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霊 魂 の 道  銀 河

大 林 太 良

 アメリカ大陸の先住民は、言語学者ジョーゼフ・グリーンバーグによると、三回の大移動でアジア大陸から入ったものらしい。古い方から挙げると、アメリンド、ナーデネ、アリュート=エスキモーの三つで、コロンブス以前のアメリカの言語は、この三大系統に分かれるという。ナーデネ、アリュート=エスキモーの二つは、かなり後になってアメリカ大陸に入ったもので、かつ分布も北アメリカの一部に限られている。その他の先住民はすべて、最初の移住者アメリンドの系統で、北米の北から、南米の南端まで広がっているのだという。つまりアメリカ大陸の先住民の言語の大部分は、アメリンドという単一の巨大語族に属していることになる。この説の当否は、言語学者の批判に委ねなくてはならないが、自然人類学者のあいだでも、この説に賛成し、身体形質のほうからも三系統に分類する説があることをつけ加えておこう。

 実をいうと、民族学者の私も、このごろは、アメリカ大陸には、南北両米を通じる一貫した基層文化があるのではないかと感じるようになった。それは全世界の銀河についての表象や観念、神話、伝承の比較研究を進める過程においてである。つまりアメリカ大陸では、北から南まで、銀河は霊魂の道だという考えが盛んなのである。

 我々日本人は子供のときから、銀河は《天の川》つまり天上の河川だというイメージで育ってきた。七夕になると、幼稚園でも《天の川》と書いた短冊を笹に結び付けたりしている。中国でも、銀河、天河、天漢というように、みな河川のイメージである。東アジアでは、銀河は天上の河川だと見るのが支配的である。しかしこれは世界的に見ると、けっして一般的な考えではない。銀河は道だという考えがむしろ普通なのである。

 ただ道といっても、さまざまな道がある。ギリシア以来、ヨーロッパでは、英語のmilky way のように、《乳の道》という名称が広まっているし、西アジア、北アフリカ、バルカンにおいては銀河は《藁泥棒の道》である、という具合にさまざまである。しかし《乳の道》とか《藁泥棒の道》が分布も限られ、内容的にも世俗的な、面白さをねらったもので、比較的新しい発達と思われるのに対して、《霊魂の道》のほうは、分布が広く、南北両米ばかりでなく、世界のあちこちに例が点在しおり、その分布と内容から見て、人類史上相当古い観念だったのではないかと思われる。

 すでに何人かの研究者が想定したように、銀河は霊魂の道だという考えは、アメリカ・インディアンの先祖とともに、つまりグリーンバーグ流に言うと、最初の来移者アメリンドの先祖とともにアジアから入り、アメリカ大陸を北から南まで広く分布するようになったのであろう。

 具体的な事例は、私が近く出版する予定の著書に譲るが、ここではアメリカについての一般的なことを少し述べるだけにしたい。

 第一は、アメリカ大陸の北から南まで、繰り返し現れる文化要素ないし特徴があることである。このような要素ないし特徴のなかには、最初のアメリカ人の文化に属していたものもあるのではないかと思われる。もちろん、最初のアメリカ人の文化を復原するには、考古学の発言権が大きい。しかし考古学で復原できる範囲は限られている。ことに宗教や世界観については、考古学で再構成できる部分は極めて限られている。仮説的であっても、民族学的な比較研究によらなければならない部分が大きい。

 歴史民族学の盛んだったころには、アメリカのクローバー、ドイツのクリッケベルクなどが、民族学的立場から、最初のアメリカ人の文化を考えて見ていた。。このような試みは、今日も必要がある。

 第二は、アメリカの先住民の文化を広く眺め渡し、それを世界の他の地域の文化と比較すると、アメリカの先住民の文化のもつ個性が浮かんでくる。銀河は霊魂の道だという観念が盛んなのも、その一側面である。北米、中米、南米、それぞれの違いはあっても、大陸全体を通じての個性の存在が考えられる。しかし、この個性を把握するためには、当然アメリカ大陸全体を展望できるだけではなく、さらに世界の他の地域についてもかなりよく知っていないといけない。

 第三は大きく見、考えることの必要である。第一、第二で述べたような問題の研究には、狭い地域の専門家ではなくて、広い地域と問題についての関心と知識と、大きくものを見、見通しをたてる研究者が必要である。しかし、今日、どの学問においても専門化、個別化の傾向が著しい。これは学問の発達のため、必要であり、また不可避である。それだけに一層、特定地域の問題の優れた専門家であるとともに、こういう大きな見方をするような研究者が欲しいし、ぜひ日本にも出てもらいたい、と思うこの頃である。                   

(東京大学名誉教授)