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現代社会をみる文化人類学のすすめ

 文化人類学(Cultural Anthropology)とか民族学(Ethnology)(名前が違うだけで同じもの)とか言うと、はるか遠い「未開」の少数民族の奇妙なエキゾチックな習慣・慣習・信仰などに関心を持つ学問であり、現代の工業化され、ハイテクに囲まれた社会などは研究対象とはしない、というのがおそらく一般的なイメージと思われます。ところが実際は現代社会を人類学的な手法と視点を用いて探ろうとする試みは近代的な人類学の発生とともに古いのです。厳密に言えば、人類学の現代社会研究への適用は、アメリカにおいて最も活発に行われてきました。顕著な例は、1920年代末からハーバード大学のエルトン・メーヨーを中心とした、後に人間関係学派(Human Relations School)と呼ばれるようになる大規模な研究プロジェクトチームです。当時急速に近代化し大規模化するアメリカの工場では労使関係は対立し、また次々に流入する英語もよくわからない移民労働者の存在が事態を一層複雑にしていました。30年代に入ると大恐慌が社会を混乱させていました。そういう中で、本来注目されることもない無名の労働者層を生身の人間として、彼ら/彼女らの視点、思い、に焦点をあてたのがこの研究グループでした。中心のメーヨー自身は社会心理学者でしたが、近代人類学の父とも言われるB・マリノウスキーやラドクリフ=ブラウンらの長期のフィールドワークに基づくエスノグラフイックな研究(内部者の視点を明かにしようとする立場であり、人類学の最も基本的手法)から深い影響を受けていたばかりでなく、彼等の弟子でもあった人類学者ロイド・ワーナーを招いて人類学の手法を駆使して大規模な調査を行いました。その一連の調査結果については後世、批判を浴びる点もありましたが、下層の無教養な労働者を、道具や機械のように脳や感情の無いもののように扱うのが経営ではないという、今から考えれば当たり前のことを、学術的に例証してみせた初めての研究だったと言ってよいでしょう。

 上のような研究例以外にも、例えば、知恵遅れと思われる青少年を収容する施設内で丹念に内部者の視点を追うことで、施設経営者や一般人が考えてきた、彼等の扱い方や「治療」のあり方の修正を迫る結果が見えてきた研究もあります。50年代には、シアトルの浮浪者、住む家のないアルコール中毒者たちの内部視点を長期かけて明かにすることで、当時アル中者を犯罪者扱いし(公の場での飲酒を法で禁止していたため)刑務所に入れていた当局のやり方がいかに彼等の生活を悪化させるかを明かにした有名な研究などもあります。その他、ドラッグに関わる研究、貧民街居住者と社会福祉のありかたを問い直させる研究、エイズ患者の研究などなど、現代社会が直面するおおよそあらゆる問題に人類学者がその独自の手法と切り口から関わってゆき、時の為政者や経営者に行政のありかたを考え直させたり、参考にさせたりしています。

 その独自の手法というのは、きわめて伝統的な人類学の遺産です。つまり、徹底的に内部者の視点(つまり文化と呼べるもの)を明かにすることを目的として、「参与観察」と「インタビュー」に基づく長期のフィールドワークを行うということです。フィールドワークというのは、ただ単に長期現場にいる、ということではなく、内部者の使う言葉を習得して、更にどのような質問をいかに発してゆくべきか、試行錯誤して訓練してゆくべき情報収集法です。どのような質問にも何らかの答は返ってきますが、質問の質が答の質を決めてゆくことになります。また、人類学的にインタビューするというのは、人類学者が自分で知らないことや疑問に思っていることを質問の形にして、現地の人にぶつける、いわば、「私尋ねる人、あなた答える人」というような分業になっているのではなく、内部者の視点をさぐる、という目的のためには、実は、内部の人々がどのような「質問」を自らの文化や状況について持っているのか、それが内部者によっていかに答えられるのか、ということが大切な鍵となるわけです。研究対象が異国の少数民族であれ、現代社会やまた自国の人々であれ、人類学者の手法に大きな違いはありません。 

(住原則也)