Lecture

パブリック・フォーラムとしての米最高裁

天理大学アメリカス学会は1997年11月15日、天理教道友社で開かれた第2回年次総会で同志社大学アメリカ研究所長の釜田泰介教授をお招きし、「パブリック・フォーラムとしての米最高裁」と題する記念講演会を行った。裁判制度、とくにアメリカの最高裁判所の役割からみたアメリカ社会の姿を説明していただいた。以下はその講演の要旨である。

*ここでは法律の側面からアメリカ社会をみていきたい。最近の新聞記事で多人種国家フランスでの給食の問題取り上げていたが、イスラム教の教えで禁止されている食事が出てきて困ったイスラム教徒の両親の訴えにたいし、フランスの行政裁判所は「食事の変更を強制する法律がない」と退けたという。アメリカには行政裁判所がないし、もしアメリカなら法律がない場合は裁判所は憲法に基づき判断を下したはずである。

*「アメリカ民主主義」を現地で分析したフランスのトクビルは19世紀初頭、とくにアメリカの裁判所の制度に驚いた。1830年代のこと。政治、社会問題が時とともに法律問題にされる。当時の欧州では三権のうちで最も重視されたのは議会。裁判所の影は薄い(遅れて近代化した日本も議会中心主義)。ひきかえ、アメリカの裁判所が創造的なことをやっている。とくにアメリカにしか当時なかったのは、裁判所に法律が憲法に違反していないかどうかを判断する権限が与えられていること。当時、憲法があったのはアメリカとフランスだけといわれるが、裁判官が事件を裁くのに憲法に照らしていることに、とくにトクビルは驚いた。議会がまず問題を判断して法律を決め、それをさらに裁判所が憲法に照らして判断していたのだ。

*世界に憲法を輸出したのはアメリカである。しかも裁判所が憲法を解釈する司法審査の制度を200年前につくっていた。最近のアメリカでは「インターネットのポルノ規制は違憲」「銃についての州規制は違憲」「自殺幇助禁止は合憲」「セクハラで大統領に免責特権なし」などの米最高裁の判決が社会的に注目されている。アメリカではこれらの判決で重要問題が終結するのではなく、ここから新しい論争がはじまる。

*アメリカでは政治問題を法律問題に変えるというトクビルの予言、当たっていた。裁判所のつらいところは「決定」に理由を述べなければならないことだ。議会や政府にはその絶対的義務がなかった。黒人問題でも奴隷解放が認められると、市民の平等の問題が出てきて、次に分離政策で反対派は対抗した。こうした動きはいずれも最高裁の回答が出てきてからのことである。

*アメリカでは最高裁、とくに長官の性格がその後の判決や社会に大きな影響を与える。世界がアメリカの最高裁に注目したのは1953年〜69年のウォーレンと69年〜86年のバーガーの二人の長官の時代。ウォーレンは日系米人の強制収容政策に加わった共和党員、バーガーは日系人の問題で日系人側にたった弁護士。ところが長官就任後はウォーレンは革新的に、バーガーは保守派になる。ウォーレンは先例を無視し人種問題の解決に貢献した。バーガーはその後、性差別、自己決定、プライバシーで新しい路開き、社会の多様化に貢献した。

*そうなると日本と違い、アメリカではだれが最高裁判事(終身官)、とくに長官になるかが国民の重大な関心事である。それが大陸法系の国々と違う最大の特徴だ。日本の新聞は最高裁長官が決まったときも、死亡したときも、およそ注目しない。日本の法律大系はアメリカの形に近いが、内容的には大陸法的である。最初のアフリカ系最高裁判事であるマーシャル氏が死亡したとき、アメリカの新聞は2ページ見開きでその業績を紹介していたが、同じ頃なくなった日本の元最高裁長官の記事は目立たないものだった。

*これも法文化の考え方の違いかもしれない。日本映画に「まだ最高裁がある!」という科白で終わる名画があり、最高裁の評価は高まってきている。パブリック・フォーラムは「討論会の場」という意味だが、大きな政治問題が裁判所に持ち込まれ、そこで詳しい説明を付けられ断が下されると、瞬間的にはその問題についての結論が出てしまう。しかし決まったわけではない。再スタートの場所である。例えば自殺幇助の場合を考えてもらいたい。ある州がこれを禁止、最高裁はこれを合憲とした。別の州は住民投票で自殺幇助に賛成との判断を出した。つまりこの問題では最高裁の判決は最終決定ではなく、そこから新しい議論がはじまる。また討論会。詳しい説明を付けたがゆえに議論は盛り上がる。連邦制を取っているから、最高裁といっても連邦最高裁と州最高裁があるから二重構造の議論になる。人工中絶についても1973年ある州が絶対禁止としていたのを、最高裁が憲法違反とした。その後25年論争に次ぐ論争、議論が続いている。最終審だがそこで終わるわけではない。インターネットのポルノ規制は違憲との判決が出ても、大統領は「別の方法を考える」と堂々という。

*今までは主として連邦最高裁に触れてきたが、実は連邦最高裁と50州の州最高裁とでアメリカには合計51の最高裁がある。つまり最高裁は討論の場である。例えば人権の問題では86年以後保守化したとみられたが、その後レーガン、クリントンが判事を入れ替え、最高裁のバランスがとれてきた。その上パブリックフォーラムがひとつでないことがアメリカの法社会の特徴のあるといえるかもしれない。

*冷戦後の世界で旧ソ連はばらばらになり、アメリカ的裁判を取り入れようとしている。しかし世界全体をみると、アメリカ流の裁判制度を取り入れていながら、それが巧く機能している国は、実はアメリカ意外に少ない。200年前に開発しているこの制度がいまだに機能しているのはなぜか。連邦制の国家でしか機能しないとみる人もいる。機能させる要件はいろいろある。簡単には結論づけられない。が、ひとつはこの制度はアメリカでは最高裁が上に述べてきたような機能を果たしながら、なおこんなことをやってもいいのかという疑問が投げかけられている現状、そしてそこから議論を再スタートさせていくというアメリカ人の自治意識、最終的な判断を自ら下そうと言う姿勢が保たれている文化といえるのではないだろうか。

(まとめ 北詰)