Letter from Merida

古文書館雑感

 メリダ市西方を南北にはしるイッツアエス通りと、市の中央を東西に横切るハシント・カネック通りの交差するところにオラン病院がある。このオラン病院は野口英世ゆかりの病院で、旧館前には博士の銅像がたっている。筆者が所属する社会科学研究所は、じつはユカタン自治大学の野口英世博士地域研究センターの一部なのである。メリダについたころ、同センターに客員研究員としてこころよく受け入れてもらえたのも、英世先生のおかげとばかり、銅像にお礼参拝したものである。

 そのオラン病院の裏側にはユカタン自治大学の看護学部がある。なるほど合理的なロケーションである。さて、その看護学部のとなりにあるのがユカタン州立古文書館である。1945年に設立されたが、そのときは空港のそばのかなり不便なところにあった。10年ほど前に、今の建物に引っ越してきたのだ。司書のかたの話によると、旧館のころは未整理の資料がじかに床に山積みにされていたという。もとエネケン工場だった旧館には窓はほとんどなく、資料のあいだからサソリやタランチュラが出没したらしい。資料についたカビやまたそのカビを防ぐ殺虫剤は身体に悪く、肺に穴があいてしまった所員がいたともいう。

 こうした苦労のすえ現在のように充分に整備された古文書館ができあがった。唯一の難点は、熱帯のメリダにあって閲覧室にエアコンがないことである。扇風機が何台かおいてあるが、風を吹きつけると古文書がふっとんでしまうし、へたをすると湿気の多い気候によってぼろぼろになった紙がばらばらに解体してしまう。そこで、扇風機は上のほうに向けて回さなくてはならないので、とにかく暑いのである。

 古文書館には毎日それほどたくさんの人が閲覧にくるわけではない。せいぜい2〜3人であるから、すぐに知り合いになり研究テーマなどを話題に雑談したりするようになる。そのなかには卒論作成中の学部学生もかなりいる。ユカタン州立自治大学では、あるいはメキシコの大学一般かもしれないが、卒論は学部課程を修了してパサンテと呼ばれる立場になってからゆっくり書き上げるのである。卒論執筆に2年くらいかけるのが普通である。したがって、筆者が知るユカタン自治大学の歴史学科にかぎっていうと、その卒論のレベルはきわめて高いと言える。

 ある学生は、ユカタンにおけるアシェンダ(大農場)の歴史をテーマとしており、ユカタン公正証書保存館で18世紀の遺言状の財産目録を一年間にわたって調査し、それを終えてから今度はこの古文書館での調査をはじめたところだという。最初博士課程の学生かと思ったが、卒論だと聞いて驚いてしまった。3年計画らしい。

 メキシコでは、学士の学位をもつものはかならず名前にリセンシアドという敬称をつけて呼ぶ。つまり、「○○学士さま」なのであるが、それくらいの値打ちがあるのもうなずける気がする。

 古文書に話を戻すと、そういった学生たちは比較的すらすらと手稿を読んでしまう。たいしたものなのであるが、要するに子供のころからアルファベットの手書き文字を読み慣れているのである。もちろんネイティブであるがゆえに単語の類推力もある。とくに、人名や地名はわれわれにとってもっとも判読しにくいものなのだが、かれらは平気で読んでしまう。そういった学生たちにはずいぶんお世話になったものである。

 近年ワープロやパソコンが普及して、学会や研究会のレジメも手書きのものは本当に少なくなった。最近では手書きのものはむしろ新鮮な印象を受けるほどである。手紙もワープロを使ったものが多くなった。これほど手書きのものがわれわれの前から消えていくと、いずれ手書きの文書が読めなくなってしまうのではないかと思う。よほど楷書で丁寧に書かれたものでないと読めないということになりかねない。将来の歴史家にとってはマイナスだ。

 いやいや、そのうち歴史資料も全てワープロ文字になってしまうかもしれない。たとえば筆者がメリダで使っている名刺には、ユカタン自治大学のロゴマークがはいっているが、これはインターネットで入手し勝手につくったものである。アメリカス学会のロゴマークもデジタル化されているから、それを入手すればレターヘッドなど簡単に作れるわけだ。現代史の研究はこれから大変な時代をむかえそうである。蒸し暑い閲覧室でカビだらけの手稿を読む作業も、デジタル化された大量の資料という真贋の森で道に迷うよりはよほど幸せかもしれない。

(初谷譲次)