Letter from New York

「気軽にボランティア」

 ボランティア精神が旺盛なアメリカ社会では、あらゆる種類の寄付金集めや募金活動が盛んに行なわれます。このボランティア活動は国外にも常に眼が向けられています。そういえば、近年、ある国で大地震が発生した折り、アメリカのボランティア団体が瞬時にして援助物資を集めヘリコプターで搬送したにもかかわらず、受け入れ体制が出来上がっていないという理由でその国の政府が受け入れに難色をしめしたというハプニングがありました。このような緊急の事態に素早い反応が示せるのは、ボランティアの思想から体制までがアメリカ人の日常生活に深く浸透しているからだと言えます。

 ボランティア活動の一環として寄付行為や募金活動がありますが、就職して初めて、このような寄付金の制度がいかにシステム化されているかを知り、たいへん驚き感心したものです。納金システムのみならず、いわゆる「アフターケア」も充実していて、誰もが気軽に社会活動に参加できるしくみになっているのです。

 私の勤めるニューヨークの州立大学では、年度の始めに Pledge Card というものが各職員に配られます。これにその年度の寄付金の金額を書き込み、サインをすると、決められた額が給料から引き落とされるしくみになっています。職員はパンフレットを見てこの寄付金の行き先を決めることができます。教育施設・厚生・身体障害者用の施設等、じつに20種類以上の項目があり、ドナーは「教育機関に60%、難民救済に40%」というように、寄付額の配分を自分で決めることができます。こんなところにも「個人の意見やチョイスを尊重する」というポリシーが反映されているのです。

 この寄付行為は強制的なものではなく、各職員が自発的に行なうものですが、面倒な手続きなしに自分の経済的事情を鑑みて寄付ができるということから、私の職場では60%以上の職員が参加しているようです。寄付額が自由なだけでなく、支払い方法も一括払いから24回払いまでと様々なので、一度に多額の寄付をすることができない人も比較的気軽に参加することができます。例えば、給料日毎に(月に2回)最低額の2ドルを寄付するだけでも、年間に50ドル程度の寄付をしていることになります。一度に一口5千円、1万円と言われて躊躇する人は多いでしょうが、毎回200円から500円程度となれば、「それならば」という人も増えるというわけです。また、寄付金の用途を自分で指定できることから、自分が社会のために貢献しているという実感も湧いてくるというものでしょう。

 この寄付金制度のもうひとつのメリットは、個人で申告しなくても寄付額が自動的に非課税になることで、特に多額の寄付をする場合には非常に便利なシステムです。このような普通ならば面倒な手続きも州の非営利団体が代行してくれるので、私を含む書類と格闘するのが苦手な者でも心配する必要がありません。

 政府や宗教団体を通した非営利の寄付金制度の他に、営利団体がビジネスと平行して募金活動を行なうのもめずらしくありません。例えば、あるデパートでは一定の期間に買い物をすると、売り上げの10%がユニセフに寄付されます。社会へ利益を還元するひとつの方途として、送り先や金額を明確にした上で、利益の一部を慈善事業に寄付するわけですが、これがまた会社あるいは団体のPRとなり、利潤を上げることにもつながるわけです。

 特に年末や年度末にはこのような寄付金の要請が増えるので、時にははっきり断わる強さも必要です。警察署、消防署、教育委員会、etc.いろいろなところから電話がかかるので、全ての要請に応えていては低額所得者(!)の私などは破産してしまいます。このような場合にも、「うちは州とRed Cross(赤十字社)を通して多額の(?)寄付をしているんです」と具体的な理由をあげれば、しつこく寄付を迫られることもありません。

 一般市民が参加できる寄付行為は現金だけにとどまりません。衣類、家具、日用品に至るまで、Salvastion Army(救世軍)に寄付すれば、そこで非常に安い値で売られ、経済的に恵まれない人を助けることができます。援助品のサイズが大きい、または量が多い場合は、トラックでピックアップしてくれるので、重たい荷物を自分で運び込む必要もありません。

 このように、誰もが気軽に利用できるようにシステム化された制度の中で、多くの人が寄付行為を通して、精神の向上、または心の深まりを実感することができ、それがまた社会への貢献に繋がっているように私には思えるのです。

 先に述べたある国などもこのようなシステムを多少なりとも見習ってくれれば、本当の意味でのボランティア活動が根付くことに寄与できるのではと、ある国に多少なりとも関係のある私は思ったりするのですが。

(佐藤奈津)