Research

ネオペンテコスタリズムと救済

―現代ブラジルのプロテスタンティズム―

はじめに

 近年、ラテンアメリカではプロテスタンティズムが急成長している。なかでもブラジルで生まれたウニベルサール教会(Igreja Universal do Reino de Deus)は、ブラジルをはじめラテンアメリカ諸国、米国、ヨーロッパ、アフリカそして日本にも進出している巨大プロテスタント教団である。この教団はネオペンテコスタリズムとして位置づけられ、そこではイエス・聖霊の力によって即時的な神の救済を獲得できることが強調される。この特徴はそもそも20世紀はじめに米国で始まったペンテコスタリズムに端を発している。従来のペンテコスタリズムでは、選ばれたものだけが天国に行けるという黙示録的な信仰とそれを獲得するための現世での禁欲主義が強調される傾向があった。しかし、ネオペンテコスタリズムでは、むしろ、「今・ここ」での救済が優先される(Mariano 1999: 8)。ブラジルにおける最初のプロテスタントは、19世紀に移住したドイツ移民によりもたらされたが、それは民族的境界を越えるものではなかった。1910年代、米国から移植されたペンテコスタリズムから、ブラジル産(サンパウロとベレンの2カ所)の教団が生まれる。そして、1950年から60年代にかけてそれらからいくつか分派し、70年代には信者数の増大と布教路線の国際化で非常に注目される教団が出現するようになった。ネオペンテコスタリズムは、この時期に成立した教団に共通の特徴を持つ宗教運動である。ウニベルサール教会もそのひとつで、1977年にリオデジャネイロ市内のある小さなガレージで産声をあげた。小稿は、この教団の展開の諸相を考察する。

1)ネオペンテコスタリズムの歴史・社会的背景

 周知のように、ブラジルはポルトガルによる植民地支配を受けていた頃からカトリック教会の影響下にあった。1889年にカトリックは国教としての地位を失ったが、その後もいわばブラジルの伝統的な宗教として民衆の宗教性に深くかかわってきた。たとえば、1930年代の国民国家アイデンティティ創造の時期には、アパレシーダの聖像がブラジル国家の守護聖人に定められた。また1964年にはじまる21年間の軍政期には国家とカトリック教会の歩み寄りがあった。そして、今もなお盛んに行われている聖人崇拝や巡礼地参拝などの民衆宗教としての信仰は、多くの人びとのあいだで受け継がれている。しかし、ブラジルでは1980年代以降、プロテスタンティズムが急速に伸びるようになった。宗教社会学的にいうならば、教勢の伸びの背景には、その時代の社会・経済的変動が関係していることが指摘できる。ラテンアメリカの1980年代は、「失われた時代」と呼ばれる経済危機の時代である。この時期、ブラジルでは様々な経済再建プランが実施された。しかし、そうしたプランが都市部の低所得者層の経済状況を改善するには至らなかった。そのために多くの人びとがペンテコスタリズムに現世的な救済を求めたといえる。ブラジル地理統計院の調査によると、1980年からの10年間、プロテスタント人口の伸び率は人口増加率を遥かに越え、1991年におけるプロテスタント人口の全国比率は9.0%を占めるまでになった。これを支えたのがネオペンテコスタリズムであり、94年にはペンテコスタリズムがプロテスタント全体の76%を占めている(Mariano 1999: 10)。

 一方、カトリック教会がそうした低所得者層のニーズに十分に応えてこなかったことも指摘しておかねばなるまい。ラテンアメリカでは、1960年代から、カトリックの一部の神父たちがマルクス主義的な解放論議に基づいて、貧困層の救済を共同体的に実現するために「解放の神学」を打ち立てた。しかし、カトリック教会は、これを政治的で亜流な救済論と位置づけ、排除しようとした。それ以来、カトリック教会の民衆に占める位置は確実に後退することになった。その他、資本主義の浸透と都市化で価値の多元的な状況が生まれ、それによって人びとが伝統的な価値としてのカトリック的な信仰から足を遠ざけたことも忘れてはなるまい。

 ところで、カトリック教会が低所得者層の信者を奪回しはじめたのは1990年代の半ばを過ぎてからである。この頃から、傍目にはネオペンテコスタリズムと見分けがつきにくいカリスマ刷新運動が人びとに受容され始めた。カリスマ刷新運動は、今日のカトリック教会にとり、低所得者層をはじめとするブラジルの一般大衆を引き付けるための目玉商品だといえる。

