Letter from New York 

難しいHate Crime対策

 

先学期、ニューヨークのある州立大学で、韓国系アメリカ人の学生が3人の白人学生に殴られ、怪我のために大学を中退しなくてはいけなくなる事件があった。マイノリティーに対するHate Crime と呼ばれる種の犯罪の一つだ。

Hate Crime は人種、宗教、国籍、性別、障害、またはホモセクシュアルなど、特定のカテゴリーに属する団体または個人に対する差別に基づいた犯罪で、アメリカ社会の深刻な問題の一つである。歴史的な背景を考えて、KKKと呼ばれる団体のマイノリティーに対する差別行為やドイツのナチスのユダヤ人迫害などを思い浮かべる人もいるかと思われるが、実際には、そのような特定の組織に属さない個人が起こすケースのほうが、団体行為をはるかに上回るという。95年のロサンゼルス警察の記録によると、1,495件のHate Crime のうち、特別な組織のメンバーによる事件は74件のみであった。

Hate Crimeの犯罪行為の内容は、言葉の上でのいやがらせから、傷害、窃盗、放火、レイプ、殺人に至るまで様々である。この手の犯罪と他の犯罪の違いは、被害者の「特質(カテゴリー)」を侮蔑するような言葉が使われているかどうかが決め手なので、当然どちらかはっきりしないケースも多々ある。スプレーペイントで書かれた文字や、侮蔑的な言葉が用いられない事件では、Hate Crimeの疑いがある場合でも「その他」の事件リストに入ると言うから、実際の事件数は統計を上回るであろう。

奴隷制度や19世紀に始まったKKKの例を考えても、Hate Crime はアメリカでは歴史上深刻な問題であった。それにもかかわらず、政府が差別犯罪をHate Crimeとして扱うようになったのはほんの10年前のことである。1990年のHate Crimes Statistics Act(州警察の政府への年次報告の奨励)や1991年の全国レベルでの統計調査の開始などによって、昔よりは現状が理解されるようになったが、その本質や予防策の研究など、問題解決への道は長い。

大切な予防策の一つに若者の教育があげられる。差別的な考え方は家族やコミュニティーの影響であることが多く、根本的なところからの予防は容易ではない。ただ、比較的早い時期からの矯正や教育は教育機関によっても可能であるとの考え方から、政府は全国の教育機関に「手引き書」を配布し、職員の教育を奨励している。先ずは教育者の教育からというわけである。

ニューヨークでの事件の被害者は韓国系のアメリカ人であったが、3人の被告の1人が取り調べの際に、「中国人だと思ったから」と、言い訳にもならない言葉を述べたという。典型的な無知からなる差別犯行であり、彼は「じゃあ何故中国人を特別視するのか」という問に答えることもできなかった。被害者の学生は一生後遺症が残る大怪我をしており、当然「単なる誤解」で片付けられる問題ではなかったが、加害者の育った環境などにも悲しさを感じないではいられない。

私にとって暴力事件そのもの以上にショックだったのは、大学側の対処であった。3人の加害者のうち、1人は退学処分になったが、1人は1年の停学処分で済み、残りの1人は無罪放免になったのだ。大学側は事件の真相をマスコミから隠すことに夢中なあまり、被害者の学生の家族への連絡まで怠っていたという。

ニューヨークという土地がらマイノリティーの受験者の多い大学なのに、「キャンパスで差別犯罪が起こったことが知れたら宣伝に悪い」ということだろうか。学生の教育以上に大学側の人間の教育が足りないように感じた例である。

私の現在勤める大学でも去年、黒人の女学生の寮の部屋が荒され、Hate Crimeとして問題になった。大学は直ちに警察に通報し、学内でも24時間の電話のホットラインを築くなど、犯人逮捕に協力を惜しまなかった。また、大学全体に事件の詳細や大学の意思を表明し、職員や学生の間での意識を高めることに全力をあげた。一言でアメリカの大学と言っても、個人の考え方がそれぞれに異なるのと同じように、どのように問題に対処するかは大学によって様々なのである。

人種のるつぼ、モザイク、サラダボール等と呼ばれる程様々な人種の混ざったアメリカ社会。このような環境の中で大学教育に携わるに当たり、教科以外の教育の重要性を強く感じさせられる一件であった。      

(佐藤奈津)