Sentimental Journey

"The Battle Hymn of the Republic"考

 1999年夏、Washington, D.C. の北西55マイルにあるHarpers Ferry, West Virginiaやその周辺の南北戦争の古戦場を訪れた。特に Harpers Ferryは、30年ぶりに訪れたので、感慨深かった。アメリカ東部は数十年ぶりの猛暑と干ばつということで、Potomac川とShenandoah川の合流地点、Harpers Ferry の水量は豊かではなかった。しかし、ここでは1748年の大洪水以来、1996年までに、記録的な洪水が12回も起きている。この水資源を利用した産業、特に兵器製造のために、Harpers Ferry はアメリカ史において重要な舞台となった。南北戦争においても、北軍、南軍が8回にわたり占拠を繰り返してきた。

 しかし、Harpers Ferry が何より有名であるのは、John Brown の Harpers Ferry 兵器庫襲撃のためである。1859年10月16日、武装した13人の白人、5人の黒人を引き連れた59歳の奴隷制廃止論者John BrownがHarpers Ferry武器庫を襲って奴隷制廃止の闘争を引き起こそうとした事件である。彼等は武器庫を占拠したが、当時は中佐であった Robert E. Lee が90名の合衆国海兵隊を率いて鎮圧。Brown は反逆と殺人の罪で告発され、1859年12月2日、Charles Townで絞首刑にかけられた。処刑場へ向かう途中、Brown は護衛に紙切れを渡した。そこには「私 John Brownは、この罪深い国土の罪は血をもって浄める以外にはないと確信する。」と書き付けてあった。奴隷制廃止のために南部との戦闘を訴えたBrownは、北部では殉教者となり、南北戦争への世論が一挙に高まる契機となったのである。

 このJohn BrownのHarpers Ferry兵器庫襲撃事件を歌ったのが ヤJohn Brownユs Bodyユ という歌である。

  "John brownユs body lies a-mouderinユ in the grave, /John brownユs body lies a-mouderinユ in the grave, /John brownユs body lies a-mouderinユ in the grave, /But his soul goes marching on...."

 この歌は、親しみやすい曲と単純な歌詞の繰り返しのため、たちまち民衆に受け入れられ、北部人には奴隷制度廃止運動の歌となり、北軍の進軍歌となったのである。

 旅行に関する書物、劇、詩を書き、また、南北戦争の未亡人のための運動をしていたJulia Ward Howeは、 "John Brownユs Bodyユ に ヤThe Battle Hymn of the Republic"というタイトルの新しい詩を書き、1862年2月のThe Atlantic Monthly に掲載した。Julia Ward Howeの作品は、現在アメリカでは愛唱されているようである。

 

Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord;

He is trampling out the vintage where the grapes of wrath are stored;

He hath loosed the fateful lightning of His terrible swift sword,

His truth is marching on.

Glory, glory, halleluja!

Glory, glory, halleluja!

Glory, glory, halleluja!

His truth is marching on!

 

I have seen Him in the watch-fires of a hundred circling camps;

They have builded Him an altar in the evening dews and damps;

I can read His righteous sentence by the dim and flaring lamps.

His day is marching on.

 

He has sounded a fiery gospel, writ in burnish'd rows of steel;

"As ye deal with my contemners, so with you my grace shall deal;

Let the Hero, born of woman, crush the serpent with His heel,

Since God is marching on"

 

He has sounded forth the trumpet that shall never call retreat,

He is sifting out the hearts of men before his judgment seat;

Oh, be swift, my soul, to answer Him! be jubilant my feet!

Our God is marching on.

 

In the beauty of the lilies Christ was born across the sea,

With a glory in His bosom that transfigures you and me;

As He died to make men holy, let us die to make men free,

While God is marching on.

