Espanol Espanol-Maya.segunda edicion, Mexico, Porrua,

1991.

(*2) クロード・ボーデ、シドニー・ピカソ著, 落合一泰監修、阪田由美子訳『マヤ文明ー失われた都市を求めて』創元社, 1993年。