Special to the Newsletter

ハンティントンの文明の衝突論

―古風な大国主義国際秩序観とヨーロッパ系中心のアメリカ観―

                       有 賀 貞

 サミュエル・ハンティントンの『文明の衝突と世界秩序の再編』は、著者が1993年アメリカの代表的外交評論誌に発表した論文「文明の衝突?」を発展させて、単行本として96年に刊行したものである。彼の文明衝突論は、西側諸国の力と価値観とによって新世界秩序が形成されるという冷戦終結直後の楽観的期待が薄れた時にでてきた冷戦後の世界についての議論である。

 ハンティントンは今後の世界では文明圏ごとに国々のグループ化が進み、冷戦時代のイデオロギー圏という対立軸に代わり、文明圏相互の対立、抗争、共存が国際関係を動かす最も重要な軸になると論じる。彼のいう「西」(the West)文明圏とはカトリシズムとそれから派生したプロテスタンティズムの伝統を継承する地域で、主として西欧・中欧と北米を指す。ただしカトリック圏のラテンアメリカは土着文化の影響があるとして別個のラテンアメリカ文化圏に分類され、西欧の中でもギリシャからロシアに至る正教圏は別の文明圏とされている。本書の「西」は西洋とも西欧とも異なるが、訳書(集英社、98年版)にならい、以下「西欧」と訳すことにする。

 ハンティントンが21世紀の世界は西欧文明の国々にとって厳しいものとなるとする根拠は二つある。第1は、世界における西欧文明圏の力の優越の時代が、非西欧圏の人口増加、経済力と軍事力の増大により終わりに向かうという見方で、第2は、西欧文明の価値観念は普遍的なものではなく、非西欧文明圏の西洋化を期待できないという見解である。彼は非西欧文明圏の近代化は西欧化を意味するわけではなく、むしろ近代化が反西欧化、独自文化への回帰を促すと考える。国際的連帯は上述の伝統への回帰傾向のゆえに、それぞれの文化圏内部の連帯に収斂し、国際関係における主要な対立は文化圏の間の対立になる。世界で現に起こっており、また今後起こる紛争の中で、文明圏の断層線(フォルトライン)にまたがる紛争が最も激しく、長引き、拡大する危険があると、彼は言う。彼の見解を裏付ける事象も多いが、他方またそれに合わない事象も少なくない。アラブ―イスラエル紛争は本書の枠組みでは説明できないし(本書ではイスラエルの文明的位置付けが不明)、アセアンのような文化的に多様な国々による地域的国際組織の発展も説明できない。

 彼は主として宗教的伝統によって世界を西欧文明、正教文明、中華(儒教)文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明など幾つかの文明圏に分類する。彼は一つの文明を脱して他の文明を受容することは困難であるといい、メキシコのNAFTA加入はその試みであると見るが、その成功については楽観的ではない。著者は日本やトルコもその西欧化には限界があり、伝統への回帰もあると考えている。日米間の価値観に大きな共通部分があることは軽視され、また文化交流が引き起こす結果について、拒絶反応的側面が強調されすぎている。

 ハンティントンによれば、日本は孤立した文明の国であるために、他の国々と共同の文明圏を作れないという。彼は冷戦後日米間で対立が目立つことに言及するが、アメリカにとって日米対立が太平洋方面での主要な対抗関係とは見ない。彼は、中華思想の国である中国が21世紀には確実に超大国になると考えるので、中国との関係を重視し、日本との関係を副次的要素と見なす。彼は中国の超大国化とともに、日本が米国から離れ中国に接近するとみるが、それをできるだけ遅らせることが、西欧文明圏の国々の利益であると言う。彼がイスラム文化圏を恐れるのは、イスラム原理主義がイスラム圏全体に広がり強烈な反西洋感情を呼び起こす可能性があり、国際政治においては中国に接近する傾向があると考えるからである。

 彼は21世紀には、激しい紛争は文明圏相互間でおこると予想し、同一文明圏の他の国民からの援助や介入を得られるため、戦争拡大の可能性が高くなると述べ、異なる文明圏の中核国が互いに戦えば、相互に破滅的な戦争になると論じる。しかしこの本は文明の衝突が混乱と世界戦争を導くという予言の書物ではない。文明圏相互間の対立激化について恐怖のシナリオも書かれているが、本の題名は『文明の衝突と世界秩序の再編』(訳書の題は単に『文明の衝突』で、後半が脱落)であり衝突の制御による秩序形成の可能性が示唆されている。

 実際、本書の最後の部分には比較的平和な世界秩序形成への展望がある。ハンティントンが多文明世界における秩序形成のために必要な原則として挙げるのは第1に文明圏相互間での不干渉の原則、第2には、異なる文明間の紛争を沈静化するためにそれぞれの文明圏の中核国が共同で調停する慣例を作っていくことである。第1の原則は文字どおり理解すればかなり大胆な提言である。米国は中国と台湾との紛争に介入するべきではないというのが彼の意見であるが、さらにラテンアメリカの問題はラテンアメリカ自身に委ねるべきであり、イスラム圏のイラク―クェート紛争にも関与すべきでないと彼は言うのであろうか。それとも他の中核国との紛争を招かないならば、介入してもよいというのであろうか。おそらく後者が彼の考えであろう。また一つの文明圏に中核国がない場合には第2の原則にいう中核国の協議には参加できないのであろう。彼のいう世界秩序は主要な諸文明の中核国を秩序維持者として成立するもので、それらの国はそれぞれの文明圏を取り仕切る権利を相互に承認しあうことで共存し、協力して文明間の紛争を抑制することで安定を維持し、共通の行動原理を作り上げていくことが期待されている。ここに想定されている秩序はウィーン体制以来の大国の立場の相互承認とそれに基づく協力という大国主義秩序構想を引き継ぐもので、その意味では古風な国際関係観と言えよう。

 文明間の価値観の相違を強調し、人権をめぐっても地球的合意は不可能だと述べていたはずのハンティントンは、最後のところで一転して文明間の共通性を持つと述べる。衝突論を大いに展開した後で、それを打ち消す展望で終わるところは落語の「落ち」に似ているが、そうなると、本書が文明論なき文明の衝突論だったという印象が強くなる。

 ハンティントンは、米国と西中欧との双方にとり、今後ますます互いの結束の維持強化が必要であると考える。彼は米国民の西欧文明へのアイデンティティの維持強化を重視することと関連して、米国が多文化主義を標榜することに強く反対する。それが西欧文明の基本的価値を相対化することを恐れるからであるが、この点について彼は神経過敏でありすぎる。彼は米国を西洋文明の国として維持する上で、ヨーロッパ系アメリカ人の比率が21世紀半ばに50%を割ることに懸念を抱く。特にメキシコからの移民とその子孫が増えることを憂慮しメキシコが発展すれば在米メキシコ人を含めてメキシコ・ナショナリズムが高まり、19世紀の失地回復を望むこともあると恐れる。しかし、非ヨーロッパ系の人々にそのような他者意識を持つことはヨーロッパ系中心主義であり、他者として扱われる人々にかえって急進的な多文化主義を持たせることになるのではなかろうか。

(独協大学外国語学部教授、一橋大学名誉教授)