Lecture

アメリカスーその光と影

「天理大学アメリカス学会」は、6月4日放課後学内で、今春イスパニア学科教授を退いた上谷博氏(同学会副会長)を講師に招き、「アメリカスbその光と影」をテーマに講演会を行った。学会員、学生など170人余りの聴衆を前に、同氏は南北アメリカ諸国の内外の複雑な関係について1時間あまり熱弁をふるった。

上谷氏は、南北アメリカの関係を歴史的に「光と影」のメタファーを使って分析し、「光」に当たる「北」が輝けば輝くほど「影」に当たる南は苦しい立場に追い込まれてたと述べ、さらに南の国々の中にも新しい光と影の異質な部分が生じたことにも言及した。これは近代史の必然性であるが、この地域を機能上は異質でも本質的には同質な社会にできないだろうかと問題点を指摘した。以下は同氏の講演の要約である。

 南北アメリカとカリブ一帯の島々は、はじめ、スペインやポルトガルが入ってきて植民地を形成したときには封建的な「ラスインディアス」と呼ばれていた。そのとき、そこを「アメリカ」と呼んだ人々がいた。ヨーロッパの封建的社会を拒否して、その地に歴史的に新しい社会をつくろうとした人たち(アングロサクソンが中心)であり、それが近代の始まる社会だった。その先頭にたったのがアメリカ合衆国であり、性格は資本主義的、ブルジョア的だった。その「アメリカ」の複数の地域が「アメリカス」と呼ばれたのであり、複数である以上、そこに光と影の部分ができてくる。マルクスは、このアメリカスといわれる地域を、ヨーロッパの資本の蓄積を可能にしたところと言っている。

 なぜ光と影か。新しい動きは、集団の論理、共同体の論理の社会ではなく、「個体の社会」をつくりだすことだった。「光」とは、個人が自分の力を発揮できる社会であり、それが新しい物質文化、精神文化をつくり出した。ポジティブな意味では、自立した個体をつくり出した。「ソサイエティ」と呼ばれる、あたらしい個人の関係、契約社会ができあがり、人間解放を目指したが、しかしそれは単線的過ぎる考え方である(人間がこの過程を通らないと完全な人間解放にいかなかったのだろうか)。一方「影」の部分では、個体の発見が同時に「他者」をつくった。平等な社会をつくり出したわけではなく、利害を異にする人たちをつくり出した。また自然も「他者」となり、人間と自然とは共存できなくなった。このようにして、アメリカスの光と影は、1492年以来そうした形で続いてきた。

 南アメリカおよびカリブ海地域における民族形成に関してあえて単純化すれば、比較的征服後のはやい時期に先住民が絶滅して、その後、砂金、黒真珠、サトウキビの生産の労働力としてアフリカから連れてこられた黒人奴隷とヨーロッパ系白人とがクレーオール社会を形成したカリブ型社会と、高度な文明を有した先住民社会を解体せずに積極的に利用して植民地社会の底辺にとりこみ、結果として多くの混血を生み出した大陸型社会に分類される。

 大土地制度のプランテーションの大規模なアメリカ化の過程で、「メスティソ」(白人との混血を中心とした)混血、さらに白人、先住民、それに黒人の三者の間の混血による「カスタ」が生まれた。こうした人たちは生まれたときから所属すべき集団がなく、つまりアイデンティティがなく、個体として生きていかなければならず、ラテンアメリカに新しい個体論理が生まれた。たくさんのカスタが生まれ大土地経営者に利用されていく。当初は、教会が共同体社会を保護していたが、それができなくなる。資本主義的な収奪で共同体を押し出された人が新しい都市へ流れ、私(自己あるいは個体)と他者の関係がいよいよ深化していく。

 光の部分ばかりみていると、影の部分が見えなくなる。が、光が大きくなれば、影も大きくなる。アマゾンの森林地帯の破壊がその典型だ。「アメリカス」は、自己と他者をつくったのと同じ形で、強いアメリカと弱いアメリカもつくってきた。アメリカ的発想の当然の矛盾である。ブルジョア社会がつくり出した光と影、もう一つは同じ論理で光と影のアメリカもつくり出す。発展したアメリカと停滞したラテンアメリカである。

 米第3代大統領ジェファソンは「キューバの向こうからアメリカははじまる」と言ったそうだ。キューバやメキシコはアメリカのものという発想である。1823年モンロー大統領はヨーロッパに「アメリカに手を出すな」と宣言したが、光(合衆国)の発展には他の地域が必要と知っていた。1870年以降、合衆国は南へ進出した。カリフォルニアの開発に必要な物流のためパナマ運河の開設を考える。中米、カリブは(合衆国)の食料源となり、市場はアメリカ。だから大切な地域である中米の大統領(指導者)はアメリカが決めていく。

 1910年から大恐慌まで、さらに南米への介入が広がっていく。カリフォルニアの開発はメキシコ、ペルー、チリを影にして進んでいく。南米の輸出先はたえず合衆国である。(そのころ、ヒトラーが登場、ラテンアメリカに興味を示す)。1950年代から、新しい分野へ手をのばす。それまでのラテンアメリカは原料生産と消費財生産部門の対象だったが、その後、生産財生産部門の創設に入ってくる。ラテンアメリカ諸国が個々にもつ「光」と結びつくことで、新しい「影」をつくっていくが、1960年代当初のキューバ革命で頓挫した。「進歩のための同盟」は光をつくる発想だった。それまでも、19世紀からパンアメリカニズムや米州機構(OAS)など、自前の「光」作りの発想があった。

 強い光を放つには技術が必要であり、それが影作りにつながる。多国籍企業がその役割を演じ、強権政治が生まれる。このやり方のまずさが大衆に自由化、民主化要求をさせることになり、国家は遠慮しながら「光作り」を撤廃しようとしている。「光作り」は本当の光を作りをしていないのではないか。最近のインドネシアも同じ話である。社会主義は歴史的に失敗に終わった。確かに個体の社会は必要だが、「自己」と「他者」という形でない社会が必要である。資本主義は絶対的悪でなく、歴史的な必要悪だ。それを21世紀に乗り越えるためには何をしたらいいのか。EUが個々の国家と民族の限界を感じて新しい結束を図る行動を始めているように、ラテンアメリカも全体が幸福と不幸を共有する社会をつくる構想を考えなければならない。「自己」と「他者」の異質な関係をなくしていかなければならない。機能上の異質は仕方ないが、本質では等質である必要性を知るべきである。

 ここにだされたテーマで、消極的かも知れないが、現代社会で人間がなにかを考え、自己と他者は競争相手と考えるべきかを考えた。「アメリカス」という名に積極的な期待を込めて希望を見いだし、いまのような光と影ではなく、均整のとれた「アメリカス」になってほしい。         (文責:北詰)