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100年前のアメリカを振り返って

             大 井 浩 二

 やっと新しい世紀の幕が開いたところだが、今から100年前のこの時期のアメリカ合衆国は、革新主義時代の真っ只中にあった。地理的フロンティアの消滅という《1890年の危機》を経験したアメリカ大衆は、新しく出現したアメリカ的風景としての都市的・産業的フロンティアに、古典的共和主義の美徳の伝統が生き続けることができる、と信じていた。歴史家チャールズ・ビアードの予言に露呈されているオプティミズムをなによりも明確な形で表現していたのは、コロンブスのアメリカ到達400年を記念するためにシカゴで開催された1893年の万国博覧会であった。

 この博覧会は白一色のパビリオンが建ち並び、《ホワイト・シティ》の別名でも知られているが、美徳の共和国の理念が再生することになる都市空間の可能性を、《栄誉の中庭》の一角を飾るダニエル・フレンチ制作の彫像「共和国」が表象していた(この点に関しては、拙著『ホワイト・シティの幻影―シカゴ万国博覧会とアメリカ的想像力―』[1993年、研究社出版]を参照されたい)。もちろん、すでに20世紀を経験したわれわれとしては、都市的・産業的風景のなかに18世紀の美徳の共和国が生き延びることができる、などといった革新主義的予言が幻想以外の何物でもないことを知っているが、そのことを暗示するいくつかの現象がすでに20世紀初頭の段階に現れていたことを明らかにするために、1906年に起こった二つの事件を取り上げてみたい。

 1906年1月、シカゴの食肉業界の内情を暴露したアプトン・シンクレア(1878−1968)の代表作『ジャングル』が出版されている。この作品が切っ掛けとなって純正食品・薬品法が成立したことや、著者自身の社会主義への期待がそこに露骨なまでに表明されていることは周知の事実だろうが、《パッキングタウン》の劣悪な労働条件を強いられた移民一家の悲惨な生活が詳細に描き込まれているという意味でも、ベストセラー小説『ジャングル』の出現はきわめて重要な文学的事件であった。この作品は当時流行したマックレーキング運動の結び付いた暴露小説であるだけでなく、アメリカン・ドリームの崩壊を経験する移民たちの生活と意見を描出しているという意味で移民小説と呼ぶこともできるだろうだろうが、同時にまた、シカゴというアメリカ第二の巨大都市の実態をつぶさに観察した都市小説としての性格も見落とすことができない。

 この小説に登場するリトアニアからの移民一家は、約束の土地アメリカの代名詞とも言うべきシカゴを目指してやって来るが、あっという間に「耳を聾するばかりの混乱」のなかに呑み込まれてしまう。食肉工場での過酷な労働を強いられた主人公ユルギスは、来る日も来る日も地獄の苦しみを味わうことを余儀なくされた結果、「無力感」と「盲目的な恐怖」を忘れるために、アルコールに救いを求めるようになる。主人公だけでなく、工場労働者たちはいずれも人間性を奪い去られ、動物的なレベルにまで引き下げられてしまう。「シンクレアは都市的・産業的環境がその住人たちを絶えず威圧していると見ていた」とある論者は指摘しているが、たしかに、彼にとって、都市的フロンティアとしてのシカゴは人間が動物的本能だけで生きている《ジャングル》そのものであった。

 『ジャングル』が出版された1906年の6月25日、月曜日の夜11時、建築家スタンフォード・ホワイト(1853-1906)がニューヨーク市内の自らが設計したマディソン・スクェア・ガーデンで観劇中に射殺されるという事件が起こる。この事件を新聞が「オール・スター・キャストの殺人」と書き立てたのは、被害者のホワイトが有力な建築事務所を共同で経営する当代一流の建築家、犯人のハリー・ソーが奇矯な行動で知られるピッツバーグの富豪の跡取り息子であったというだけでなく、ハリーの20歳になる若妻イヴリン・ネズビッドが、玉の輿に乗る以前にはコーラスガールとして働く一方で、写真家や画家のモデルとして人気を博していたからであった。例のギブソン・ガールで有名なチャールズ・デイナ・ギブソンの描いた彼女の肖像が「永遠の問題」と題されていることからも、イヴリンの美貌を想像できるにちがいない。

 しかも、長引いた裁判の過程で、イヴリンの証言を通して、結婚以前の彼女と有名建築家ホワイトとのスキャンダラスな秘密の関係が暴露されるにつれて、この殺人事件は世間の耳目を聳動することになった。ホワイトとの情事を妻から告げられたハリー・ソーが嫉妬に狂って凶行に及んだと考えられることから、イヴリンは事実関係の審議に当たった地方検事ウィリアム・ジェロームから法廷で連日厳しい取り調べを受けたが、その様子をレポートした女性記者の一人は(ついでながらメsob sistersモと呼ばれる感傷的な記事専門の女性記者が出現する契機となったのは、この裁判であったことを付記しておこう)、それを「女性の魂の生体解剖」と形容し、「か弱い若い女性がかけられた拷問に比べると、プロボクシングの試合は心を高める光景であり、シカゴのストックヤードでの一日は牧歌的な喜びだろう」とまで語っているが、後半の部分はもしかしたら前年に出版されていた『ジャングル』の世界を意識しての発言であったかもしれない。

 この発言によって、同じ年に発生した一見全く無関係な二つの事件は、辛うじて繋ぎ止められているにすぎないと思う向きもあるだろう。たしかに、『ジャングル』の出版という文学的事件から浮かび上がってくるのが、貧困に打ちひしがれた労働者階級の生活環境であったのと対照的に、有名建築家殺人事件から窺われるのは、裕福な上流階級の人士の自堕落な生活の断片に他ならなかった。だが、いずれもニューヨークやシカゴといったアメリカを代表する近代都市と結び付いたセンセーショナルな事件であったという点で、両者は明らかな一致を示している。さらにスタンフォード・ホワイトが同じ建築事務所のマッキムやミードなどと共に、シカゴ万国博覧会という国家的事業に深く関わっていたとすれば、『ジャングル』の著者もまた、シカゴという都市空間を舞台に展開する物語を書き上げたという意味で、この記念碑的な博覧会と無関係ではあり得なかった。

 すでに触れたように、シカゴに忽然と出現した《ホワイト・シティ》は、20世紀アメリカの可能性が都市的・産業的フロンティアにあることを予告していたが、1906年の二つの事件から浮かび上がって来る都市のイメージは、まさに近代以前の中世的世界のそれであって、そこには、搾取、貧困、腐敗、混乱、暴力、殺人しか見出すことができない。都市空間の堕落と混沌を暴露するばかりであった二つの事件は、アメリカ共和国の基盤としての地理的フロンティアの消失という歴史の現実を目のあたりにしながら、都市的風景のなかで美徳の共和国のヴィジョンを追い続ける革新主義時代のアメリカ大衆のセンチメンタルな幻想を根底から否定する結果となっていた、と言い切ってよいだろう。

       (関西学院文学部教授)

 (本稿は第39回日本アメリカ文学会全国大会でのシンポジウム「二つの世紀末―意識と表現」(2000年10月15日、司会・佐々木隆氏)での発表に基づいている。)