Lateral Thinking

映画『プライド』所感

 M. T.さん。昨日東京裁判についての問題の映画「プライド」をみました。映画としての評価にはあまり関心ありません。それより、われながらこの歳になると、これまで歴史にいろいろ関わっていることを知り、その歴史を反芻するのに役に立ちました。以下、その所感を書いてみます。

 映画では、東条が大物に描かれ過ぎており、インド独立と結びつけ過ぎていることを除けば、水準のできであると思う。いわゆる東京裁判史観の行き過ぎを是正する意味では効果があるように思う。むしろ注目すべきは、なぜ今の時点でこの作品が生まれたかだ。日本周辺諸国の「日本非難」とそれへの同調が、日頃あまりそうした意識のない一般日本人の中に、フラストレーションとして少しずつ蓄積していっている。それがあの映画を作らせたと思う。これからあの作品批判の合唱が起これば、やがて下手をすると、そのフラストレーションを将来、一挙に爆発させることになりかねない。それをさせないためには、あの映画を単に非難することではなく、冷静な客観的史観に変えさせるのに役立ってほしいものだ。

 小生も終戦時(中学1年生)、日記に敗戦の悔しさを書き、必ず報復すると誓っている。が、ほどなくアメリカからきた映画「ラプソディ・イン・ブルー」やグレンミラーの音楽に感動、アメリカが大好きになってしまった。A級戦犯の拘留されていた巣鴨拘置所は小生宅から中学への途上にあり、戦犯の乗ったバスを毎日みていた。彼らがいなければ、戦争はなかったと憎む気持ちでいっぱいだった。

 あの映画の中で、東条の子供たちがさんざんいじめられる場面がでてくる。小生は大学時代、ある家の家庭教師にいっていた。私がみていたのは、平沼騏一郎(元総理、A級戦犯の一人で、終身刑だが服役中に死亡)の孫の娘と息子のふたり。ある夕食の時、その息子が「先生は反戦デモに賛成でしょう」とけしかけてきた。「当然。日本が戦争をしていなければ、アジアは平和だったんだ」といったところ、突然娘が大声で泣き出した。「どうせ、わたしのおじいさんが悪かったのでしょう…」。この子たちは戦犯の孫ということで、小学校で徹底的にいじめられてきたのだった。その息子は現在、自民党の保守派の指導者の一人だ。

 1970年、インディアナ大学に半年招かれたとき、そこで清瀬氏という風変わりな日本人研究員に会った。和服に下駄履き、はちまき姿でキャンパスを闊歩している。何を教えていたのか覚えていないが、ある日その家に招待され、ごちそうになった。家では奥さんに従順な亭主だった。この先生は、この映画で活躍する東条の主任弁護人、清瀬一郎の、ご子息だった。四面楚歌の中で、東京裁判の不公平さ、勝者の裁きを批判する主役の一人。奥田瑛二が名演技をする。

 あの映画で、裁かれた戦犯たちは胸を張って刑を受ける。それが映画のタイトル「プライド」だが、その意志が息子や孫たちにいまも生きているのだ。

 東京裁判でウェッブ裁判長(オーストラリア人)、キーナン検事(米国人)、パール判事(インド人)がやや揶揄的に表現されているが、それなりにほっとさせる場面がある。またオランダからきた一番若い判事(名前を忘れた)がかなり客観的な態度をとる。この判事に実はその後わたしは直接会っている。評論家の故竹山道雄氏(「ビルマの竪琴」の作者)が十数年前にこのオランダの判事と会って東京裁判について語りたいというので、ある雑誌が取り上げることになり、小生が間を取り持った。竹山氏は英語で論戦したいというので、英語の対談となったが、英語では問題にならない。相手(オランダの判事)は「東京裁判の不当性はじゅうぶん認める」が、日本が署名しているパリの不戦条約に違反していることは否定できないといわれて太刀打ちできず。竹山氏が「もう少し英語がうまく話せたら」と悔やんでいたことも思い出した。結果的にこの対談はお蔵入りになってしまった。       

(北詰洋一)