Special to the Newsletter

アメリカ研究と比較の視座

                   斎 藤  眞

 外国人によるアメリカ研究書、アレキシス・ド・トクヴィルの『アメリカにおけるデモクラシー』が、古典として広く読まれていることは周知のことである。しかし、思えばトクヴィルが友人ボモンと共にアメリカを訪れたのは、1831年5月から翌32年の2月まで、9ヶ月余りであり、しかも彼が未だ26歳の時であった。フランス政府により派遣された公の目的も監獄制度の視察であり、事実彼は帰国後、その報告書を政府に提出し、それは後に『懲治監獄』として公刊され、トクヴィルは行刑理論家として知られている。

 となると、ある意味ではその旅行の副産物ともいえる彼のアメリカ論が、なぜ広く読まれ、古典としての地位をもつにいたったのであろうか。といえば、直ぐにもそれはトクヴィルが、いわば歴史的必然としてデモクラシーを捉え、それがアメリカで具体的にどう展開しているかを観察し、そこから自国におけるデモクラシーのあり方についての示唆を学び、告げたこと、つまり彼自身の言葉でいえば「アメリカの中にアメリカ以上のものを見たこと」による、という周知の答えが返ってこよう。まさしく、特定=アメリカは、普遍=デモクラシーとの関連で論じられたからこそ、人びとの注意を引いたといえる。

 しかし、それに加えて忘れてならないのは、トクヴィルが別の特定であるフランス、さらにイギリスなどとの比較の視座をもって、アメリカ社会について観察し叙述していることである。その場合、アメリカ社会における境遇・地位・機会の平等が強調され、またその点が同書をめぐる賛否の焦点ともなっていることは、よく知られている。その点は暫くおくとして、私個人としては、同書を最初に読んだ時(より正確にいえば頁をめくった時)強く印象に残ったのは、政治についての叙述にあたり、普通なされるようにまず連邦政府から記して州政府に及び、そして地方政府についてのべるのではなく、同書が全く逆をいっていることであった。つまり、その叙述の構成において、地方政府からはじめて中央政府に及ぶという構成をとっていることである。アメリカを旅行するヨーロッパ人にとり、何より驚くことは、そこにはフランスで「われわれが政府ないし行政と呼んでいるものがない」ということである、とも彼は記している。連邦憲法も制定され、民衆の代表として強力な第7代大統領ジャクソン登場の時代においてである。

 政治についてのべるにあたり彼も、人民主権という表現を使う。人民主権という言葉は、たとえばヴェルサイユ宮殿の絶対君主の掌中にあった主権が、かのフランス革命により「人民」の手に渡った、という「人民」という全体的・一体的・抽象的存在を連想させる。しかし、トクヴィルは、アメリカでは人民とは各地方に散在する個々別々の人びとであって、それらの人びとが身近な社会の意思決定に参加し、必要に応じて中央の組織に参加してゆく、ことを指摘する。権力は中央から地方へではなく、地方から中央へ、と委託されてゆく点でのフランスとアメリカの違いをトクヴィルは強調する。おそらく、われわれ日本人のアメリカ理解、研究においても、盲点の一つはこの連邦制の問題であろう。われわれは中央から地方へ権力・権限が委譲・分権される「地方分権」は承知していても、権力・権限が地方から中央へ委託・分権される「中央分権?」という国家構造・憲法はなかなかわかりにくい。

 つまり、トクヴィルが、デモクラシーという普遍についての問題意識を背景にしつつ、同時に特定諸国間の比較の視座をもったことが、この26歳の青年による1年たらずのアメリカ滞在の観察と研究に基づく『アメリカにおけるデモクラシー』をして、長く人びとに、いやアメリカ研究者に考えさせるものを与えてきた、といえよう。

 もう一つ、別にアメリカ研究書ではないが、ハンナ・アーレントの『革命について』という1963年刊行の書物をとりあげてみよう。いうまでもなくアーレントは、元来ユダヤ系ドイツ人であったがアメリカに亡命し、アメリカ人になった、日本でもよく研究されている思想家である。本書はその表題の示すように、彼女が革命という普遍的な題目について論じたものであるが、そこでは主としてフランス革命とアメリカ革命との二つの特定が比較されながら議論が展開されている。そこで注目されるのは、アメリカ革命における自由が、権力からの解放だけでなく、権力への参加、権力の構成をも意味し、それは植民地時代における各地方の具体的な経験を背景にしているという指摘であろう。そのことの当否には議論があろうが、アメリカ革命理解、アメリカ政治理解にとって重要な視点であることは否定できない。

 今日、日本のアメリカ研究は、研究者の数も格段に増え、アメリカとの往来も容易であり、一次資料、二次資料についてもほとんど居ながらにして入手できる。アメリカにおける先端的な専門研究にも、僅かな時差で追いつくこともできる。その意味で、日本人研究者もアメリカ人研究者と、ほとんど同時間的、同一空間的に研究できるし、事実多くの専門的研究が日本人研究者の手でなされている。その点では外国人研究者であることの不利・不便は確かに少なくなった、といえよう。しかし、逆に外国人研究者であることの潜在的、そうあくまでも潜在的な有利さが忘れられ、失われかねない。それは、自分なりの普遍への問題意識をもちつつ、外から他と比較してアメリカを観察し研究するという潜在的な有利さである。

 たとえば、今日、日本の研究者の間でも、多文化主義についての研究は多いし、そのこと自体、私も大歓迎である。と共に、特定国民であることのアイデンティティという普遍の問題を踏まえつつ、日本を含め他の特定諸国の移民法・国籍法・帰化法などとの比較の視座をもって、今日のアメリカ社会多文化化の重要な背景をなす1965年の改正移民法についての研究が生まれることも望まれよう。また、たとえば本来「普遍」を目指し同じ教皇を戴くカトリック教会のあり方につき、西半球の中南米諸国、合衆国、カナダという諸特定社会における、その異同、その「市民宗教」的役割の有無もまた、一考されてよいかもしれない。

 思えばアメリカ研究を含め、およそ外国研究、地域研究は、その国、その地域だけを観察し研究しても、その研究成果が読む者を刺激し、考えさせる外国研究、地域研究にはなりにくいのかもしれない。心密かにでも普遍的な問題意識をもちつつ、比較の視座、いやその関心だけでももって、特定の外国、地域の研究に従事すべきであろう。いや、もっとそうすべきであった、と一老書生が自省している次第である。

                       (東京大学名誉教授)