2)ウニベルサール教会受容の要因

 マックス・ウェーバーは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のなかで資本主義を推進させた人びとのエートスを支えたのがカルビニズムの禁欲主義であり、その具体的実践として職業労働があったことを明らかにした。ラテンアメリカの低所得者層に位置づけられる人びとは、一つの生存戦略としてネオペンテコスタリズムの教会を選択し、そうした禁欲主義を学ぶことによって「豊かさ」を求めようとしているようにもみえる。しかし、彼らを引き付ける最大の要因は、ネオペンテコスタリズムでは消費と現世欲が正当化され、個人が享受することのできる当然の権利として語られるということだろう。集会では、諸悪の根元が当人の「罪」にではなく「悪魔」として外在化させられる。ゆえに信者自身の「罪」は問われない。説教では、牧師が壇上で神に祈り、涙を流し、人びとと歌声を共にする。牧師は、「私はこんな状況に我慢できない」という言葉を信者と共に大きな声で繰り返す。その姿は信者の代弁者そのものである。彼のメッセージは、信者各自に「被害者としての自己」を正当化するようにみえる。苦しみに喘ぐ個人は、いわば権利を剥奪された被害者として、失われた自己を回復するのである。そこにひとつの救済の姿があらわれる。また、説教では収入の十分の一に相当するディジモと呼ばれる献金が奨励される。ディジモはいわば先行投資としても理解されている。たとえば、筆者が参与観察を行ったレシーフェの教会では「100万レアルの収入を得たい人は10万レアルを先ずお供えしよう」とか「たとえ1レアルでもいいから、お供えをしよう。献金には神の祝福が注がれて、その何倍ものお金になって返ってくるのです」というような、投機的な献金がすすめられている。この先行投資型の献金制度は、資本主義的な思考パターンを身につけた都市住民に説得力を持っている。

 その他の要因として、以下の事柄をあげておこう。ウニベルサール教会は、サンパウロのテレビ会社を買収し、毎日独自に宣教のための番組を全国放映しているほか、ラジオでも同様の内容を流している。また、週刊の新聞を発行しており、メディア布教、文書布教に熱心である。テレビやラジオ番組では、信者の体験談が語られ、同様の苦しみを抱えている人びとを共感させ、教会へと足を向かわせる。レシーフェ市にある中心的なウニベルサール教会はカテドラル(大聖堂)と呼ばれ、15名の牧師とオブレロと呼ばれる牧師の援助を行う者が200名登録されている。牧師は聖職者であり、オブレロは一般信者である。牧師の平均年齢は若く、筆者がインタビューを行った牧師(19才)は17才で牧師になったという。そのような牧師が信者の相談にのる。昼間でも相談をしにやってくる人びとは多く、概して牧師は懇切丁寧な印象を受ける。このような対面接触的な相談方法に魅せられる都市住民は多いが、カトリック教会に似たような対処法がとられていないことの意味は大きい。最後に、アフロブラジリアン宗教との関連性をあげておこう。ウニヴェルサール教会はアフロブラジリアン宗教を悪魔の仕業として攻撃し、毎週金曜日の「解放の集会」では、信者に降霊した悪魔を除霊するという儀式を行っている。筆者が参加した日にも、ポンバジーラと呼ばれる娼婦の霊が老女に降りていた。筆者のインタビューに、ある牧師は「ほぼ全員がアフロブラジリアン宗教の悪魔に騙され疲れてやってくる」と語った。ブラジルにおけるアフロブラジリアン宗教の受容度の高さもネオペンテコスタリズムの発展の要因となっている。

おわりに

 「ディジモの強制は人びとを搾取し詐欺である」と、ウニヴェルサール教会はしばしば非難される。また、教団が拡大するに従ってメディアでは様々な告発も行われている。それにもかかわらず人びとに受容され続けているという事実は、たんに洗脳といったありふれた言葉でこの伸展ぶりを片づけてしまうことが不十分であることを物語っている。近年のネオペンテコスタリズムの急成長は、ひとまずマイノリティとしての個人や集団が位置づけられた社会的な周縁性を物語っているといえる。人びとの救済に対する普遍的な願望と今日的な欲望の正当化の構図のなかに、功利主義的な解決をも良しとするネオペンテコスタリズムの現代的な「救済」が垣間見えるのである。

(山田政信)

【参考文献】

Mariano, Ricardo. Neopentecostais: socio-logia do novo pentecostalismo no Brasil, Ed. Loyola, 1999.