Debate
本学会の『アメリカス研究』第2号に掲載の北詰論文には未来志向のアメリカが描かれている。北詰教授は、米国の「多文化社会変容の始まり」を、「歴史と伝統・・・にしばられるより、・・・たえず空間と未来を指向して大胆に進んでいる」アメリカの姿から説き起こしている。
歴史と伝統に縛られない、未来志向のアメリカ人というテーマに言及したアメリカの歴史家は少なくない。たとえば、歴史家マイケル・ウォラスは、1812年の対英戦争のさなかにペンシルベニア州がインディペンデンス・ホールを取り壊そうとしたエピソードを紹介している。反対運動でインディペンデンス・ホールは救われたけれども、すでに建物の一部が取り壊され、さらに独立宣言の署名が行われた部屋の板張りがはがされた後であった。ウォラスは、この思い切った取り壊しがアメリカの反歴史的傾向を表しており、その傾向はデービッド・ソローの英国に対する次のような侮蔑的評価に反映されていると主張する。ソローは英国を「たくさんの荷物を抱えて旅をする老紳士、長い間の生活で見かけ倒しのつまらない物をいっぱいため込んで、それらを燃やしてしまう勇気を持たない人」と評した。
「過去を、歴史をどのようにとらえるか」というテーマで、画期的な研究 The Past Is a Foreign Country を書いたデービッド・ローウェンソルも、過去を捨て去ろうとするアメリカ人の性癖の由来を、母国英国との決別に求めている。 (David Lowenthal, The Past Is a Foreign Country, 1985, p. 105.)
筆者は、この連載第3回でディズニー・テーマ・パーク論争、歴史保存ブーム、ヒストリー・チャンネルの成功などの事例を挙げ、アメリカ人の歴史への高い関心について述べた。過去と歴史に縛られない未来志向と、歴史への高い関心は矛盾する現象なのだろうか。それともアメリカ人が未来志向から過去や歴史への回帰を始めているのであろうか。
ローウェンソルによると、アメリカ人の過去の征服は「奇妙なほど不徹底」だという。多くのアメリカ人が未来への希望と過去へのあこがれの両方を持っており、歴史にしがみつくと同時に歴史を拒絶している。このようなアンビバレンス(矛盾する2つの感情)は、過去を否定することで生まれたアメリカ革命の成果(過去)を、革命後は逆に守らなければならないことに起因すると彼は主張する。 (Lowenthal, pp. 114.)
ウォラスはアメリカ人には両方の要素が存在しているとして、その意味の解釈を試みている。多くのアメリカ人が歴史への無頓着という性癖を持ちながら、特定の歴史には深い関心を抱いているのである。たとえば、自伝や自分と同世代の人々についての物語、自分の先祖の人生、自分の住んでいる町の伝承、アメリカ歴史物語の特定の章(南北戦争はその典型)への思い入れはことのほか強い。
これら特定の歴史、つまり心理的に同化しうる歴史への関心は、歴史に無頓着な性癖と相いれないものではない。アメリカ人が保存しようと努める歴史的景観、歴史遺産、自分が心理的に同化しうる偉人の人生などは訪問し探索するのに興味あふれるものである。しかしまたそれらは面倒な現実の問題をもたらさない無害な事柄でもある。現在とは切り放されて意識される事柄である。アメリカ人はそれらを楽しんだり、商売のネタにしたり、私物化したり、消費したりはするけれども、自分たち自身を理解するためにそれらを理解することが欠かせないとは、考えないのである。(Mike Wallace, Mickey Mouse History and Other Essays on American Memory, 1996, pp. ix-x.)
筆者は、このように我が事として身近にとらえうる歴史、しかも自分の現実の生活になんら衝撃や障害をもたらさない心地よい歴史を取りあえず「記憶」と呼ぶことにしたい。それは人がなんと言おうと、特に学者がどう解釈しようと個人の記憶の中で生きている歴史だからである。それは自分が信じていれば存在するのであり、人に反論される類の物ではない。それに対し、綿密な調査と論理的考察により構築された物語、つまりプロの歴史家による研究成果を取りあえず「歴史」と呼ぶことにする。それは論理的構築物であるから検証や反論の対象となりうる。「エノラ・ゲイ」論争を理解する重要な鍵は、この「歴史」と「記憶」の食い違いである。
「エノラ・ゲイ」論争では、対日戦争に従軍した軍人の「記憶」と原爆投下の意味を再解釈した「歴史」との食い違いが最大の争点になった。
先住アメリカ人と違って、多くのアメリカ人は土地を「聖なる物」と考えることに慣れていない。しかし、アメリカには「聖地」と呼べる場所は無数にある。殊にアメリカ人は、愛国心を呼び起こす聖地として、レキシントン・コンコルド、アラモの砦、ゲティスバーグ、リトル・ビッグ・ホーン、パール・ハーバーなどの戦場跡を「聖地」として保存してきた。これら戦場跡への訪問は「巡礼」と呼ぶにふさわしく、アメリカでは最も人気のあるアトラクションの一つである。
ところで、これら戦場跡が喚起する愛国心にはあきらかに正統的主要テーマがある。それは、戦争が神聖な企てであり、文化的英雄・救世主として国家と戦士に新たな生命をもたらすというものである。こうした愛国的正統主義のもとでは、戦場跡で闘われた戦闘の意味を解釈し直すこと自体が異端と考えられる。(以上、聖地としての戦場跡の意味については、Edward Linenthal, Sacred Ground: Americans and Their Battlefields, 1991, pp. 3-5.)
