Research Paper

アレハンドロ・オルティス(Alejandro Ortiz)

                 のアンデス神話研究 (3) 

 しかし、オルティスは対立する属性を抽出するのみならず、それらの対立要素を仲介する媒介項をも引き出してみせる。インカ・ティティカカ・クスコ・女性などがそれであるが、著者は、それらのうちで特に、仲介者としての女性の役割に注目する。というのも、仲介者は、現在のアンデス神話群の中では、ツグミなどの鳥類で表象される場合もないではないが、一般にはアビラの時代と同様、女性として登場する傾向が見られるからである。そしてオルティスは、現在のワロチリの神話に表現される宗教的空間に関して言及し、それがアビラ神父の時と同一の基本構造を保持し、「高=模範、低=変化、中心=均衡という関係」(p.153)によって表されていると説き、最終的にはインカの征服についての神話をそのモデルに沿って分析してみせる。つまり、オルティスは、上記の3つの要素を用いてワロチリの人々にとって征服=パチャクティがどのように把握されているかを説明するわけである。以上、オルティスは、第1・2・3章から引き出した結果が、序論で述べた仮説を満たすことを確認した上で、今後の展望として、同一社会に属する神話と儀礼との関係の考察が不可欠である(p.15)と述べ本書を締めくくる(11)。

 さて、以上がオルティスの小著の概要であるが、以下に本書に対する若干のコメントを付し本書の解題とし、併せてオルティスの神話論に代えたいと考える。

 本書の特徴がアンデス神話研究のなかで極めてユニークな存在であることは疑いの余地がない。それはまず、400年間という時間を隔てた二つの時代に属する説話の

比較というオルティスの着眼にある。アビラ神父の『ワロチリの神々と人々』はもともとケチュア語で採集され、それは16世紀末のワロチリ地方の文化を垣間みる第一級の資料として定評がある。その点に注目して400年のタイム・ラグを考察すべくワロチリで調査活動を始めたオルティスの計画性はまずもって賞賛に値する。

 しかし、この試みは何よりも先に400年前に採集された神話と現在のそれがともに分析に耐えうるものでなければならない。アビラのものはともかく、そこで、現在のワロチリの神話が問題となる。ここで分析される神話のほとんどは著者自身のフィールドワークにより慎重に集められたものであり、ケチュア語で語られたものにはスペイン語とならんで原語が付されている。つまり、オルティスの蒐集した神話もアビラのものと負けず劣らず優れた資料となっている。

 したがって、オルティスのこの本は神話部分だけを読んでも興味深いものではあるが、しかし考えてみれば、これは神話集ではない。ここでは現代の神話がアンソロジーの形で雑然と集められているというのではなく、構造分析の手法を導入し、集められた神話が相互に関連づけられ、そこで見いだされる関係を軸として一貫した分析が施されているのがその特徴となっている。この手法はしたがって、モチーフ別とか登場人物別というような神話の分類の、ドグマ的識別が内包する視野狭窄を完全にぬぐい去ることに成功している。たとえば、宇宙創生というモチーフとかビラコチャ神話の主人公というような分類から出発すると−方法論しだいで意味ある結論も引き出せるとは思うのだが−宇宙創生に拘れば創生という行為とは別の行為を語るビラコチャ神話は排除され、またビラコチャという名称に拘れば、別の名称をもつ創造神の神話を

別のものとして取り扱わなければならなくなる。しかし、実際、モチーフや名称が変化しても神話を構成している要素間の諸関係は一定である場合が多い。オルティスの戦略は、モチーフとか名称という表面に表れている事柄に目を奪われないようにし、それらに底流する諸関係に照らして神話を関連づけるというものである。その結果、時として、全く別に見える神話が関係づけられるということもさほど驚くべきことではないのである。

 モチーフや名称に拘らずに、神話の構造を比較するというユニークな手法がさらに際だったユニークさを本書に与える。それはもともと、本書の着想と密接に関連している。つまり、400年前に語られていた神話は現在どのようになっているのか、という問題意識である。この問題はそれ自体、400年前と今のものという2種類の神話を前提としている。したがって、ここでも比較の視点が必要であり、そのために構造分析が導入されていることはいうまでもない。神話は一般的に聖なる物語である。だから、それらを改変することは聖なるものへの冒涜になりかねない。われわれは、400年前の神話とその後400年の現在の神話を手にしている。400年という時間は決して短いものではない。しかも、それは植民地時代という、神話を担ってきた人々にとっては苛酷で悲惨な時代のすべてを含んでいる。変化を禁じられたものがその苦渋の長き時代をどのようにすり抜けてきたのであろうか。これは人類学的には極めて当然の疑問ではあるが、しかし、これまでほとんど気づかれずにやり過ごされてきた問題であった。それが、連続性の存在を指摘した本書をもって嚆矢となる。

 とはいえ、オルティスは、この歴史的連続性を指摘しただけで満足しているわけではない。彼は前作の成果から、空間的連続性にまでその視野を拡大する。ワロチリの神話はなるほどワロチリ地方に由来するものではあるが、しかし、彼の分析では、得られた結果がワロチリという狭く、限定された地域でのみ有効なものとして良しとするものではなく、その妥当性をさらに拡大し、他のアンデス地域一帯にまで広げて検証してもいる。これが、ワロチリという一地域の神話を扱いながら、オルティスがなおもアンデス性に拘る所以である。そして、400年前のワロチリと現在を自在に往復しその連続性を空間的にも拡大しながら、アンデス性という次元で神話に一つの見通しを与えている。たとえば、単に「天変地異」という捉え方しかなかった、アンデスではお馴染みのパチャクティの問題を深化させ、それを火・水などという対立するテーマとの関係から分類し、さらにオーラル・ヒストリーのなかに位置づけている。

 オルティスは以上のように、構造分析からアンデス神話の幅広い、しかも奥深い構造の網の連続性を引き出して見せた。しかし、レヴィ=ストロースの構造分析に慣れた者にとっては、オルティスのこの分析方法は少し奇妙に思えるかもしれない(cf.Urbano 1981;1993etc.)。つまり、もっぱら神話の構造を問題とするオルティスにとって、神話をとりまく他の要素は、前作をも含めこの著作でも二次的なものとなっており、「神話以外の他の社会現象は、参照したり情報として引用するだけであり、われわれの方法論的な見通しにおいては、それらを説明の最終的な例証として採り上げるつもりはない」(p.14)ときっぱり一線を引いているのである。結果として、この方法論は神話で神話を分析することになり、レヴィ=ストロースが、親族・宗教・政治組織・動植物学などありとあらゆる知識を導入して神話を分析したのと大きく異なっている。その意味では、オルティスの方法論はプロップやダンデスのそれに近いように見える。

(加藤隆浩三重大学文学部教授)