EXPERIMENT

娘を職場に連れていく日   

        最近米大学事情二題(1)

  約三年ぶりにアメリカの大学で教えて、特に面白いと思ったことが今年二つあった。一つは大学の主催する「娘を職場に連れていく日」の行事。もう一つは、教員や職員と学生との恋愛関係、および性行為を規制する学則ができたこと。これらの大学の動きは、私が現在勤めている大学に限ったことではなく、すでに似たことをしている大学もあり、今の社会の問題と動きに大学に勤めるものとしてどう積極的に対処していったらいいかを考える良い機会になった。

 4月24日の"Take Our Daughters to Work"の活動は、1993年にある女性団体の主導の下に全国で始まった。オレゴン大学では3年前から大学の恒例行事にし、この社会運動を推進しようとしている。この日は女の子達が親の職場に行って、職業やキャリアについて生活体験する。大学では9歳から15歳までの大学関係者の娘さんや、地域にすむ女の子達が来て、先生の仕事を始めいろいろな仕事を見学したり、それらに参加して、職業やキャリアについての知識を深める。特別なワークショップと昼食も用意されていて、どのような仕事にどのような教育や準備が必要かなどの情報を与えたり、子供達の質問に答えたりもする。小学校や中学校でも、子供達はこの日、親と一緒に職場に行くことを奨励されている。

 では、なぜ娘なのか。この社会では、男の子は親の職場に連れて行ってもらって、自然と職場の雰囲気を身に付けたり、仕事に対する理解を深める反面、女の子は、そうした面での社会的トレーニングを受ける機会が圧倒的に少ない。だから、女の子には社会的なサポートが必要だということから、「娘を...」となるのだが、女の子だけだと逆差別になるという批判もあり、息子を連れて行ってもいいようになった。

 男の子と女の子が育ってくる過程において同じような機会を与えられていないという認識は、最近の様々な分野での研究結果にも裏付けられている。例えば、90年代に入って、教育現場の研究によって、学校教育のなかでも、先生の男の子と女の子の扱いに差があることが分かってきた。先生が男性、女性のいかんに拘わらず、男の子の方が授業のなかであたる回数が多いし、意見を言ったり問題の答えを発表した時に先生は無意識のうちに男の子のほうにもっとやる気をおこさせる励ましのコメントをすることが多い。その反面、女の子は「良くできました」とおざなりなコメントをもらうことが多いそうである。また女の子は理科系は無理だとか、向いていないといつの間にか思わされてしまう。自分の日本での学校教育を振り返ってもいろいろと不平等があったと思い出される。例えば、クラスで学級委員が男の子と女の子の一人ずつ選ばれても、学級会の時に議長をするのはいつも男の子、書記は女の子と決まっていた。それで大人になって仕事について会議の議長をするような機会がやってきたらどうだろう。こんな場合でも女性は、経験不足から男性とは違うスタートラインに立たされている。もっとも私の経験は、数十年前の日本でのことだが、これと本質的には変わらないことが今のアメリカでも無意識のうちに起こっている。実際、10代になって社会との接触が多様化するにつれて女の子が自信や夢を失ったり、やる気をなくしていく傾向があるという問題がよく取り上げられている。

 大学の教員や職員はいろいろな面で教育に関わっていくべきだということで、こ「娘を職場に連れてくる日」に私達は次のような形で参加するよう奨励されている。(1)自分の娘を職場に連れてきて、自分や他の人の仕事に参加させる、(2)その日やってくる地域の子のmentor(指導者、助言者)になる。(3)(1)や(2)をしている人に協力し、支援する。この日は普通に授業が行われているので、授業のある先生は自分のクラスに子供を連れて行く。大学生の他に多くの10代の女の子をキャンパスで見かけるこの日は、大学とコミュニティーの関わりを感じて嬉しくなる。

 社会でも10代の女の子を支援する動きが出てきている。先日、新聞にkansas City のCenter for Entrepreneurial Leadershipが全国のコミュニティ・カレッジなどを通して、母と娘が一緒に事業を起こすのを支援していると出ていた。これは"Mother and Daughter Entrepreneurs-In Teams"(MADE-IT)と呼ばれるプログラムで、今まで事業者になるという観点では無視されてきた母親と娘の組み合わせに焦点をあてている。関係者の話では、自信を失いがちな10代の女の子に将来いろいろな可能性があること、ただ人に雇われるだけではなく、事業を起こすこともできることをわかってもらいたいとのことだ。

 女性が社会の様々な分野に進出して行くようになったものの、男性と女性が同じ機会を与えられているかというと、決してそうでない部分が多い。そしてその原因のなかには、先に述べた先生の場合のように無意識に出る反応のなかに不平等が潜んでいることも多い。日本に住んでいて、先が遠いなと思ったけれど、アメリカもまだまだだと感じさせられる。しかし本当の意味での機会均等をめざすための活動が各地で起こっていることも事実だ。そして大学の中でも、自分達の制度の改善のみではなく、将来に向けて「娘を職場に連れていく日」のような活動がなされていることは、意義のあることだ。

 私達の教育の現場ではどうだろう。自分達の言動や、使う教材を通して無意識のうちに学生達に不適切なメッセージを送っていないだろうか。こういうことを考えるため、私が関係している日本語教育でも、大学院の助手のトレーニングをする際、教材や態度が社会的に妥当なものか(いわゆるpolitically correct)について考えるセッションをワークショップの中に入れている。このセッションでは、例えば、語彙や表現を教えるのに視覚教材を使う時、潜在的な偏見が含まれないように注意しなければならないなどといったことを扱う。日常的な語彙を導入する時、女性が掃除、洗濯などをしている絵が市販のものには圧倒的に多いが、男性が掃除している絵なども含むこと(共働き夫婦の場合、女性が、日本では80%以上、アメリカでは男性の2倍以上の家事をしているが、そのために、キャリアを伸ばす上で、女性は不利な立場に置かれている。)、職業を扱う場合、男性の医者だけではなく、女性の医者の絵も入れる、また、秘書は女性、上役は男性という伝統的な役割分担を表わしたもののみではいけないなどを、これから教えようとする人達にわかってもらう。助手の中には日本人留学生も多いが、彼等の半分以上は、「へえ、そうか」と今までそんなこと考えてもみなかったというような顔をする。

 こう考えてみると、教師という仕事も、親という立場も、大人であるということもなかなか責任重大だ。日本の大学も、職場ももっと開けた場所になるといい。皆さん、子供を、特に娘を職場に連れて行きましょう!(つづく)

(藤井典子=オレゴン大学教授)