退役軍人たちの「エノラ・ゲイ」展示企画書に対する反発は、彼等の考える「正統主義」に対する異端への反発である。国立航空宇宙博物館でボランティアのガイドをしていたフランク・ラビットは、友人が持ってきた企画書のメモを見て驚いた。「原爆投下の再点検」や「原爆の被害だけに注目」といった姿勢に反発を感じたのである。スミソニアン協会は日本だけを被害者として描き、歴史をねじ曲げようとしているとして、ラビットはあちこちに手紙や資料を送った。この努力はやがて退役軍人組織を中心に注目を集めるようになった。(斉藤道雄「よみがえる亡霊エノラ・ゲイ」『中央公論』、1995年新年号、46〜47、50頁。)
1994年3月、退役軍人で構成する軍事産業ロビイスト団体、空軍協会は企画書がアメリカと日本を道徳的に同等に扱い、しかも空軍力に対する不信を醸成するとしてスミソニアン協会を非難する声明を発表した。翌月に出された同協会の機関誌は、航空宇宙博物館が非愛国的組織で、原爆投下についての謝罪的展示を選択するだろうと述べた。そして退役軍人たちが様々な理由でスミソニアン協会に不信を抱いていることを紹介した。
不信の理由として同誌は、スミソニアン協会が行った数々の展示に軍に対する不信感を煽る物があったことを挙げた。それらは、第一次世界大戦の悲惨な状況に空軍力が果たした役割を強調した国立航空宇宙博物館の「第一次世界大戦展」、米国政府および米国陸軍の過ちを示唆した国立アメリカ史博物館の「日系米人強制収容展」、アメリカの不道徳性、人種主義、どん欲を強調した国立アメリカ美術館の「西部展」である。
同誌は、「エノラ・ゲイ」展企画書に多くの退役軍人が反発していると述べ、多くの軍人が命を救ってくれたと感じている「エノラ・ゲイ」の正統的解釈に挑戦するスミソニアン協会と「修正主義」歴史家を批判した。(以上、空軍協会の批判に関しては John T. Correl, メWar Stories at Air and Space,モ Air Force Magazine, April 1994, pp. 24-29.)
アメリカでは核政策を批判する言論の自由はあるけれども、それは異端に近い。ことし6月に封切られた米映画『ゴジラ』(発音は「ガッズィーラ」)は、おかしなほど正統主義に忠実である。ご存知の通り、日本のオリジナル・ゴジラはアメリカによるビキニ環礁での核実験の結果生まれたモンスターである。アメリカのゴジラは、昨年のフランスによる核実験が作り出したという設定である。新作映画では、ご丁寧にゴジラが暴れるマンハッタンにフランスの秘密部隊を登場させ、「ゴジラの出現は我々がもたらしたのだ。ゴジラを始末するのは我々の責任だ」とフランス人に言わせるのである。
米国在郷軍人会の機関誌は、スミソニアン協会が「エノラ・ゲイ号」を恥じ、原爆使用を恥じ、原爆を投下した政府を恥じる振る舞いをしてきたと述べ、「協会はなぜ、史上初めて侵攻なしに9日間で戦争を終わらせた飛行機を引き取り、それをただ野外で朽ちるがままにしておいたのか。彼らは50年間も放置したのだ!」と批判した。
適切な展示の仕方について同誌は、「エノラ・ゲイ号」のパイロット、ポール・ティビッツの示唆に賛意を示した。ティビッツは、「エノラ・ゲイ号」が、適切に、そして単独で何の解説もなしに、全世界が見学できるように展示されることを提案した。「エノラ・ゲイ号」は平和の守り手として、また熱い戦争に至らずにすんできた冷たい戦争の先駆けとして展示されるべきだと彼は述べた。(在郷軍人会機関誌の記事は、Julie A. Rhoad, "The Proposed Enola Gaay Exhit, Is It an Accurte Portrayal of History?" American Legion Auxillary, January-February 1995.)
退役軍人たちの反発の最大の原因は、スミソニアン協会の描く「エノラ・ゲイ号」の「歴史」が、彼らの持っている「記憶」と食い違うことである。在郷軍人会のハーマン・ハリントンは全国理事会での演説で「我々は思い出を持ち、それを祝う権利がる。だれにもそれを否定する権利はない」と彼らの「記憶」への干渉を批判した。(The American Legion, August 1995, p. 6.)
ここで注目すべきは、退役軍人を中心とする一般国民の素朴なレベルでのスミソニアン協会に対する反発であろう。彼らにとって「エノラ・ゲイ号」は、ただ単に国を救った存在として賛える存在、つまりリネンソールの言う「聖地」の如き存在なのである。スミソニアン協会を批判した人々の少なくとも一部は、「聖地」を冒涜する行為に反発したのであり、一方博物館学芸員と「修正主義」歴史家は歴史への義務として「エノラ・ゲイ号」の役割の再解釈を行ったのである。この両者の超えがたい溝にこそ、「エノラ・ゲイ」展示論争の最大の問題があったのである。
この夏、展示企画の責任者トーマス・クラウチ博士を航空宇宙博物館に訪ねる機会があった。彼は当時の論争を振り返り、「歴史」と「記憶」の食い違いに彼自身が「あまりにナイーブだった」と語ってくれた。
(山倉明弘)