Letter from New York 

Language Tableのすすめ

 

 アメリカの4年制の大学は、教育内容から大まかに次の3つのカテゴリーに分けられます。この3つは、様々な専門学部を含む総合大学、一般教養を重視するリベラルアーツ・カレッジ、そして職業専門教育を提供する(医科大、法科大、芸術大学などの)専門大学で、私の所属するハミルトン・カレッジはリベラルアーツのカテゴリーに属します。

 総合大学が特に専門分野に分けた教育に力を入れ、大学院教育と研究活動に重点をおいているのに対し、リベラルアーツ・カレッジは学部段階の一般教養教育を重視し、学士号取得を目指した教育に重点をおいています。私立で、学校のサイズが小さめなのも特徴のひとつです。

 欧米の大学教育の原点であると言われるリベラルアーツ教育の起源は、ギリシャ時代までさかのぼります。プラトンやピタゴラスを始めとする学者陣がアテネ郊外のアポロン・アカデモスの森の中にアカデミアという学院を創立し、専門分野の枠組みにとらわれずに教育を行ったのが始まりだとか。フレキシブルなカリキュラムの中で、学生に幅広い教養と深い知性を磨く場を提供するのを目的としており、日本の大学教育システムの中では教養学部がこの方針を取り入れています。

 過去10年間州立の総合大学での教育に携わった私にとっては、戸惑うことも数々あります。前の大学では普通クラスの最低履修登録人数(10人から15人が普通)が定められおり、学生数がそれに満たない場合はクラスがキャンセルされてしまうのに対し、ハミルトンでは上級のクラスになると定員が8人以下というのもめずらしくありません。州立大学の定員数25人のクラスに慣れている私としては、学生がたった2人のクラスを担当することに、何やらうしろめたさを感じてしまいます。

 今年は4学年の26人の学生を二人の日本語教員で担当するので、各講師の授業時間は週に5、6時間程度(以前の半分以下)と少なめですが、それで仕事が楽になるかというと、そうでもありません。全寮制で、学生と教員の交流が常に奨励される環境の中で、学生は研究室に頻繁に足を運び、常に担当教員にアドバイスを受けることに慣れています。教員は学生一人一人の学習の進み具合に気を配りながら、皆が学習成果を得られる環境を築くことを要求されているわけです。

 その一環として、例えばハミルトンの語学コースには Language Table という場が設けられています。これは週に一度、日本語のクラスに関係する学生や教員が集まって夕食を共にし、日本の文化や習慣について語り合うというイベントです。リラックスできる環境の中で自分の興味に応じて好きなことが話し合えると、学生には好評。日本語関係の人であれば自由に参加できるので、キャンパスや同じ地区に住む日本人を招くこともあります。

 ハミルトンの環境についてばかり述べましたが、どのような環境においてもやはり学生のやる気が一番大切だと思わされる出来事もありました。先学期、元英国首相であるマーガレット・サッチャー氏がハミルトンを訪問した日のことです。カフェテリアでテーブルを一緒にした学生に、「今日、サッチャーのレクチャーに行くでしょう」と言ったところ、「誰ですか、それ。有名な歌手ですか」という返事が返ってきたのです。 唖然とする私に、「先学期のゲストはB.B.King だったんです。あれはよかったなあ、、、」と、更に追い打ちをかけるその学生。あまりのショックに、結局サッチャー元首相が誰なのか説明できないまま、ランチアワーを終えてしまったのでした。そのまま学期が終了し、休みになったので、あの日講演に行った学生が「サッチャーって歌が歌えないんだ!」と思ったかどうかは知る由もありません。環境の重要性もさりながら、結局は個人個人の努力かな、と思わされた日でした。      

(佐藤奈津)