 

 北軍、南軍とも、南北戦争は長くとも2、3ヵ月で決着するものと思っていた。ところが、おびただしい死傷者を出しながら、永遠に続くかと思われる泥沼状態に陥った。Lincoln大統領は就任演説で、奴隷州における奴隷制度には、直接あるいは間接的にも不干渉を表明している。また、南北戦争勃発後3ヵ月の1861年7月4日の議会への第1メッセージにおいても、この誓いを繰り返している。個人として、また、共和党員として、Lincoln は奴隷制廃止を望んでいた。しかし、合衆国大統領としては、奴隷制存続を望む州を容認する憲法にも縛られていた。奴隷制度を廃止するより、まず従来の奴隷州は認めながら、連邦離脱を回避することを第一に考えていたのである。しかし、1863年1月1日、ついに Lincoln大統領は奴隷解放宣言をすることになる。これにより、英国をはじめヨーロッパ諸国が、奴隷解放という大義を掲げた北軍を支持することになったのである。

 Julia Ward Howeの替え歌 "The Battle Hymn of the Republic" には、その大義が堂々と主張されている。

 まず、第1スタンザでは、神が、怒りの葡萄(神の摂理、人間の良心)の蓄えられている蔵より出でて、雷を放ちながら正義を振るわんと訪れ来る様が述べられる。

 第2スタンザでは、百の円陣をなす戦場の野営テントに、神がいることを歌う。

 第3のスタンザでは、敵と闘う限り神の心は共にあるとのべる。特にメLet the Hero, born of woman, crush the serpent with His heelモには、含蓄に富む表現が使われている。『聖書』、「ヨブ記」の ヤMan that is born of a woman is of few days, and full of trouble. He cometh forth like a flower, and is cut down: he fleeth also as a shadow, and continueth not.ユ の引用には、人間の脆さ、はかなさが示されている。また、 メcrush the serpent with His heelモ は、アイルランドから蛇を駆除したという伝説の守護聖人St. Patrick の悪を滅ぼす偉業に言及している。 かくて、はかなき、苦しみ多い人間が、St. Patrick の悪を滅ぼす聖戦を勇敢に遂行しようとしていることこそ、北軍の闘いに他ならぬと主張するのである。

 第4スタンザは、神が最後の審判で、善人と悪人とにふるい分けることに触れている。

 第5スタンザは、海の彼方でキリストが生誕したことに触れ、人類を清めるために死んだ。我々もキリストに倣い、人を自由にするために死のうではないかと結んでいる。

 以上に見てきたように、 ヤJohn Brown's Bodyユ の単純な歌詞が、Howeにより擬古体の荘厳さを帯びたものになっている。また、正義あふれる自分達の側には、神が与しているという主張が、各スタンザに繰り返されており、キリストに倣って、人(黒人)を解放するために命を捧げようという悲痛な誓いで締めくくっている。

 Thomas Jefferson が周到に練り上げた1776年の ヤThe Declaration of Independenceユ は、アメリカ語の格調と思想性を全世界に誇示したといえる。新生アメリカが意識的にアメリカ語を確立して行く契機となるのが、この1776年のAmerican Revolutionである。

 そして ヤfourscore and seven years laterユ アメリカ語の品位と思想性は、再び世界に高らかに示された。Lincoln大統領は、北軍23,000 南軍25,000の生命が失われたGettysburgにおいて、1863年11月19日、歴史に残る ヤGettysburg Addressユ をする。短いながらも、格調の高いこのスピーチは メFourscore and seven years ago....モで始まる。 ヤThe Declaration of Independenceユのアメリカの独立、人間の尊厳と自由の理念に言及しながら、Gettysburgで戦った生者も死者も、自由のために戦った勇者であり、戦場に散った約6万の兵士の命は、無駄な死ではなく、人間の解放という尊い大義のためであると強調している。

 Julia Ward Howe は一気に書き上げたとはいえ、 ヤGettysburg Addressユと同じく、自由のための戦いを高らかに歌ったのである。自由のために命を賭して戦おう。なぜならば、神の加護は北軍のこの大義にあると主張している。

 南北戦争の死者は61万8千人といわれている。またFredericksburgでは、北軍死傷者12,653、南軍死傷者5,309、その他、Spotsylvania や Chancellorsvilleと、北軍、南軍の兵士は、有能な、あるいは無能な指揮官の下に無惨な最期を遂げたのである。

南北戦争の古戦場を歩くとき、累々と続く屍の上を歩むことになる。61万8千の兵士の死は、歴史の必然であったのであろうか。 ヤJohn Brown's Bodyユ と ヤThe Battle Hymn of the Republicユ、この歌は、南北戦争の理念を高らかに主張する歌であるといえよう。

  

(小林孝信)