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カ ス ト ロ 異 聞

―21世紀の南米を占えば―

                     新 庄 哲 夫  

 このところ、“カリブ海の梟雄”フィデル・カストロへの国際的な関心が日ましに高い。人口わずか千百万の小島に君臨する人物の一挙手一投足が、なぜかくも世界をエキサイトさせるのか。

 おそらく8代の合衆国大統領を向こうにまわして、今なお屈することを知らない者のカリスマ性が、とかくひとり勝ちドルが横車を押しがちな現状で、国際社会の溜飲をさげさせているという一面があるからだろう。共産主義が崩壊したいま、この独裁者が老マルクス・ボーイだろうとなかろうと、もはや毒にも薬にもならないことを世界は知っているのである。

 だから、藝のない砲艦外交、暗殺、兵糧攻めといった大時代な手で“カストロ・キューバ”をつぶそうとしてきた米国が、いまや逆に孤立化しつつあるのも、理由のないことではない。スペインを旧宗主国とする南米の21か国がこぞって米国に抗し、カストロ・キューバを仲間につれもどそうとする意気込みも、また兵糧攻めの中止を求める欧州連合(EU)はむろんのこと、米国の盟友カナダまで首相がハバナに乗り込んだりするのも、あきらかに潮流の変わり目を物語る。

 一言にしていえば、かかるややこしい丁々発止は、21世紀をにらんで7兆ドルの実力をもつ新参のユーロマネーと、目下ひとり勝ちドルとの来るべき広大な南米市場をめぐる覇権争いの前哨戦だとみていい。南米スペイン語圏の間接的なキューバかばいは、要するに米国のドル攻勢に対する計算づくのメッセージなのである。

 兵糧攻めを中止する米国の条件は、社会主義体制の民主化である。南米諸国も欧州連合も、そしてカナダの首相もまた、カストロに“民主化”を要求するが、そんな掛け声がもはや米国へのリップサービス以外のなにものでもないことを百も承知の上だ。

 カストロにしてみれば、35年間も一千万国民に強いてきた耐乏生活を考えた場合、“民主化”要求をのんであっさり引退する途しか残っていない。この誇り高いスペイン系キューバ人に、果たして自殺行為もどきの芸当ができるのだろうか。

 20世紀後半のイデオロギー戦争中、カストロはチェ・ゲバラと共に、その革命的ロマンチシズムで世界の若者を心酔させた。しかも政治指導者の器量は、国土や経済力の大小と関係がないことを証明してみせた。そんなカストロも今は71歳、しばしば人間の死を口にする年齢となった。しかし「社会主義体制は死守する」と相変わらず口先だけは達者だし、6時間に及ぶ長広舌をふるうこともあえて辞さない。

 といって、かかる発言を額面通りに受けとれないところが、カストロのカストロたるゆえんだ。なにせ先にローマ法王をハバナに招いて、「共産主義も悪ければ、市場競争原理主義も悪い」と言わせた機略の御仁であり、セクハラに立ち往生するクリントン大統領に「頑張れ、陰謀に負けるな」とエールを送ったユーモアの持ち主である。

 私はこの4月、タド・シュルツ著『フィデル・カストロ―カリブ海のアンチヒーロー』なる伝記の編訳書を文芸春秋から出した。私の専門は現代英米文学で、訳書に『1984年』(ハヤカワ文庫)があるジョージ・オーウェルに傾倒してきたせいか、政治への関心が強い。軍部独裁政権を体験した戦中派だからスターリン、毛沢東、ホー・チ・ミンらの翻訳書も手がけてきた。以前から私と同世代のカストロには格別の思い入れがあったのである。

 カストロは大変な読書家、知識人であり、ユーモアのセンスも相当のものであるらしい。ほかの独裁者とひと味ちがうところである。当代切っての雄弁家だけに、あのまくしたてるスペイン語が理解できたら、どんなによかったことか。やはり政治家のユーモアは彼の語る言語のニュアンスによって初めてその内心がのぞけるはずだ。

 最近、記者団とのやりとりで、「私はすでに百回も殺されている…米国人は私に長生きしてほしいとは思っていないのだろう。自分だってそう思っているよ」と、カストロ国家評議会議長は笑ったそうである。これは英語で伝えられたくだりだけれど、スペイン語でどんな言い方をしたのだろうか。

 ともあれ、カストロはマルキストである前に熱烈な民族主義者である。21世紀にユーロマネーとドルの角逐の地となる南米市場にあって、二つの巨大通貨を迎え撃つスペイン語圏の諸国にとっては政治、経済上の長期戦略から、早々につぶれてほしくないカストロ・カードである。

 アマチュアのカストロ・ウォッチャーの一人として、彼が今後どんなドラマを演じてみせるのか、ひそかな楽しみである。

(元・大妻女子大学教授・日本翻訳家協会副会長)