Monologue in New York

狂気に走るニューヨーカー

 

 3年前の大晦日、寒がりの私はいやいやながらも友人にひっぱられ、タイムズスクエアーの年末カウントダウンに参加した。それは、まさに地獄絵図であった。

 新年を迎える感動を大勢の人々と分かち合おう、というこの行事はニューヨークの名物の一つであるが、それはテレビの画面で見るほど甘いものではない。集まる人間の数がとてつもないのだ。日本の通勤ラッシュ時の倍以上の混みようであろうか。片足を上げたら上げっぱなしという、あの満員電車のバイというのだから、ちょっと想像していただきたい。

 押されて、もうつぶれる・・・。危機感を感じた時にはもう遅かった。爆竹だかガンショットだか分からない音。とても引き返すことができないほど私たちの後ろには次々と人が押し寄せている。周りには、酔っぱらっている者、パニックで泣き叫ぶ者、しまいには路上駐車の窓を割って、堂々と中の物を取っている輩あり、まさに無法地帯と化していた。カリフォルニアで経験した暴動にも似ている。

「おまわりさーん!」

 警官の数が足りないのであろうか。視界には、警備にあたっている人間もいない。こういう時には、ニュージャージーからでも借りてくることはできないものか。

 異常に興奮した群衆の波が何度も押し寄せ、ついに重みを支えきれなくなった人達が、バッタバッタと後ろに倒れ始めた。私達三人もその波に巻き込まれ、何十人という人々の下敷きになった。私たちの下にもまだ何人かいた。

「助けてー」

叫んでも、人々は他人を助けるどころか、自分の身を起こすこともできない状態だ。前が見えない。息ができない。

 それでもなんとか態勢を立て直した私たちの身の上にはまだまだ災難が降りかかる。ものすごい騒音の中でカウントダウンの瞬間はよくわからなかったが、年のかわったのはあのときであったか。上から人が降ってきたのだ。そう、電柱につかまってこの騒ぎを見物していた大男が3、2、1、0で群衆に飛び込み、靴が頭を直撃し私は人波に沈んだ。一度沈むと、もう生きては戻れないブラックホールである。

 アメリカへきて6年半、(当時)フォーレターワードを使ったのはこの時が初めてである。その巨体は波に乗って去っていったかと思えば、また戻り、私たちの頭上をあつかましくさまよい、そうしているうちにその人垣はばらばらと四方へ散ってゆき、かくてこの気違い沙汰はお開きとなった。

 結局、被害は友人の帽子と靴の片方ですんだが、たった10分か15分の出来事とは思えないほど、げっそりと年をとった気がした。

この6月、マンハッタンのプエルトリカン・パレードで起こった事件を繰り返しテレビで見るにつけ思い知らされたのは、ニューヨーカーのパワーは時として、群をなし、ケタ外れの狂気に走ることがあることだ。

この類の人が集まるお祭りには二度と近づきたくない。      

(布川 栄美)